1、大心
杉下栄吉は大本山永平寺近くの道路わきのむき出しの岩肌に線で彫られた仏様を見つける。いくつもの仏が彫られていたがその中に大心と言う名前を発見する。気になった栄吉は後日大本山永平寺の事務所で栄心について聞いてみることにした。何人かの候補者がいたが、その中から昭和の初めの修行僧に目を停め、その当時のことを知る老人に話を聞いてみることにした。なぜ修行僧は岩肌に仏様を彫ることになったのか。その背景を探る物語の発端になった。
秋の深まりとともにこの谷の両崖の紅葉は鮮やかに色味を増し、観光客は車窓からその美しさを堪能する。永平寺を訪れるために駐車場に入ろうとするその脇には小さな喫茶店があり、朝だと言うのに20人ほどの行列ができている。よく見るとアップルパイを買いに来た客が売り切れ前に買い求めようと集まっているのだ。聞けばこの店の主人は高齢で1日限定100個程度作っているらしいが、限定という言葉に弱い日本人は群がるように列を成している。
杉下栄吉はこの町の中学校で校長をしているが、定年まであと半年。今日は赤い羽根共同募金のボランティアに参加する生徒の引率で大本山永平寺に来ていた。駐車場に車を置いてアップルパイの店の前を通り過ぎ参道を上がると大本山永平寺だ。参詣口両脇に生徒たちを並ばせのぼり旗を持たせ募金への協力を訴えると、元気のいい声に呼応して年配の観光客たちが財布から小銭を出して協力してくれる。普段は静かな寺の前で元気な声で1時間ほど頑張ると活動は終了した。栄吉は生徒たちに気を付けて帰るように言って駐車場に戻るとアップルパイの行列は無くなっていた。全部売れてしまったんだと思いながら車の方へ向かおうとすると地蔵院の谷の方から流れてくる小さな川の向こう岸に大きな一枚岩が露出した崖があり、よく見るとその岩肌に何か模様があるのがわかった。栄吉は10mほど下流に下って橋になったところを渡り近づいてよく見るとそれは線で彫られた地蔵様だった。よく見ると大きな岩肌に10体ほど彫られているのがわかる。
誰が彫ったんだろう。それぞれの地蔵様のお顔も違うし、彫りの深さも違う。風化した様子も違う事から年代もバラバラそうだし作者もバラバラのようだ。中に2体だけ作者と思われる人物の名前がかすかに読み取れるものがあった。栄吉は目を凝らしてその名前を読み取った。
「大心」大心と読み取れる。この大心とは誰なんだろう。何があってこの地蔵さんを彫ったのか。もしかしたらという思いで杉下栄吉はスマホで「大心」と打って検索してみた。すぐに結果は出たが○○大心という俳優と全国に立地する大心という名前の店舗が出てくるだけだった。想像していた僧侶や仏師の名はなかった。
永平寺を訪れた僧侶や仏師たちが帰り際に記念に彫っていったのではないか。よく神社仏閣では参拝の記念に落書きをしていく輩は昔からいたからだ。しかし岩に彫る仏は柱に書いたマジックの文字とは大きく違っていた。彫り終えるのはかなり時間がかかるからだ。何か大きな目的がなければそこまではしないだろう。ではその大きな目的とは何か。大心という人物は何があって仏を彫ったのか。栄吉の頭の中に様々なストーリーが浮かび上がったが、あくまでも推測の領域だ。杉下栄吉はきちんと調べてみたくなり大本山永平寺の総受所を訪ね、寺の過去の記録の中に大心という名前の僧侶を探すことにした。電話で用件を述べるととにかく総受所で話を承ると言われて、訪問する日時を決め話を聞いてもらうことにした。
後日、駐車場に車を停め観光客の入る通用口から参拝券を自動販売機で購入し、吉祥閣という建物の玄関から中に入った。スリッパをはいて奥に進むと吉祥閣の1階は大きなフロアになっていて一段上がったところに畳が敷かれた大広間があり、その壁には大きな文字で『総受所』と案内が書いてある。その案内の下には座卓が2つあり、受付係の雲水が2人正座して座りながら受付作業をしながら書類作成事務もやっている。雲水たちは大学を卒業したばかりの若者たちで、ほとんどが全国の曹洞宗のお寺の後継者たちである。1年から2年の修業期間を経て正式に住職になれる資格を取って地元へ帰っていく。大きなお寺の御子息は地元で住職の元で見習いとして働くことになる。しかし小さなお寺では僧侶が2人いても御門徒が少なく仕事もないので永平寺に残って役僧になる道を選ぶものもいる。
