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【短編集】 このネタ、温めますか?

ガラスの靴、売ります。

作者: 吉遊

 私は、所詮世の中はお金がすべてだと知っている。

 だから貴族としてのプライドなど後生大事に抱えているべきじゃない。没落貴族には没落貴族らしい生活というものがあるのだ。


「母さん! なんで新しいドレスなんて買ってきたのよ!!」


 何度言っても治らない浪費癖はもはや病気だと思うが、今月の生活費を使い込まれては黙っていられない。まして、母が買うのはお腹の足しにもならないドレスや靴、宝石といった装飾品ばかりだ。せめて骨董市にでも行って掘り出し物の一つでも見つけてきてくれればいいのに。

 いくつになっても貴族令嬢のような甘い考えのままでは困るのだ。……おもに娘の私が。


「そんな大声を上げるなんてはしたないわよ、グレース。あなたも年頃なんだから、もう少し女の子らしくなさい」


 素敵なドレスでしょう、と自慢げにそれを広げて見せる母にはもちろん反省の色は微塵もない。

 淡いピンク色でフリフリのレースが理解できないほどついているそのドレスは、まさか私のじゃないだろうな。

 くすんだ灰色の髪をした私にはそんな明るい可愛らしい色は似合わないとどうしてわからないんだろう。色彩感覚か、美的センスが死んでいるとしか思えない。あと金銭感覚も。


「返してきて」

「嫌よ! 素敵なドレスだし……買ったものを返すなんて恥知らずなことできるはずないじゃないの」

「いつまで貴族気分でいるつもりよ。残ってるのは名ばかりの爵位だけで、領地も屋敷も使用人もとっくに失くなったていうのに」


 少なくても私は自分を貴族のご令嬢だ、などと思ったことはない。

 物心つく頃にはこのちょっと大きいだけのボロ屋敷に住んでいたし、乳母だった最後の使用人がこの家を去ったのは私が三歳になる前のはずだ。

 父から伯爵家の紋章とその証明書を見せてもらうまで、我が家が貴族だというのは母の妄想だと思っていたくらいなのだからそれも仕方ないけど。


「どうして、そんなひどいことを言うの」


 さめざめと泣く母から趣味の悪いドレスを取り上げる。

 母の戯言に付き合っている暇はない。さすがに返品は受けつけてくれないだろうから、行きつけの質屋で少しでも高く買い取ってもらえるように交渉しなくてはいけないのだ。

 今日の夕食の準備もまだできていないし、今度のバザールで売ろうとコツコツ作っているレース編みの小物もまだ決めたノルマに達していないし、最近雨漏りがひどくなっている屋根の補修も今週中には済ませてしまいたい。


(母さんの相手をする暇は私にはないっての!)


 恨めしげなその声を振り切るように、私は乱暴に家のドアを閉めた。



 ◇◇◇



 他はどうか知らないが、この王都では貴族たちの住んでいるエリアと平民たちが住んでいるエリアははっきりと分かれている。

 そして私の住む家はその両者のエリアのちょうど間にあった。


「おー、グレース。今日はオレンジが安いぞ! いくつか買っていかないか?」

「ごめーん! 今お金ないの!」

「まぁた母ちゃんが使い込んじまったのか。ほれ、この辺りは売り物になんねぇし持ってけよ」 


 いつも親切にしてくれる果物屋のおじさんにお礼を言って先を急ぐ。

 ”ボロ屋敷の伯爵一家”として私たち家族はここらじゃちょっと有名人だ。母はその扱いにもちろんいい顔をしないが、私は商品の値切り方や、よい食材の見分け方、節約レシピなどを教えてくれる街の人たちにとても感謝している。

 母が私に教えるのは、貴族としてのマナーだとか、ダンスの仕方だとか、そういう今の生活に必要だと思えないものばかりだから余計にそう思うのかもしれない。

 まあ、読み書き計算はわりと役立ってるけど。


「グレース」


 質屋へと急ぐ私を次に呼び止めたのは、顔見知りの不審者だった。


「なんの用? 見ての通り急いでるんだけど」


 相変わらずこの平民街に一ミリも溶け込む気のない格好をした男だ。

 名前は聞いていないので知らない。

 金持ちであることを隠そうともしない豪奢な服装に、その服に負けない端正な顔立ち、命令することに慣れた口調、どれをとっても私とは違う本物の貴族様だ。

 この不審者と顔見知りになってはや半年。

 顔を合わせる頻度は月に二・三回といったところだろうか。一度目の出会いは偶然だが、それ以降は確実にこの不審者の意思によるものだと思う。なにせ、毎回こうやって向こうから声をかけてくるのだから。


