喫茶店の天使
みつりに調子の良いことを言ったものの、達也の心は既にぼろぼろだった。
三回も落ちていると次もどうせ落ちるんだろうな、などと悲観的な考えが頭に浮かぶ。
面接先に向かう足取りが自然と重くなり、何度もため息を漏らしてしまう。
「少し、休憩でもするか」
達也は向かう先を面接場所から大通りの喫茶店へと変えた。
喫茶店の前に立つだけで達也のテンションが上がる。
達也の気になっている人がこの喫茶店で働いている。
ビクトリア調時代の豪華絢爛な装飾品の数々。
ほのかに暖かみを感じるような照明。
敷き詰められた絨毯。
一人で来るには多少勇気がいるが達也は通い慣れている。
古風なロングスカートで白と黒が織り交ぜられた服を着用したメイドが達也を席へと案内してくれる。 店内を見回すとなかなかに繁盛しているようで、ショートスカートのメイドなども給仕をしている。
英国を意識しているだけあり、ここで働く店員さんは外国の方も多い。
目当ての店員を見つけると、達也は一人頷き、今日も天使だなと一人納得した。
レイラは絹のような艶やかできめ細かい髪を腰辺りまで垂らしている。
可愛らしさと美しさが同居したような顔立ち。
メイド服を大きく押しのける胸。
しかし、メイドとしては些か不慣れで、挙措が落ち着いているとは言いがたい。
中学三年にスメルマンになったとき、周りから自然と避けられ一週間はへこんでいた。
あるとき、偶然達也は喫茶店に立ち寄った。
店員や客が自然と達也を避けるのは、どこも同じだった。
しかしレイラだけは違った。達也が休憩し終わり、会計に向かうとレイラがレジについた。
あたふたと慣れない手付きで会計をし終わると、
「ありがとうございましたっ!」
達也の手を包み込むように、釣り銭を渡し、そして特上の笑顔まで届けてくれた。
天使だ! 天使がいる! 俺の手を触ってくれるなんて!
俄然テンションが上がったのを覚えている。
こんな臭いでも優しくしてもらえ、自分の手を握ってくれるなんて考えられない。
達也はこの店に一生通おうと決意した。
達也はテーブルのメニューを広げた。バイトをしてなくて金欠気味なので、ウーロン茶でも頼もうかと鈴を鳴らしたときだった。偶然フロアで手の空いていたレイラが気づき、駆けつけてくれる。
咄嗟の出来事に達也も動揺した。
「ご注文はいかがいたしましょうか?」
達也はメニューのウーロン茶を見返した。
「アメリカンコーヒー。砂糖とミルクなし」
かっこつけてしまった。見栄を張ってしまった。大して飲めもしないのに。
そんなことにレイラは全く気付いた様子がない。
当然だが、レイラは自分のことなど覚えてもいないだろう。
「ありがとうございますっ! 実は、最近オススメのメニューがございまして……春期果物パフェ――」
「ではそれもお願いします」
どや顔だった。被せるように答えた達也に戸惑いつつもレイラは笑顔で応えてくれる。
レイラの笑顔を見ているだけでくさくても良いんだと思えてくる。
レイラのオススメを断れるわけがない。
レイラが去ったあとにどんなものかと、メニューを広げ春期果物パフェを探した。
達也はそれを見つけた瞬間、メニューをぼとりと落とした。
三千円だった。
レイラの笑顔が三千円なら安いと納得し、苦いコーヒーを飲み干してから達也は席を立った。
会計に向かうと、別の店員がついた。達也はそのままレジの手前で直角に曲がり、トイレに直行した。
トイレから再び席に着くこと数回目。周りからは既に変な客だと思われている。
次に立ち上がったとき、少し離れた主婦から心配気に声を掛けられる。
「お腹いたいの?」
「実はレジの前で急に腹が痛くなる病気なんです」
「大丈夫?」
レイラが会計についた。
「大丈夫です。もう治りました」
そそくさと達也はレジに向かう。顔がにやけないように、努めて冷静に財布を取り出す。
会計を済ませると、いつものようにレイラは手を包み込むように釣り銭を渡してくれる。
そうなるように達也は支払いで小銭が出るように渡していた。
この世に会計というものがあって心底良かったと思う。
「ど、どうかしましたか?」
達也の顔がにやけていたらしい。
「い、いえ何でもありません」
「またお越しください」
いつも一生懸命な声音に達也は勇気づけられる。
「あ、あの……その。今日バイトの面接なんですよね」
一体こいつは何を言っているのだろうとでも思ったかもしれない。
しかし、戸惑いすら見せずレイラは顔を綻ばせ滲むように笑った。
「きっと大丈夫ですよ! 上手くいきます!」
やっぱり天使だ! 達也は心の中で泣きながら、喫茶店を出た。
世界が見違えるようだった。
レイラに会うだけでこれだけで世界が変わって見える。
心が前向きになる。
世界平和について考えたくなるほどだった。
ふっとある考えが口に出る。
「実は俺はくさくないんじゃないか」
そうだ。そうに違いない。今までも何かの誤解だったのだ。
達也は前向きだった。
自然と大通りを歩く歩幅が大きくなる。自信に満ちあふれた歩き方になる。
心なしか背筋が伸び、胸を張っている。
近づいてきた犬が達也の横でひっくり返った。
…昼間に食べたドッグフードが俺の近くで急に当たったのだろう。賞味期限に気をつけろよ。
達也が通ると人混みが鼻を覆い隠し始める。
………みんな人前で鼻をほじりたくなったんだろう。やるなら家で堂々とほじった方がいい。
女子高校生が達也の方を見て、くさ、と言っていた。
………………………俺の身体から草でも生えていたんだろう。ただそれだけのことだ。
達也は堂々たる歩みでバイトの面接先に向かった。個人経営の飲食店だった。
次第に緊張が高まり始める。これに落ちれば、もう面接の弾はない。
しかし今までの失敗がよぎる。
声に出そう。自分を励ますために。
「大丈夫。きっとうまく行く」
達也が扉に手を掛けたときだった。何の気なしに上空を仰ぎ見た。
次の瞬間には、達也はゴミの大群に身体を覆い尽くされた。
何とか這い出て、自分の汚れた身体や事態を呆然と眺める。
声に出そう。
自分を励ますために。
「だめだ。絶対おちた」
達也は身をよじりながら頭を大きく抱えた。




