前編
設定はふんわりです。
*注意
ストーリー上、ストーカーについての話が出てきます。
上記の話があるため、R15と残酷な描写にチェックを入れております。
苦手な方はブラウザバックをお願いします。
静寂が支配する王宮の応接間。
宰相を中心とした、所謂重鎮と呼ばれる者たちが皆一様に疲れた表情でこちらを見ていた。
その雰囲気に誰よりも驚いたのが、両陛下の前で礼を取っている公爵令嬢のアンリエットである。彼女はこの場に呼び出されたのは、異世界から呼び出した聖女に関連する事だろうと予想をつけていた。
元々ある理由で彼女の父――サットン公爵に相談を持ち掛けていたのだ。王宮から呼び出しの手紙が届いた際には、その事だろうと当たりを付けていた。
だが、実際呼び出されると――この場には聖女だけでなく、聖女の世話役で、アンリエットの婚約者であるテオドルフの姿すら見えない。
どういう事だろうか……と疑問は生じるが、怯む事なく凛と振る舞う。その貫禄は王子妃に相応しいものだと、改めて彼らに印象付けるほど。
そんな彼女を王座から見下ろしていた陛下は、ひとつため息をついて話し出した。
「アンリエット嬢、お主に聖女の世話役を一任する事にした。今後、テオドルフから引き継ぐように」
告げられた言葉にアンリエットは耳を疑った。
アンリエットの婚約者であるテオドルフは、両陛下の息子――つまりこの国の第一王子であり王太子でもあった。
異世界から聖女が召喚された際、テオドルフとその側近たちを世話役にと任命したのは陛下だったのだから。
それを覆すほどの何かが生じたのだろう。
アンリエッタは彼の言葉に了承の旨を伝え、再度頭を下げた。
そもそも聖女とは半年ほど前に、魔術師が異世界から呼び出した女性のことだ。
召喚された聖女の役割は、こちらの世界と魔界と呼ばれる世界を繋ぐ門――魔門の封印を強化する事。魔獣と呼ばれる獣がこちらの世界に入り込んでしまうと、世界が蹂躙されてしまう可能性があるからだ。
この国の王宮の地下には魔門がある。魔門は初代聖女によって封印されていたのだが、数百年経つとその封印が薄れてしまうため、その度に異世界から聖女を呼び出し封印がなされていた。
聖女を呼び出すために、王宮には魔法陣の間という場所がある。
そこには大昔、魔獣の蹂躙の際に女神様が手助けしたと言われている魔法陣が描かれており、封印の時期になると魔法陣が光り出すらしい。
魔法陣が光っている時に魔術師たちの魔力を捧げ、代々伝わる召喚の呪文を唱えると聖女が呼び出されるのだ。
その後、魔門の封印が全て完了すると聖女はこの世界で生きるか、元の世界に帰るか選ぶ事ができる。
大体は元の世界に帰る聖女が大多数だったが、この度の聖女は元の世界で病にかかっていたらしく、この世界に呼ばれる前に発作を起こして死ぬか生きるかの瀬戸際だったらしい。
一度だけ彼女とアンリエットは話をした事がある。その時に「向こうに帰ったところで長く生きる事ができるか分からない、なら第二の人生を私は歩みたい」と悲しげな微笑みを見せていたのが印象的だった。
話を元に戻すと、今代の聖女は数ヶ月前から学園に通っていた。学園では聖女の力を研究している研究室もあったため、そこで彼女は力の操作を研磨している。
魔導士との訓練により、聖女は現在の能力で魔門を封印しても問題ないとされてはいたが、魔門も情勢も落ち着いている事もあり、更に練度を高めて封印を施すという判断を下している。
ちなみに学園に通う際、聖女には能力の向上に集中してもらうため、との理由で学園での世話係として任命されたのが、テオドルフだったのだが……ここ数ヶ月ほど彼らが聖女に首っ丈である、という噂が学園中を駆け巡っていたのだ。
噂の内容を確認しようと彼らの元へ向かい尋ねても、無言で睨みつけてくるだけで解決する事はなく……弱り果てたアンリエットは王太子の側近の婚約者である侯爵令嬢のフローレンス、クラーラに協力を得たが、同じような状態が続いたのである。
その上、彼女たちの誰かが聖女に話を聞こうとすれば、どこからかテオドルフたちがやってきて睨みを利かせる始末。
アンリエットは何も進まない宙ぶらりんの状況に困惑していた。それはフローレンス、クラーラも同様だ。
聖女がもし彼らの中の誰かと婚約を結びたいのであれば、早いうちに婚約を解消した方が良い。聖女との婚約による婚約白紙であるならば、相手の令嬢に瑕疵は付かない。
だが、彼女たちは現在結婚適齢期なのである。ここで婚約が白紙になるのであれば、次の相手を見繕わなければならないのだ。