「俺に会うために急いでいるのかと思ったんだが?」

「頭のネジでも飛んでるの? 街をうろつく前に医者にでもかかった方がいいんじゃない?」


 明らかに年上の男性への態度ではない。そんなこと私だってわかっているし、他の人にこんな失礼な口の利き方をしたりはしない。

 だけど目の前の男はときどき私を待ち伏せしている少々頭のおかしい不審者だし、この半年で真面目に対応するのが馬鹿らしいと気づいてしまったんだから仕方ないでしょう。

 今だって、私の言葉に少し頬を染め胸を押さえている男は不審者にしか見えないし。


「本当に面白い女だ。この俺にそんな口を聞くのはお前くらいだぞ」

「交友関係が狭すぎるんじゃないの」


 そもそもどこの誰かも知らないのだ。

 貴族なのは間違いないと思うが、男の口から自身の身分や立場についてはっきりと語られたことはないし、男の話の端々からかなり上位の貴族であることを窺わせる言葉は出るが、それが真実なのか確かめるすべも興味も私にはなかった。

 もしも、男の本当の身分とやらを知ってしまったら、私だってこんな口は利けないだろう。

 男が私に名前を名乗らないのもそれがわかっているからなのかもしれない。


「残念だが、今日はお前とのおしゃべりを楽しみに来たんじゃないんだ」

「なに一つ残念じゃないんだけど」

「明日の夜に王城で大規模な舞踏会が行われるのは知ってるか?」

「私、急いでるって言わなかった? ……もう行くわね」


 早くしないと質屋が閉まっちゃう。

 あの質屋、がめついくせに営業時間が不規則なの本当に迷惑だわ。


「待て。人の話はきちんと最後まで聞け」

「あんたが言うな」


 この男に言われる筋合いは絶対にない。

 ガシッと掴まれた腕を鬱陶しげに払えば、私の態度など気にした様子もなく、不審者は迷惑にも私の進行方向に回り込んできた。

 誰か警吏を呼んでくれたりしないかと辺りを見回すが、みんな私と目が合う前にサッと顔を背け、足早にその場を去ってしまう。……誰だってお貴族様には関わりたくないよね。


「どこを見ている?」

「誰か助けてくれないかなって」

「なにか困っているなら俺に言えばいいだろう。どんな状況だとしても、お前を助けるなど造作もないぞ」


 その言葉に男へと視線を向けると彼は真剣な目で私を見ていた。


「じゃあ、退いて」

「そんなに急いでいるのか。……なら、歩きながら話そう」


 そういうことじゃないんだよ。どうしてそう気遣いの方向性が斜め上なんだこの男は。

 恋人かという距離でぴったりと隣を歩く男の行動はいつも理解できない。


 なにがしたいのか。なにを私に望んでいるのか。


 聞けば、答えてくれるのだろうか。

 私はそれを聞きたいのだろうか。


(この、中途半端な関係……嫌なわけじゃないのよね)


 この男は私の生活にある日突然入り込んできた異物だ。

 顔見知り以上知人以下の関係は、曖昧だけどそれほど悪いものじゃない。気を遣う必要もなく、好き勝手言える相手というのはわりといないし、おおよそこの先の人生で接点を持つ可能性のある人じゃないのもいい。顔色を窺うことも、関係性を保つ努力も必要ないというのは案外気が楽なのだと知った。

 これは、この男が何者か知ってしまったら成り立たない関係なのだ。


「で、舞踏会がなに?」

「グレースは参加するのか?」

「するわけないじゃない。そんな暇もお金もないわよ」


 明日の夜に王城で開かれる大規模な舞踏会はいわゆる”お見合いパーティー”らしい。

 御年十七歳になられる王子様に婚約者の一人もいないことを嘆いた彼の母親が、国中の年頃の娘を集めて、彼の気にいる相手を探そうという趣旨の舞踏会だ。


 出るわけがない。


 貴族も平民も関係なしに集めているという話だが、どうせ出来レースでもう候補は決まっているとの噂が流れているし、そもそも私は今月の生活費を稼ぐのに忙しくてそんなところに行く暇はない。

 友人たちは王城のなかを見る機会なんてそうないし、見学がてら目の保養に貴族のお嬢様の美貌を拝みに行くと言っていたけど。


(あ! ひょっとして母さんが新しいドレス買ってきたのって、これのため?)


