15、息子
永良寺への入山を拒否された大心は参道の岩壁に懺悔の気持ちから仏様を彫り始める。しかしそこに満州で大心によって殺された国吉隊長の息子が大心の足跡を追いかけて永良寺の門前に村に現れる。そこから2人の奇妙な生活が始まる。
この作業が何日続いただろう。ようやく輪郭を彫り終え、顔を彫り始めようとしていた大心が早朝に起き上がり、永良寺川の冷たい水で顔を洗い、仏の顔の中の目や鼻や口を丁寧に彫っていた。仏像の顔は時代と共に流行が変わってきているが、専門の仏師ではない僧侶が磨崖仏を彫る場合はそこまでではない。大心はどんな顔の仏様にするか考えたが、中国人ゲリラの冥福を祈る気持ちから穏やかな顔の仏像にしようと思った。表情を決めるのは目と口角が重要だ。笑ったような表情にするために目は目尻を少しだけ下げ、口角は少し上げた。筆で描く場合は瞳も重要になるが、石仏の場合はそこまでの細かい作業は出来ない。
丁寧に少しずつ作業を続けているとお昼前に背の高い国民服を着た青年が声をかけてきた。年の頃は17歳くらいの若者で、国民服はボロボロになるまで着古され、ひざ下の脚絆は長旅をしてきた様子がうかがえるように雨風で汚れていた。
「すみません、失礼ですけど坂本大心さんでしょうか。」
と話しかけてきた。大心は心臓をわしづかみにされたような衝撃を覚えた。この青年はなぜ自分のことを知っているのか。ここにいる事を知っているのは誰もいないはずなのになぜ。いよいよ国吉小隊長の家族が仇討に来たのではないか。いろいろな思いが浮かんだが
「はい、坂本ですけど。どなた様ですか。」
と丁寧に答えた。するとその青年は
「忙しいところを申し訳ありません。私は坂本さんが満州で軍隊にいらっしゃるときに小隊長として同じ部隊にいた国吉仙吉の長男です。父は終戦を目の前にした8月に新京市で戦死したと知らせを受けました。当初は普通に戦死したという事で葬式をあげ墓を作ったんですが、先日同じ部隊にいたという渡辺さんという方がお墓詣りに来てくれたんです。その人に、父が死んだときのことを聞いても、はっきりとは言わなかったんです。何か秘密めいたものがあるのか、『僕は2等兵なのでわかりません』というばかりで、真相を隠している気がしました。ただ渡辺さんは同じ隊にいた人の名前を何人か教えてくれたんですが、その中に舞鶴の明全寺の坂本さんも含まれていたんです。そこで私は舞鶴まで行って明全寺を訪ねたんですが坂本さんはいなかった。お寺の人に聞いたら永良寺に行ったのではないかとおっしゃるのでその足で永良寺に来て、お寺でお聞きするとこの河原で仏様を彫っているという噂をお聞きしたんです。長い旅路でしたがお会いできて良かった。せっかくここまで来たので父が亡くなったときのことをお話しいただけませんか。」
青年は何かを感じている。
【渡辺2等兵が真相を語らないのには何かわけがあるはずだ。父の死には不自然なところがあるから来たのだが、来てみたらその男は岩肌に仏を彫っている。異常であると感じているはずだ。贖罪のための行為ではないか。】
大心はその青年がそんな風に感じているのではないかと直感した。真実を述べるべきか。言い逃れをするべきか。軍法会議の被告人であった事実を公表すべきか。心の中で大きな葛藤が蠢いていた。しかし命乞いをするために石仏を彫っていたわけではない。自らが犯した罪を悔い改め、殺してしまった人たちのご冥福を祈るためだ。しかし軍法会議の途中で逃げ帰ってきたことは言うべきかどうか。一瞬のうちにいろいろなことが頭をよぎっていた。
「国吉小隊長の息子さんでしたか。国吉小隊長には大変なお世話になりました。私はこの仏像を彫り終えたら国吉様のお宅をお訪ねするつもりでおりました。」
そう言った大心だったが、先に永良寺に来てしまったことをこの若者に追及されるのではないかと思い、軽はずみなことを言ったことを少し後悔した。しかしそのまま続けて
