夢見草の誘い
『おれだけど、わかる?』
「あらあら、誠一君? ちょっと声がおかしくない?」
『花粉症だから鼻声なんだよ』
「あらそう。気を付けなさいね。急に電話なんてどうしたの?」
寿賀子さんは、電話口から聞こえる若い男の声におっとりと訊ねた。
『じ、実は……大事なクルマをぶつけちゃって急にお金が必要になって……』
電話口の声は申し訳なさそうに答える。
「まあ、大変! じゃあ、急いでお金を用意しないといけないわね。まっていなさい、おばあちゃんが持っていくから。何処に持っていけばいい?」
『あ、ありがとう、おばあちゃん。おれ今、花岡公園にいるんだけど』
「近所だわね。すぐに行くから」
寿賀子さんは返事を待たずに電話を切った。
タンスの中からお金を取り出して財布に入れ、ちょっと上等なハンドバッグに押し込む。
さっと外出着に着替え、パタパタと玄関に向かった。
「あれ? お母さんどうしたの?」
娘の咲花がリビングから声を掛けてくる。
娘婿が今日は孫を連れて出掛けているらしく、彼女は久しぶりに一人でのんびりとテレビを見ていたらしい。いまはCM中らしく「特殊詐欺、皆でふせごう、声掛けを」などというメッセージが緊迫感あるBGMと共に流れていた。
「うん、急ぎの用ができてね。すぐそこだからちょっと行ってくるわね」
「気を付けてね」
バタンとドアが閉まる音の向こうに、娘が母を案じる声は閉じ込められた。
*
花岡公園は小さな児童公園だ。住宅地の真ん中ではあるが、公園を囲むように植えられた桜は今が盛りと咲き誇り、寿賀子さんを驚かせる。
それよりも、と寿賀子さんが公園内を見回すと、そこに男が一人……と子供が一人。
その子供は、子犬が転がるように駆け寄って来た。
「おばあちゃん!」
「誠太君。大事なクルマはどうなったの?」
「ブランコの横でひっくり返っています」
答えたのは娘婿の誠一。
寿賀子さんの孫の誠太君を連れて、花岡公園に遊びに来ていた。
「誠太がね、エイプリルフールだからおばあちゃんをびっくりさせようって言い出しちゃいまして。オレオレ詐欺の振りをしたら、来てくれるかな?って」
誠一は、すみませんでしたと謝った。
「やーねえ、謝ることないわ。誠一君の電話から誠太君の声で掛かってくるんだもの、すぐ分かったわよ」
「おれ、おばあちゃんとお花見したかったの」
「うん、ありがとうね。おばあちゃんびっくりしたわ!」
家の中では気付かなかった春の訪れに、寿賀子さんは朗らかに笑った。