 手のなかの悪趣味なドレスも娘を思う母の愛だと思うとなんだか嬉しい気持ちに……なるわけなかった。これ一枚でうちの食費何日分だと思っているのだ、我が母は。


「そうか」

「……出ないでほしかったの?」

「なぜだ?」

「なんか、嬉しそうだし」


 あからさまにほっとした顔をした男は自覚がなかったのか、自分の口元をむにむにと揉んでいる。

 私の質問には結局答えず、男は”じゃあな”といつも通り許可なく人の頭を撫で、貴族街の方へと歩いていった。



   ◇◇◇



「グレース」


 今日は不審者によく会う日ね。

 まあ、この不審者は名前も職業も知っているけど。


「リュリュ」


 名前を呼べば、自称魔法使いの男はフードで半分以上隠れた顔に笑顔を浮かべて私の方へ近づいてきた。

 先ほど会った男を不審者その一としたら、こっちは不審者その二といったところか。いや、出会ったのはリュリュの方が先なので、そうなるとあっちがその二になるのかもしれない。


「よかった会えて。家に行こうかと思ってたんだ」

「……家の場所なんて教えたことなかったと思うんだけど?」

「えー、あはは。そうだっけ?」


 不審者としてのレベルはこっちの方が高そうだ。

 まあ、”ボロ屋敷の伯爵一家”の家を知ってる人は多いし、リュリュは私が没落貴族なのを知っているのでそうおかしなことでもない気がする。

 自称している職業が”魔法使い”の時点で、彼が怪しいことはいまさらな気もするし、あまり追求はせず話の先を促した。


「実は、グレースにお願いがあってさ。……明日の夜に王城で開かれる舞踏会に出てくれない?」


 この話題、流行ってるのかしら。

 ついさっきも同じようなことを別の不審者と話したばかりだ。


「悪いけど、私はそんな暇もお金もないの」

「報酬なら出すよ! ドレスとかもこっちで準備するし!」

「報酬?」


 思わず聞き返すと、リュリュは我が意を得たりとばかりに力強く頷いた。

 質屋に持っていったドレスは案の定大した値段にはならなかったし、今月の生活費は非常に心許ない状態だ。

 我が家は借金こそないが、いつだって生活はカツカツで苦しい。

 少しでも臨時収入を得ることができれば雨漏りで腐りかけている床板の張替えもできるかもしれない。頭のなかで素早く計算器具(アバカス)を弾く。


「ちなみに、報酬ってどれくらい?」


 なんとなく小声になってしまう。

 私に合わせるように同じく小声で返してきたリュリュが提示した額に、私は一も二もなく文字通り飛びついた。


「やるわ!」

「やった! グレースならそう言ってくれると思ってたよ!」

「こちらこそ助かるわ。舞踏会に出るだけでいいのよね?」

「うん。参加するだけでいいから。顔出して適当に会場をうろうろしてくれたら十分」


 破格の条件だ。

 舞踏会なんて華やかな場、なんとなく気後れするが、友人たちも行くのだからそれに便乗させてもらおう。誰かとダンスを踊れとか言われたら二の足を踏んだと思うけど、うろうろするだけならなにも難しいことはないし。


(あっ、でも……あいつに、行かないって言っちゃった)