彼らがどういう立場なのかは姿を見るだけではよくわからないが、彼らが座る総受所というお寺の事務所を訪ねると普段は門信徒の納骨や永代経を受け付ける受付だが、その受付係が用件は何かと言うので杉下は
「永平寺門前の町営の駐車場の脇の露出した崖の岩に線刻磨崖仏がありますが、その仏様の脇に『大心』という名前を見つけました。どんなお坊さんなのか調べているんですけど、このお寺に在籍した雲水さんや役僧さんの中から大心という名前をコンピュータで検索することは出来ませんか。」
と聞くと事務担当のその僧侶は
「歴代の僧侶や雲水の名前は調べることは出来ますが、何にお使いになるんですか。」
と聞くので
「特に何かに使うというわけではありません。歴史的な興味と言いますか、時代的に古い物ならば役場にお願いしてその線刻磨崖仏を重要な文化財として県や町に保存の必要性を働き掛けたいと思っています。」
と言った。するとその受付の僧侶は
「それでは上役に尋ねてみますから、この用紙に必要事項を記入してお出しください。」
と言うので必要事項を記入し、先ほど説明した用件を再び書いて彼に渡した。彼はその紙を持って立ち上がり
「しばらくそちらの椅子に座ってお待ちください。」
と言って奥へ走って行ってしまった。
総受所の前は大きな広場になっていて、団体客や修学旅行の学生などが来ても、まとまって並んで待機できるほどの広さがある。その壁には大きな額が掲げられ、大本山永平寺の七堂伽藍の配置図が記されている。栄吉は座って待つように言われたが、じっとしていられずその額の前に立ち、この大きなお寺のたくさんの建物について細かく見ていた。七堂伽藍を人間に例えると頭の部分にあたるのが法堂、心臓部分が仏殿、両手の部分に僧堂と大庫院があり、両足部分は浴室と東司、つまり便所がある。おへその部分には山門があり、毎年新しくやってくる雲水たちを迎え入れる門である。その近くには鐘楼があり年末の行く年くる年で放送される有名な梵鐘がある。
じっくりと配置図を眺めていると、先ほどの事務担当の僧侶が先輩と思われる役僧を連れて戻って来た。先輩僧侶は胸に「大徹」と書いてあった。大徹さんは
「杉下さんですね。ご用件は事務方から聞きました。調べることは簡単ですからコンピュータですぐにできますが、絶対不正利用はしないでくださいね。」
と言うので頷くと
「ではついてきてください。」
と言われ奥の部屋の中に入っていった。事務方の奥の部屋には事務机がいくつかあり、その上にはコンピュータがそれぞれの上に置いてある。大徹さんは自分の事務机らしき場所に座ると
「お探しの名前は何でしたか。」
と聞いてきた。杉下栄吉は
「大心です。大きいという字に心です。」
と言うと大徹さんはキーボードを打ち込み検索すると、すかさず困った感じの表情をした。
「お探しの大心さんは3人ほどいますね。名字は分からないんですね。線刻磨崖仏の横に彫られていた作者らしき名前と言うだけでしたよね。」
と言っている。杉下栄吉は
「名字は分かりません。石に彫られていたのは大心という名前だけだったんです。時代も分かりません。」
と言うと
「1人目は江戸時代、文明3年に入山された大心さん。備前ですから岡山ですね。2人目は明治25年の大心さん。福井県の小浜の方ですね。3人目は昭和17年に入山された京都府の方です。それぞれの方の住所はご勘弁ください。個人情報ですから。それから3人目の京都府の方は昭和19年に破門されていますね。その段階で僧侶としての資格ははく奪されています。」
と教えてくれた。大心と言う名前に使われている漢字はよく使われる字なので、同じ名前の僧侶は多いかもと思ってはいたが、3人もいたこと驚きは隠せなかった。ただ破門されたという3人目の大心のことがやけに気になった。終戦直前なのでその当時のことを知っている人は近くにいるかもしれないなと思い、少し知り合いに聞いてみようと考えていた。
破門になった大心が岩に仏を彫ったのはなぜか。お寺で何があったのか。謎は深まるが大心の人生を探る旅が始まる。この後の展開をお楽しみに。次回の話がアップされたことをお知らせするためには是非ともブックマークをお入れください。