条件の良い男は学園中にどんどん婚約を結んでいるため、早めに婚活へと参加したいのが正直な思いだ。
それもあり、彼女たちは相手が「婚約白紙だ」と判断すれば、潔く受けるつもりだった。
そんな時に王城へ呼び出されこの一言である。噂が否定された瞬間だった。
「古文書のように見目麗しい相手を与えておけば、問題ないと思ったのだが……」
アンリエットの了承の言葉を聞いた陛下が、ぽつりと呟いた。その言葉は静粛な応接間で一層響く。
陛下は遠くを見つめており、このような事態は想像もしていなかった、と言わんばかりの憂いた表情。思わず呟いたこの一言すら気づいていないようだ。
陛下の漏らした言葉で空気が変化したように感じたアンリエットは、引き続き頭を下げながら父に視線を向けた。すると彼の視線の先には微笑んではいるが凍えそうな空気を纏った王妃陛下が。
そう、陛下の一言で王妃陛下の憤怒が再燃したらしい。眉間に皺を寄せながら不快そうに話す。
「だから古文書は当てにならない、と言ったではありませんか! 聖女は異世界から召喚されたとはいえ、感情のある一人の人間です。相手を理解するためには、何度も話し合い、信頼関係を構築しなければなりません。ですが、貴方もテオドルフもそれを放棄して自分たちの都合ばかり……いい加減になさって? 本当に分かっていらっしゃるのかしら?」
王妃の怒りの先は、テオドルフと陛下のようだ。彼らが自己の利益のみを押し付け、聖女を蔑ろにしたからこそ起きた問題らしい。
その後独擅場で話す王妃の話を聞く限り、陛下としては聖女の管理を婚約者である公爵令嬢ではなく、第一王子であるテオドルフに任命する事で、聖女の動向を把握し、あわよくば彼に好意を抱いてもらい手中に収めて利用したかったのだ。
……確かに救世主が王子妃となれば、国民の支持も上がる。そう考えてテオドルフを世話役にしたらしい。
王妃は最後まで反対していた。
そもそもこちらの都合で呼び出し、世界を救うという大事な役目を押し付ける……しかも我が子どもと同じ程の年齢の娘に。
既にこちらの都合を押し付けているのだ。少しでも彼女が快適に過ごせるよう、相手の話をきちんと聞き配慮すべきではないかと主張していた。世話役も一度会わせてから決めるべきでないか、と。
それを強引にテオドルフに任命したのが陛下だ。それを強権で決めたことに反発した王妃が、王宮内で過ごす侍女の手配は全て彼女が決めていたらしい。
今は引退しているが元筆頭侍女頭であった一番信頼のおける者へ王妃が自ら頼み込んで、聖女の侍女長として仕えながら、今回の話を聞き出したと言うのだから、王妃の采配は賞賛されるものなのであろう。
引退している侍女頭は、王妃陛下の乳母でもある。
相手の考えを察知する事に長けており、現役時代は気配りの天才とも呼ばれていた彼女。
そんな元侍女頭は、聖女から見て元の世界で数年前に亡くなってしまった彼女の祖母に顔つきや雰囲気がそっくりだったらしい。
最初は暗い表情で過ごしていた聖女も、元の世界に置いてきた家族を想い、彼女の胸で泣いた後からはだんだんと折り合いがついているのか、笑顔が増えたようだ。
「この件に関して私が聖女に謝罪をした際、彼女は何と言ったか覚えておりますか? 『私が我慢さえすれば、丸く収まるのではないかと思った。男性が苦手と言っても理解されないと思って……』と言われたのですよ? つまり我々は聖女に我慢を強いていた、という事。その事を自覚なさってください。聖女は貴方の駒ではありませんのよ」
まだまだ怒りが収まらない王妃陛下に憔悴しきった国王陛下を見て、アンリエットは聖女関連の事については王妃殿下が取り仕切る事になるだろう、と思った。
聖女はこの国を守護する存在、つまり国王以上の地位と権力を持っている。と言っても、それは王侯貴族の命令を拒否できるというという点に於いてだが。
そうであっても、国王陛下が彼女を駒にするなど言語道断だとアンリエットは思う。年端もいかない聖女を良いように扱うとは、彼女への冒涜だろうと。
――アンリエットが聖女は同年代である事を知るのは、もう少し先のことである――
アンリエットは聖女と話したのは一度だけだ。しかも短時間。
だからこそこれから彼女に課せられた使命は……王妃陛下の言う通り、聖女との信頼関係を構築していく事。そのためにフローレンスやクラーラ、そして聖女筆頭である侍女頭に協力を得ようと頭の中で計算していた。
世話役がアンリエットに変わって一ヶ月ほど。
聖女マリナが一週間後に魔門の封印を施す事になった頃。
アンリエットとフローレンス、クラーラは侍女頭と相談して、アンリエットの屋敷のガゼボでお茶を嗜んでいた。