 名前も知らない男の顔が頭を過ぎる。


「ドレスと靴はこれ使ってね。あっ、終わったら全部グレースに報酬としてあげるから」


 それも、リュリュの続けられた言葉にすぐ霧散してしまった。




 リュリュから渡されたのは藍色のドレスだった。ところどころ白い糸で品の良い小さな花が刺繍されていて、きれいと可愛いのちょうど中間のような印象を受ける。

 鏡に映る私はいつもよりずっと澄ました顔をしている気がして、なんだか気恥ずかしかった。


「私が用意したドレスも素敵だったのに」


 私の髪をきれいに結いながら、まだそんなことを言う母に呆れた目を向ける。


「私にあんな淡いピンクは似合わないの。フリフリレースもお断りよ」

「グレースは可愛らしいんだからなんでも似合うわ」

「……親の欲目でしょ」


 くすんだ灰色の髪も、薄い水色の瞳も、何度見ても我ながら地味だと思う。

 母は美人だけど、私はどちらかというと父に似ているし、ツリ目がちな気の強そうな顔は可愛らしいという言葉からは遠く離れている。


「でも、ガラスの靴なんて初めて見たわ」


 母の言葉に足元へ視線を落とせば、リュリュの用意した靴が目に入った。

 木でも布でも革でもなく、ガラスでできた靴だ。

 まったくサイズに融通がきかなそうな素材のくせに、私の足にぴったりと合ったそれは、不思議な輝きを持って私の足元を彩っている。


「さあ、そろそろ出ないと遅れてしまうわよ」

「うん。いってきます」

「気をつけなさいね。殿方の甘い言葉にはとくに」


 念を押す母に笑いながら家を出る。

 待ち合わせ場所で友人たちと合流し、互いにドレスや髪型を褒め合いながら、王城へと向かう今夜限りの馬車へと乗り込んだ。




 舞踏会は私の予想よりも何倍も華やかで豪華な場所だった。

 隣の友人たちも私と同じようにポカンと口を開けて辺りを見回している。これが王族や貴族の世界だと言うなら、私はやっぱり貴族ではないとしみじみ思う。


(あいつも、いるのかしら?)


 きょろきょろと周囲の人を見るが、幸いなのか貴族は貴族、平民は平民で固まっているらしく、私の周りには見慣れた庶民しかいない。


「見て見て! あの子、めちゃくちゃ可愛い!」

「お姫様っぽい美少女がいたわ!」


 友人たちは遠目に見える貴族のお嬢様方に夢中だ。

 年頃の娘として、もう少し男性にも目を向けた方がいいと思うんだけど、彼女たちからすると貴族の男性はそもそも恋愛対象にはならないらしい。

 結婚において”身分が絶対”というほどお固いお国柄ではないはずだが、生きる世界が違うと言われてしまえば、まあそうだなと納得してしまう。

 身分を超えた恋が夢物語だとは言わないけれど、わりと奇跡みたいなものではあると思っている。


「ねえ、あの方が王子様かな?」


 そんな言葉に貴族たちがいるさらに向こうへ視線を向けると、国王夫妻と思しき二人の男女のすぐそばに、私より一・二歳上の少年が立っているのが見えた。

 王子様の金色の髪が光に反射してキラキラ輝いているのがここからでもわかる。

 さすがに王子様には興味をそそられるのか、友人たちもお嬢様方を観察するのをやめて、瞳の色もわからない距離から一生懸命に王子様を見つめている。


「…………」


 でも、私の目にはそんな国王一家の近くでいつもと変わらない偉そうな態度をした男しか見えていなかった。


(なんで、そんなところにいるのよ)


 そんな遠いところに。

 もうあの男に軽口を叩く日は来ないだろうな、とぼんやり思う。それが私と彼の正しい距離なのだと知っていたはずなのに、こうして目の前に突きつけられるとなんだか苦い気持ちを抱いてしまっている自分に笑いが漏れた。

 別に恋をしていたわけじゃない。

 ただ、なんとなく大事にしていたものを失くしてしまっただけ。


(やっぱり来るんじゃなかった)


 この世はお金がすべてなのだから、私の選択は間違ってなんかいないはずなのに、なぜかそんなことを思ってしまった。




 沈んだ気分のまま、会場の隅に置かれている料理を堪能するために黙々と口を動かす。

 リュリュは舞踏会には参加するだけでいいと言っていたので、本当はもう帰ってもいいのだけれど、せっかくタダで食べられるご飯があるのに無視していくのは勿体ない。どれも普段口にすることも適わない高級品とくればなおさらだろう。

