12、永良寺へ
ふるさとの舞鶴に戻った大心だったが実家の明全寺は他者の手に渡り、父は死に母は連絡がつかなかった。行き場をなくした大心は再び列車に乗り、向かった先は越前の永良寺。やっぱりここしかなかった。破門されたことで実家の父や母に迷惑をかけたが、心のふるさとはこの寺しかなかった。門前で追い払われることはわかっているが、寺の門をたたくしか彼にはなかった。はたして彼の運命は。
西舞鶴駅を出ると列車は敦賀を目指して小浜線を東へゆっくりと走る。美しい緑の山と濃い群青色の海、薄い青色の空、8月の強い日差しが海の照り返しで眩しい。三方駅の近くでは三方五湖が眼下に広がり、原始の時代から変わらない自然風景を楽しませてくれる。しかし敦賀につくと風景は一変した。敦賀の町は空襲で壊滅的な打撃を受け、一面の焼け野原であり、かろうじて復旧した線路が仮設の駅舎に滑り込んでいく。駅前の焼け野原にはたくましい人々がバラックで闇市を営んでいる。食べていくための営みなのだ。列車を乗り換えて北陸本線の列車に乗ると混み方は一層激しくなった。近畿方面から北陸の各地へ復員する兵士や疎開先から戻る民間人、食料を買い出しに出た人など様々な人が乗り合わせた。みんな敗戦の苦しさを味わっているが、眼はぎらぎらと次の時代をどう生きていくか目論んでいる。
大心も大混雑の列車で通路に座り込んで敦賀駅で買い込んだ生のジャガイモをかじって空腹を紛らわせた。敦賀から先の木の芽峠は北陸最大の難所で何回もスイッチバックしながら峠を越える。機関車は前後について豪快な汽笛を鳴らしながらの運転である。峠を越えると古代の越国。福井までの途中、鯖江は陸軍の駐屯地で鯖江空襲は激しかったみたいで駅周辺では遥か彼方まで焼け野原が続いていた。さらに福井駅に近づくと線路の両側に焦土と化した地域が続き、福井駅を降りると地獄のような有様だったが、闇市の明かりは人間のたくましさを表していた。大心は闇市の明かりを横目に京福電鉄に乗り換え、福井駅から勝山行に乗り、しばらくすると空襲の影響を受けていない田園地帯になった。平和そうな田園風景はつい数日前まで戦争が行われていたこと、満州でソビエト軍の侵攻を逃れて命がけで逃げてきたことなどなかったようにのどかだった。途中、東古市駅からは永良寺線に乗り換え志比駅を目指す。東古市駅は古風な駅で大正時代の作りの駅舎はモダンで、永良寺線と丸岡線、勝山線のターミナル駅になっている。利用客は多く駅前にも駅裏にも食堂や旅館が軒を並べている。出発まで少し時間がありそうなのでなけなしのお金で中華そばを食べようと一軒の食堂に入った。中華そばを頼もうとしたが店主が言うには材料難で中華は出来ないらしく、サツマイモをふかしたものならあるということで、それを頼んで手に持ちながら永良寺線の電車に乗った。志比駅は大本山永良寺の最寄り駅で東古市駅からは20分ほどで着く。1両編成の電車が急こう配の坂をうなりながらゆっくりと登っていく。最後の駅を過ぎるとますます山間に入っていくらしく、杉林の間を抜けて進む。終点志比駅、ここも大正ロマン漂うモダンな建物だ。
いよいよ戻って来た。ここしか行くところはなかった。しかし貫主様からは1年前に明全老師の解釈で揉めて破門されている。許しを請えば入山を許してくれるだろうか。破門と言うのは絶対に取り消されるものではないのだろうか。いろいろな思いが交錯して駅を出て坂を上っていった。悩みはあるがここしかないのだ。何とかするしかない。そんな思いで山門前まで進んだ。
「何とか修行に戻らせてほしい。他に行くところなどない。」
という思いで山門前に立ち、木槌で木の板を思いっきり叩いた。
「どうか奥の部屋の古参僧侶に届いてくれ。」
そんな思いを持ち待っていると数人の僧侶が出てきた。若手の雲水たちは見覚えがないが古参僧侶の一人は見覚えがあった。彼も大心の顔を見るなり顔を曇らせ、まずいというような表情を見せた。
「帰れ、帰れ、このお山は道元禅師ゆかりの厳しい修行道場じゃ。お前たちのような軟弱者は到底耐えられん。さっさと帰れ。」
と言って奥へ引き返してしまった。その中の古参僧侶は戻り際に大心の方を振り返ってもう一度見て大心の顔を確かめていた。