「私の方からお訪ねしてお話すれば話しやすかったことかもしれませんが、あなたの方から訪ねられてしまったのでいささか話しにくい状態です。でも包み隠さずお話しします。」
と言って岩肌から下りて国吉青年を連れ立って道の向かいの志比駅のベンチに向かって歩き、彼を座らせて自分もゆっくりと座り、深呼吸をして心を落ち着けて語り始めた。
「あれは終戦が近づいた8月2日でした。私たちが守備していた新京の町は満州国の首都でした。関東軍の主力が駐屯し、平和が保たれていたのですが、各地から知らされる情報では日本の敗戦は濃厚な状態で、中国のゲリラたちの反撃も激しくなり、北からはソビエト軍が国境に迫っていました。私たちの小隊は町の中のパトロールに出たのですが、どの家にも中国人ゲリラが潜んでいる感じがして、一触即発の状態でした。5人の小隊でパトロールに出た私たちも背中を向けるといつ撃たれるかわからないという緊張感がありました。そんな時、一軒の中国人の民家でガラス窓の中のカーテンの隙間からピストルで私たちを狙っていることに気が付いたんです。国吉小隊長に小声で報告すると、連帯に連絡して応援を呼び、その後一斉にその家を襲撃しました。すると中には3人の男たちが銃で応戦してきましたが、3人とも家の中で倒れていました。国吉小隊長の命令で私は倒れているもののまだ生きている中国人ゲリラ3人を躊躇しながらもとどめを刺して撃ち殺しました。隣の部屋には女が一人と小さな子供が2人いました。他の隊員は女の服をはがして奥の部屋に行きました。私と野中2等兵は国吉小隊長に、『残った2人の子供を撃ち殺せ』と命令されたんです。私はまだ子供ですから撃たなくてもいいんじゃないんですかと進言したんですが、小隊長は『今撃たないといつか仇討されるかもしれない』と言って撃つことを指示したんです。野中2等兵は命令に従って子供を撃ち殺しましたが、私は銃を構えて狙ったんですが、どうしても撃てなかったんです。それでも小隊長は大きな声で『早く撃て』と指示してきました。どうしても撃てない私を見て、小隊長は自ら子供に銃を向け、そのまま子供を撃ち殺したんです。私の頭の中はパニックになりどうして良いかわからなくなり、気が付いた時には小隊長に向けて銃を構えて、『わーあ』と叫んで引き金を引いてしまい、小隊長を撃ってしまったんです。銃弾は小隊長の頭を貫き即死でした。私は小隊のみんなに連れられて連隊に戻り、軍法会議にかけられたんです。でも8月6日に広島に原爆が落とされ、事態は大きく変わったんです。軍法会議どころではなくなってしまいさらには8月9日に長崎に原爆が落とされソ連軍が満州に侵入してくると、新京を守備していた連隊は一斉に退却を始め、軍法会議の資料は燃やされ牢屋に入れられていた私は『とにかく早く逃げろ』と言われ釈放され、みんなといっしょに命がけで日本を目指したんです。終戦を迎えたのはその途中でした。中国ゲリラの目を盗みながら必死に満州の大地を駆けずり回り、清津の港から日本へ向けての帰還船に乗り込んだんですが、敦賀につくまではアメリカの飛行機やソ連の軍艦に見つからないか心配だったんですが、何とか敦賀港に入り、実家の明全寺に帰りました。しかし跡継ぎがいなくなった明全寺は人手に渡り、父も母もこの世にはいませんでした。一人ぼっちになった私は行く当てもなく、修行を積んだ永良寺に来たのですが、永良寺では教義に対する理解の対立から貫主様に破門にされた経緯があり、受け入れてもらえなかったんです。そこで、せめてもの罪滅ぼしにこの崖に仏様を彫ろうと思いつき、作業をしていた最中だったんです。」