 同じような考えの人は多くいて、幸い私の行動が浮くこともない。


「……グレース。……グレース!」

「なあに? この鴨肉、とっても美味しいわよ」

「お肉なんてどうでもいいのよ! なんか、あの貴族様あんたのこと見てない!?」


 容赦なくバシバシと叩かれた肩が痛い。

 興奮している友人が指差す先にいたのは、名前も知らないあの男だった。


「……気のせいじゃない?」

「なんでよ!? めっちゃ見てるわよ!!」

「え、え、ひょっとしてグレースに一目惚れしたとか!?」


 微かに見開かれた目から彼が驚いているらしいことがわかる。

 まあ、参加しないと伝えていたのだから当たり前かもしれない。彼は私がここにいるとは思いもしなかったのだろう。


 ――グレース。


 男の口が自分の名前の形に動いたのを見て、私は彼に背を向けてその場から走り去った。



   ◇◇◇



 心臓が痛い。

 なぜこんなに必死に走っているのか自分でもわからなかった。

 王城の門を抜け、城下へと続く階段を転げ落ちるような勢いて下っていく。足を止めると今にもなにか恐ろしいものに捕まりそうで、私はひたすら足を動かした。

 荒い息が耳につく。

 呼吸もままならなくなりそうなほど走ってからようやく足を止めた。気づけば靴を片方どこかに落としてきている。


(ああ……ドレスと一緒に売ろうと思ってたのに)


 片方だけでも買い取ってくれるだろうか。

 ガラスの靴なんて珍しいからいい値段がつくんじゃないかと期待していたのに。


(……馬鹿みたい)


 頭の半分でいつものようにお金や生活のことを考えているのに、ふと、あの華やかな場所で自分は彼にどう見えたのかを考えてしまう。

 街で会うときの彼は名前も知らないただの不審者で、私はただの生意気な十五歳の少女でいられたのに。私たちの関係は傍目にはどうでも、二人の間では対等だったはずなのに。


 貴族としてのプライドなんて持ってない。


 でも、どうしてか不釣り合いな格好をした姿を見られたことがどうしようもなく恥ずかしかった。




 一晩寝れば、たいていのことは自分なりに整理ができてしまうのが私の良いところだと思う。


(だいたい悩んだって仕方ないしね)


 もとから縁などなかったのだ。

 名前も知らないあの男とどうにかなりたかったわけでもない。あのときの感情はなんだか薄れてしまったような気もするし、ひょっとしたら案外ああいう非日常的な空間に当てられただけなのかもしれない。


(私は”ボロ屋敷の伯爵一家”のグレース・ベアトクリス)


 いままでもそうだったし、それはこれからだって変わらないはずだ。

 そう思うとなんだかスッキリした。

 リュリュのおかげで結構な臨時収入を得ることができたし、昨日のドレスと片方だけになってしまった靴も質屋へ持っていけば少しは値段がつくだろう。

 あと一月もすれば、出稼ぎに行っている父も帰ってくる。

 年を越せば私も十六になるし、そろそろ働き者のお婿さんをもらって商売でも始めようかしら、なんてことを考えながら朝食の支度をしていると、少し乱暴に玄関のドアが叩かれた。


(……誰?)


