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3、おいたち

入山拒否をされた坂本大心の生い立ちは京都府舞鶴市の明全寺だった。幼いころから優秀な生徒として学んできた大心はどのような青春時代を過ごしたのか。

坂本大心が生まれたのは1920年。大正9年、京都府舞鶴市にある明全寺の長男として生まれた。当時は第1次世界大戦の戦争特需が終わり、戦後の不景気が始まる頃で世の中に暗雲が広がる時代であった。舞鶴は日本海軍の重要な港が作られ、日本海の守りの拠点として、そして軍人の町として賑やかだった。

 舞鶴市の中心部にあった明全寺は当時は禅宗の寺だが、江戸時代までは臨済宗の寺だった。臨済宗は栄西が始祖であるがその栄西の一番弟子で後継者となったのが明全和尚で、その明全の血統の由緒ある寺が明全寺なのだ。曹洞宗の開祖、道元は臨済宗の明全に師事し、弟子として明全に同行して中国に渡っている。明全は中国で命を落とし、道元はその後中国禅宗の一派である曹洞禅にふれ、曹洞宗を日本に持ち帰ったが、同時に師匠である明全の遺骨を持ち帰り、大本山永良寺に納めたと言われている。

 明全寺の嫡男として生まれた大心は、幼いころから学問に秀でていて神童と呼ばれた。父は厳心、母はしげ。なかなか子に恵まれなかったが30代半ばでようやく授かったのが大心だった。父の厳心は幼い大心に厳しく学問を教えた。遊びたい子供盛りの年頃でも毎日の読書と教科書の暗記は欠かさず、大心は学校から配布された教科書はほぼ暗記して訓導を驚かせていた。母のしげも父から命じられた日課を済ませたかどうかを大心に確かめて大心の学習を助けた。

 そんな両親の助けもあり、大心は優秀な成績で旧制中学校の舞鶴中を首席で卒業すると京都市内の第3高等学校へ進学し、そのまま京都帝国大学文学部哲学科へ進んだ。

 第3高等学校の頃から下宿していて、住んでいたのは百万遍の熊野神社周辺の民家の2階だった。高校にも大学にも近く銀閣寺までつづく哲学の道にも近かった。

 彼が専攻した哲学科には10年前まで世界的に有名な西田幾多郎教授が善を研究していた歴史があった。大心が入学した時には定年退職して名誉教授になっているが、大心が大学2年生の時、西田名誉教授が文化勲章を受章している。

研究室に所属した大心は西田哲学を継承して善の研究を進め、観念論と唯物論の対立などの哲学上の根本問題の解決を純粋経験に求め、主客合一などを説いて、知識・道徳・宗教の一切を基礎づけようとした西田哲学と禅宗のかかわりについて研究していた。中でも道元や道元が中国で師事した天童如浄の教えを研究テーマとして、善と修行体験こそが大切とする禅について考察を重ねていた。

 大心の研究によれば道元は栄西の弟子にあたる明全に師事し、1223年、明全のお供で中国の宋に渡っている。そして景福寺や景徳寺で学んだが、1225年明全は病に倒れた。道元は明全の遺骨を持って帰国するが、途中天童如浄の教えで、只管打座の禅の教えを受け継いだとされる。帰国後、正法眼蔵を書き、達磨宗の僧侶が多数、道元の曹洞宗に入信することで比叡山を刺激し、都を離れて山里に籠ることとし、志比の庄の地頭であった波多野義重の招きで越前の国に大仏寺、さらには永良寺を開いた。道元は終生明全を師匠と仰ぎ、明全の遺骨を永良寺内に納めている。

 西田教授は大心が京都にいるときには慶応大学で講師として教鞭をとっていたので直接にお会いすることはなかったが、彼が執筆した原稿に直接触れたり、研究の成果が研究室の書架にあふれていた。そこで間接的ではあるが西田幾多郎に触れたことは大心に大きな影響を与えた。


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