今日の茶会は聖女マリナが日本という国で飲んでいた緑茶に似ているらしい「蒸し茶」というお茶や、「甘豆」――日本では餡子というらしいが――を用意した。
以前彼女が日本での甘味の話をした時、アンリエットは思い当たる節があったのだ。父の協力により、その品々を輸入し、今日この日に披露したのである。
お披露目した時の喜びようは凄まじく、聖女マリナは瞳に涙を溜めるほどだった。
三人にとっては初めての、聖女マリナにとっては懐かしさを感じる甘味と茶を味わっていた時、ふと彼女が呟いた。
「もう限界だったのです」
いきなりそう言い出した彼女に、三人は目を見張る。呟いた彼女の姿はまるでそこから消えていなくなるのではないか、と思えるほどに儚かったためだ。
静寂が支配したガゼボで、聖女マリナの声だけが響いた。
「アンリエットさん、私の世話係を引き受けてくださり、ありがとうございました。私が今こうして笑う事ができるのは、アンリエットさんやフローレンスさん、クラーラさんのお陰です」
「そう思って頂けて光栄ですわ」
聖女マリナの言葉にアンリエットは答える。言葉は発しないがフローレンス、クラーラもアンリエットと同じ想いだ。
「本当に良かったです。あの時は常に息が詰まっていて苦しかったので……」
「マリナ様……」
「……おかしいと思われるかもしれませんが、私は男性が苦手なのです」
痛々しげな顔でポツポツと話し始めた聖女マリナは、目に涙を溜めながら話し始める。
きっと彼女は三人を信頼してくれたのだろう、とアンリエットは思った。その心が垣間見えた事は嬉しくもあるが、彼女の悲痛な表情を見ていると「無理して言わなくて良いのですよ」と今すぐにでも言いたくなってしまう程だ。
だが彼女の瞳には覚悟が宿っているように思う。アンリエットは彼女の話を止めることなく、耳を傾ける事にした。
彼女の話を聞き終えた時には、真上にあった太陽が傾き始めていた。
聖女マリナの話をまとめると、男性を苦手としている理由は彼女に対してストーカー行為が頻繁に起きていたからなのだそう。ストーカーとは、好きでもない人や知らない人に付き纏われる行為だ、と聞いてアンリエットたちも血の気が引いた。
更に彼女は元の世界で自身の身に起きた事を話してくれた。
持ち物がいつの間にか無くなったり、下駄箱に名前のない贈り物が入っていたり、下校途中に後をつけられたり……そんな事が何度もあった上に、注意しても何度も続くその行為に彼女は男性を見て恐怖を感じるようになってしまったのだ。
その被害が数年続いた後、聖女マリナは病気を患ってしまった。しかも入院が必要となってしまったのだ。
病院で過ごすようになり、最初は男性の医師に診察されるだけでも拒否反応を示していた彼女だったが、目に見えるストーカー被害が無くなった事で彼女の精神も落ち着いてきたらしい。
転移する直前には友人にお薦めされた乙女ゲームと呼ばれる娯楽を楽しんでいたそうだ。こちらに来る前にも「二次元なら大丈夫じゃない?」と渡されたゲームを途中まで遊んでいたのだそう。
そんな最中異世界に移転した。召喚魔法陣の周囲にいたのは男性が大半だったため、最初は何が起こるか分からず震え上がっていたそうだ。
久方ぶりに思い起こされる恐怖で身慄している中、魔法陣の奥で見守っていた王妃陛下が手を差し伸べてくれたらしい。
「もしそれが男性でしたら、拒否反応を起こしていたかもしれません」と彼女は顔面蒼白になりながら話していた。
聖女マリナにとっては、そこで男性が手を伸ばしていた方が良かったのかもしれない。男性が苦手だと理解すれば、世話役はアンリエットたちに依頼が来ていたかもしれない。
アンリエットはそう考えたが、首を振る。聖女さえも駒であると考える国王のことだ。無理矢理にでもテオドルフたちに任命していただろう。
最初はテオドルフたちも聖女マリナに気を遣ってか、距離を置いてくれていたらしい。彼らも学園生なので授業があるため、彼女の護衛に任せて授業へ向かうこともあったし、授業後は生徒会の仕事があるからと別行動のことも多かったのである。
だが一ヶ月ほどするとその境界が無くなったという。
「ある日テオドルフ様が脈絡もなく『女性の護衛には聖女を任せられない』と言い始めてから変わりました。私は基本研究室で訓練を行なっていたのですが、授業中も放課後も全て見られて……いえ、監視されるようになりました。私が『授業は』『生徒会は』と尋ねても、『問題ない』『私たちは聖女を守るのが仕事だ』と口々に言われまして……その時に彼らの顔をじっと見て気づいたのです。昔、付き纏っていた人と同じような瞳だった事に……」