 日は昇っているが、人様のお宅を訪問するにはまだ早い時間だというのに、ノックの主は気が短いのかこちらの返事を聞く前にさらにドアを強い力で叩く。

 ちょっと、そんなに強く叩いたら壊れるじゃない。”ボロ屋敷”の異名は伊達じゃないのよ。


「どちらさまですか!」


 ついこちらも乱暴にドアを開けてしまった。

 ドアからガタッと不穏な音が聞こえたのは気のせいだと思いたい。いまさらだが力一杯握ったドアノブからそっと手を離しておいた。


「グレース」

「あ」

「昨日はどうして舞踏会に……いや、それよりなぜお前がガラスの靴を履いていたんだ?」


 ドアの向こうには、もう会わないだろうと思っていた不審者が見たこともない険しい顔で立っている。


「なんであんた……いえ、失礼いたしました。どのようなご要件でしょうか?」


 いつものように話しかけ、途中で言葉遣いを改めた。

 目の前の男が上位貴族だと知って、流石にいままで通りの態度を取るわけにはいかない。一応私も同じ貴族ではあるはずだが、その地位は文字通り天と地ほども違う。


「……俺が貴族なのは見当がついていただろう。なぜいまさら態度を変えるんだ」

「”そうかもしれない”と”本当にそう”では意味がまったく違うからです」


 確証がない間は知らなかったですませることができる。

 許されるかどうかは別にして。言い訳にはなるし。

 そして、知ってしまったら、知る前には決して戻ることはできない。自分でも詭弁だなぁと思うけどそれが身分というものだ。

 納得できないという顔をされても知らんわ。


「俺はジェラルド・デルヴァンクール。スカルラット王国の外交特使だ」


 スカルラット王国はうちの宗主国だ。

 そこの外交特使ともなれば、なるほど国王にも偉そうな態度でも許されるだろう。我が国は悲しいかな従属国のなかでも最弱だ。

 本当に偉い人だったんだなぁとなんだか馬鹿みたいな感想を抱いてしまった。


「が、ここではただのジェラルドだ。敬ってほしければ最初から身分を明かしている」

「でも年上ですし」

「年は見たときからわかっていただろう。第一、俺がいいと言っているんだ。それを覆せる奴はこの国にはいないはずだ。敬語はやめろ、いいな」

「……敬わなくていいって言うくせに、命令するのはなんなの?」


 めちゃくちゃ権力を振りかざしている。

 私の言葉に満足気に笑う顔はいつもの不審者――ジェラルドのものだ。なんとなくその顔に力が抜けた。彼がいいと言うのだからいいんだろう。


「それで、なんだっけ? ガラスの靴?」


 ジェラルドが語ったのは、昨日の舞踏会の所謂”政治的な思惑”というものだった。

 なんでも我がロッソ国の王子であるベルトラン・エルヴェシウス様の結婚相手がスカルラット王国にとって厄介な相手にならないようにするのがジェラルドの仕事らしい。

 国内の結束をあまり強くされると面倒なので、有力貴族と結婚しそうになったらそれとなく妨害したりすると聞いて、宗主国からのうちの国をコントロールしようとする圧がすごいなと思った。


「とは言っても、ベルトラン王子の結婚相手はほとんど決まっているがな」

「やっぱり出来レースだったんだ」

「出来レースと言うより、ベルトラン王子には恋人がいるからその女性を選ぶための茶番だな」


 スカルラット王国もその恋人を推しているらしい。

 貴族ではないが裕福な商人の娘さんで、王子と結ばれてもとくに誰も得をしない相手であるという。……損はしないからいいのか。

 王子様としては好きな人と結婚できるんだから、この話で唯一得をするのは王子様本人ということになるのかもしれない。


 で、ガラスの靴は本来その王子様の恋人があの舞踏会で履くはずのものだったらしい。


 王子様の気に入る相手を探すための舞踏会で、彼の恋人が密かに参加し、あたかもそこで見初めたかのように振る舞い、結婚相手に指名するという筋書きだ。


「まどろっこしすぎない?」

「チャンスを与え、公平に選んだという形が大事なんだ。ロッソ国は王家の力が強くない。しかし、その王家に無理を通せるほど貴族たちの力が強いわけでもない。恋物語のような結婚話は貴族・庶民ともに受けがいいしな」


 問題が起きたのが、舞踏会の二日前。

 元来身体が丈夫ではない王子様の恋人が緊張からか体調を崩してしまった。流石に影も形もない人物を結婚相手に指名するのは無理がある。急遽代役を立てる必要が出てきてしまい、それに光栄にも選ばれたのが私というわけだ。


「でも、なんで私なの?」

「ベルトラン王子の恋人とグレースは髪の色と背格好が似ているらしい。俺も誰に代役を頼んだのかまでは把握していなかったが」

「じゃあ、私に舞踏会に参加してほしくなさそうだったのはなんで?」


 この際だ、気になることは全部聞いておこう。

 いままでのやり取り的に、ジェラルドが私に身分を知られたくなかったわけではなさそうだし。


「別に参加してほしくなかったわけではないが……まあ、茶番とはいえ他の男の結婚相手を選ぶ場所に行くなどいい気分はしなかったな」


 これはどう受け取ればいいんだろう。

 突っ込んで聞きたいような気もするけど、”じゃあお前はどうなんだ”と返されたら私はうまく答えられる自信がない。ジェラルドに対してほのかに抱いているこの想いが恋なのかもいまいち自信が持てないくらいには自分の気持ちがわからないのだ。