このやり取りを何回しただろう。3日間立ち続けて1日2回のやり取りがあり、合計6回目で初めて大心であると認識していることを認めた。
「帰れ、帰れ、大心。お前はとうに破門された身じゃ。どんなに粘っても貫主様がお許しにはならねえ。大人しく下山しろ。」
と大心の名前を出して破門されたという理由まで述べている。1年以上前の事件をこの若い雲水を知るはずがないし、大心もこの雲水とは面識がない。奥で古参僧侶に言われたんだろうし、監院老師や貫主様の意向を伝えに来たのかもしれない。
「せめて貫主様にお目通りを願えないか。」
とお願いしても
「帰れ」
の一点張りで取り付く島がなかった。
大心は冷静になって考えてみた。貫主様たち、永良寺首脳は大心のことを許す気持ちがないのだろう。世間は戦争からの帰還者で溢れかえり、食糧難で飢えに苦しみ、治安も悪化し犯罪発生件数は過去最高を記録している。こんな世の中なので大本山永良寺に修行のために訪れる雲水は極端に増えているのだろう。お寺の御子息だけでなく一般人も飢えを凌ぐために寺へ入ることを選んでいるのだろう。そう考えると定員の上限に達している永良寺の現状であえて破門した雲水を入山させる必要がないのだろう。ましてや大心の実家の寺は既に他人手に渡っているのである。
自分の考えが甘かったことを悟った大心はどうしたらいいのか途方に暮れた。しかし他にどこも行く先がないからここに来たのだ。許してもらうしかない。根気比べになるが許しを請うためにその後も立ち尽くした。
気が付いたのは夕暮れを過ぎた時で山男の伊藤末吉の家だった。末吉の言うには末吉が山仕事を終えて永良寺山門近くを歩いていると大心が倒れていたらしい。末吉は驚いて大心を担いで家に連れて帰り、お粥をすすらせてくれたらしい。どうやら3日3晩山門前で立ち尽くしたために気絶して倒れたようだ。
大本山永良寺の門前は多くの民家があるが半分は大工町、永良寺をはじめとした寺社仏閣を建てたり修理したりする宮大工の集まり。残りは大本山永良寺所有の山林に入り、山の管理をしてそのかわり落ちている木の枝などを拾って薪として町で売ることを生業とすることを寺から許された人たちの町である。この人たちは後に観光土産物販売の商人に転じていくのだが、この時代はまだ貧しい山男たちである。
お粥をすすらせてもらって息を吹き返した大心は1晩だけ末吉の粗末な家の納屋に泊まらせてもらった。光のない納屋で月明かりだけを頼りに空を見上げると山と山の間にわずかな星空が見えた。ガラス窓越しに見える白く光る星たち一つ一つが大切な命を表しているような気がしてくる。藁の上に寝そべっているが、蚤がいるのかやけに背中やわき腹が痒い。この蚤たちも儚く死んでいった人間たちの生まれ変わりかも知れない。そんな風に考えるうちに大心は満州のことを思い出した。新京でのパトロール中、銃撃戦の後、まだ息のある3人の中国人ゲリラの男を無造作にとどめを刺して撃ち殺した。あの3人はどうしたのだろう。どんな家庭で育った人たちだろうか。奥さんはいたのだろうか。子供たちはいたのか。考えれば考えるほど空しくなり自分が犯した罪の大きさに身が震えた。そして幼い子供たちを撃てと命じられた時、撃てずにたじろいでいると咄嗟に銃を構えて子供たちを撃った国吉小隊長。その国吉小隊長を大心は撃って殺してしまった。国吉小隊長も家族がいるはずだ。両親もいるだろうし奥さんもいるだろう。子供たちは何人いたんだろう。家族にはどんな知らせがいっているんだろう。満州の中国ゲリラの家を捜索中に部下の日本兵が撃った弾が当たったと知らされているのか、それとも部下の坂本大心に撃たれたと報告されているのか。名前まで報告されていたらその時は子供たちが幼いとしても、大人になったら仇討に来るのではないか。自分がやってしまった罪の大きさに身震いしたし、犯してしまった罪を償ってもいない自分にやるせなさもあった。
必死に寺に入る事を懇願した大心だったが貫主の気持ちは変わらなかった。そんな大心は飲まず食わずで立ち尽くす。そいて彼がとった行動は、何だったのか。