と自らのここに至った経緯をかいつまんで話をした。うつむきながら上目遣いに大心の方を見つめて話を聞いていた国吉青年は、父の死に疑問を持っていたがその疑問が解決されたものの、あまりにも意外な結論だったので呆気に取られていた。そして重い口を開いた。
「坂本さん。私は軍隊の経験がないので上官の命令に背くことがどんなことなのかよくわかりません。あなたが中国人の子供を撃てと命令された時に心の中で葛藤があったことは理解できます。しかしそのことと父を撃ったことは別ですよね。これは軍事行為ではなく殺人という事になりませんか。しかもその行為によって裁かれるはずの軍法会議は、終戦のどさくさで終了してしまっている。父の死は日本のための戦死ではなく、部下に殺されてしまったという事ですよね。父の英霊は靖国神社に祀られていますが、名誉の戦死と言えないわけです。それにあなたの軍法会議が途中で終了してしまっているのはおかしくないですか。」
と疑問を呈した。彼は大心の目を睨みつけ、涙ながらに言葉を続けた。
「先日の新聞で読みましたが、南方の島々や東南アジアでは軍法会議が続けられ、日本の兵隊の犯罪行為が裁かれ続けているそうです。終戦はしたけれど戦争犯罪が赦免されるわけではないんです。ましてや現地の民間人に対する戦争犯罪は裁かれているわけですから、日本人に対する日本人の犯罪は終戦になっても裁判所が引き継ぐべきではないでしょうか。私は私の手であなたを殺したいという気持ちもありますが、仇討が許される時代ではありません。せめて公的機関があなたの罪を裁くべきだと思います。あなたも潔く自首するべきではないでしょうか。」
国吉青年ははっきりとした物言いで事の真実に白黒つけようとしていた。大心は国吉青年の気迫に押されるところもあったが自分の主張だけは通した。
「国吉さん、私は逃げも隠れもいたしません。もう失うものは何もないんです。刑務所に入って服役したほうが食べることに苦労しないだけましかもしれません。家族もいなくなってしまったし、継ごうと思っていた寺もありません。修行して得た僧侶としての資格も永良寺で破門されたので、もう無資格なんです。でもいつか僧侶に戻りたいと思っていますし、何よりも満州で犯してしまった自分の罪を償いたいし、無慈悲な行いで命を奪ってしまった国吉小隊長や中国人ゲリラのみなさんに対して、わずかながらに供養になればと磨崖仏を彫り始めたんです。これを彫り終えたら警察に出頭することをお約束しますから、最後まで彫らせていただけませんか。」
と今の気持ちを表して懇願した。国吉青年は目の前にいる僧侶の服を着た偽僧侶の首ねっこをつかんで警察に連れていきたい衝動にかられたが、この偽僧侶の言い分も分からないではなかった。目の前に純粋な目をした幼い子供がいて、その子供を銃で撃てと命令されたら自分は撃てるだろうか。その子供にどんな罪があるというのだ。いくら上司の命令だと言っても罪のない無抵抗で非戦闘員の子供を撃ち殺すことは戦闘行為ではなく犯罪行為ではないか。犯罪行為であることが明らかな場合は、上司の命令とは言え従わなくてよいのではないか。国吉青年は父親を殺されたことを知った瞬間の怒りに満ち溢れた感情から、やや複雑な感情に移っていった。どうしてよいかの正常な判断が出来る状態ではなくなっていた。
どうしてよいかわからないまま国吉青年は大心のいう事に流され
「では完成するまで私も一緒にここで待ってますから、頑張って彫ってください。」
国吉青年は親の仇である大心と共に生活することになった。
その日から大心と国吉青年の奇妙な共同生活が始まり、国吉青年もいっしょに彫り始めることとなった。国吉青年は金属製のたがねと金槌を買い込んできた。しかし大心は強すぎる力で打ち込むと岩が割れてしまうから、ゆっくりと少しづつ心を込めて線を撃ち続けるには先が丸まった使い古しのたがねに木片を金槌代わりにしたほうがうまくいくと言って譲らなかった。