 父への気持ちとは違うし、近所の男友達たちへのものとも違う。

 でも、それがどう違うのかはやっぱりよくわからない。


「それで、ガラスの靴はどうしたらいいの?」

「よかった。まだ持っているんだな。質屋に売り飛ばされると不味いから急いで来たんだが」


 私のことをよくわかっていらっしゃる。

 あと一時間遅かったら、間違いなく質屋へ売りに行っていた。


「あっ! でも、私……あの靴片方失くしちゃったの」

「ああ、城門の近くに落ちていたから回収している。気にするな」

「ならよかった。ガラスの靴は返すけど……ドレスも返したほうがいい?」

「いや、ドレスは構わない。よく似合っていたが、気に入ったのか?」

「ううん。ドレスだけでも質屋に持って行こうと思って」


 少しでも家計の足しにしなくては。

 そもそもドレスなんて持っていても今回以外使う日が来るとは思えないし、私はとくに思い出を取っておく派でもない。

 似合っていたという言葉がなんだかくすぐったかったが、それとこれとは別の話だし。


「……ガラスの靴はこちらで買い取ろう」

「ええ!?」


 そんな、いいのだろうか。

 私としてはめちゃくちゃ助かるけど。確かにリュリュはドレスも靴も報酬としてくれるって言っていたから、本当は”返す”って変だなと思わないでもなかったけど。

 頭に一瞬”二重取り”という不穏な言葉が浮かんだが、全力で見ないふりをすることにした。


 所詮世の中はお金がすべてだ。


 しかし、ジェラルドが提示した額は法外すぎて流石の私もそのままもらうことは躊躇われた。金貨は重い。金貨は重すぎるよ。……金銭感覚が死んでる人がここにもいるとは。




 そのあと、ジェラルドに売った――言い値ではない――ガラスの靴は無事王子様の恋人のところに秘密裏に運ばれたそうだ。

 王城からの使者が”このガラスの靴を履いていた娘を探している”と件の娘さんの家を訪ね、衆人環視のなかでぴったりと彼女に靴が合ったのを見て”おお! あなたこそ王子がひと目で恋に落ちた女性に間違いありません!!”という茶番劇を繰り広げたらしい。

 そんなわけで、いま街は王子様の結婚という祝事に湧いていた。


「ロマンチックって……こうして作られてるのね」


 友人たちから聞いた後世に語り継がれそうな恋物語となった今回の出来事は、ジェラルド曰く”茶番”で、私的には裏事情まで知ってしまったからか”王族とか貴族って面倒くさいんだなぁ”という感想しか浮かばない。

 仕事は終わったはずなのに、相変わらず溶け込む気のない格好で平民街をうろつく男は、そんな私の言葉に不思議そうに首を傾げて見せる。


「現実離れした理想を叶えるなら、そこには確実に作為があると思うが?」

「確かに」

「まあ、そのロマンチックとやらを叶えられた根本にはベルトラン王子の想いがあるのだから、巷で噂されている恋物語もあながち間違いではないだろう」


 ジェラルドと私の関係に概ね変化はない。

 彼が不審者よろしく私を街で待っているのも一緒だし、私の彼への態度や言葉遣いもすっかり以前と同じだ。


「ジェラルド」


 変わったのは、私が彼に対して呼びかける名前を知ったことと。


「あんた、いつになったらスカルラット王国に帰るのよ?」

「グレースを連れて帰る準備ができたらだな。まあ、あと二年は待てるから気にするな」


 この偉そうな外交特使様が、私の結婚相手なんていうものに勝手に名乗りを上げていることくらいだ。




 ――ガラスの靴を売ってしまった私には、どうも王子様じゃない相手が用意されていたみたい。




すぺしゃるさんくす


一緒にあらすじを考えてくれた相方 雨柚

今回も執筆中BGMをかけてくれた相方 雨柚

隣で仁王(ゲーム)を頑張っていた相方 雨柚

最後までよくやった自分 吉遊


そして、ここまで読んでくれた皆様。


ありがとうございました!

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