昔の事を思い出したのか、彼女の瞳から涙がこぼれ落ち、しゃっくりをし始めた。
アンリエットは立ち上がり恐る恐る……けれども優しく背中を摩る。
この頃の聖女マリナは「世話役をつけて貰えたのは私がこの世界に不慣れだからだ。陛下の慈悲だ」と思い込んでいたらしい。
だから監視されるようにじっと見つめられていても、女性トイレ以外の場所にずっと貼り付いてきても、「好意から行っている事だ」と自分自身に言い聞かせていたそうだ。
しかしそこから一ヶ月程経った頃、彼女の耳に入ってきたのは「聖女の好きな人は殿下だ」「殿下と聖女は恋仲だ」という噂だった。
愕然としたそうだ。
その上、その頃から学園を歩いていると周囲の生温かい見守るような視線を受け始めた。それに耐えられず彼女は研究室に籠るようになったが、彼女と同様にテオドルフたちも研究室に居るため、更に噂の信ぴょう性を増してしまう。
そんな時彼女の持っていたハンカチが、一枚無くなった。
普段使い用に与えられていたのだが非常に綺麗なバラが刺繍されており、よく気に入って使用していた物だった。ハンカチは王妃殿下から貰った物でもあったため、聖女マリナは学園内を探し回ったらしい。
それでも見つからず途方に暮れていたのだが……数日後テオドルフの側近の一人が持っていた事が発覚する。
当時その側近も一緒に探していたのだ。なぜ言ってくれなかったのか……と指摘すれば、よく分からない言い訳ばかり。
その行動が過去の記憶を呼び覚ましてしまったのだ。
……その時「もう無理だ」と思ったらしい。顔色が悪い事に気がつき優しく話しかけてきてくれた侍女長を見て、我慢ならなかった聖女マリナは思わず泣いてしまい、この件について洗いざらいぶち撒けたのである。
この事が陛下たちの耳に入り、世話役交代の話に繋がったとの事だった。
だから交代に繋がったのか、と納得する。
アンリエットたちは噂話の内容しか知らされていなかった。何故国王が命令を変更してまで、世話役が交代になったのか――これを聞いてしまえばテオドルフや側近だけではなく王家の醜聞にも繋がる話だ。醜聞が揉み消せる今のうちに彼らと彼女を物理的に離すことで、解決するよう考えたのだろう。
テオドルフは現在謹慎処分を受けている。一週間後の封印のための教育、と表向きには発表されているが。そのため代理で婚約者のアンリエットたちに任命された事も現在では周知されている。
テオドルフの執務室には聖女時代に書かれた古文書が所狭しと置かれているらしい。古語なので読み解くのも大変なはずだ。
外出もほぼできず、部屋の外に出るのは武術訓練の時だけだと王妃陛下が話していた。
側近二人の婚約者曰く、彼らも表向きは実践訓練のため、と言われて現在王都にはいない。
幸いなのは彼らは真面目に授業を受けてきたので、この謹慎処分を受けたとしても卒業には影響しないことくらいか。
「話す事もお辛いでしょうに……教えて頂き、ありがとうございました」
「暗い話でごめんなさい。でもアンリエットさん達には聞いてほしいな、と思ったの。だって、私は皆さんをお友達だと……思っているので……」
自信が無くなってしまったのか言葉が尻すぼみしていくマリナの様子に三人は顔を見合わせた。
恥ずかしがっているのだろう、耳を赤くしている彼女にアンリエットは声を上げて笑った。
驚いたらしいマリナは首を傾げてアンリエットを見る。
「アンリエットさん、どうしたのですか?」
令嬢は声を上げて笑う事がはしたない、とされている事を知っていたマリナは思わず尋ねていた。
「ふふふ、マリナさんはとても可愛らしいと思ったのです――それに友人の前なら……素顔を出しても良いとは思いませんか? ねぇ、フローレンス、クラーラ」
「仰る通りですわ」
「私もマリナさんの友人として末席にいても宜しいでしょうか?」
三人の言葉が嬉しかったのか、満面の笑みを湛えた彼女は千切れんばかりに首を縦に振る。
「勿論です! あ、皆さん……是非私のことはマリナと呼んでください」
「では、私のことはアン、と」
「私はフローラと」
「私はララとお呼びください!」
マリナの晴れやかな声が庭に響き渡る。令嬢としてではなく友人として肩の力を抜くことのできるこの茶会は、アンリエット達にとっても楽しいものとなった。
そんな時ふとマリナが「そう言えば……」と、ある娯楽の話を始めたのである。
彼女の話に耳を傾けつつ、有益な情報を得たアンリエットは今後の行動を頭の中で計算し始めたのだった。