精算
達也は呆然とした体でゴーレムの残骸を見続けていた。
エスタの目論みをようやく阻止し、街に被害を出さずに済んだ。
カンタイの本部に知られることはないから、これで管理担当官制度の崩壊を防ぐことができる。
世界規模の問題から次第に個人への問題へと心の焦点が合わさっていった。
ゴーレムを倒したことで社会的な有用性が――
「あ……」
達也はその事実に気付き、唖然とした声を漏らした。
ゴーレムに関する事件は内密に処理する必要がある。
しかし、ゴクチョウに書く総合項目はどうなるのか。
事件に関してゴクチョウには詳しく書く必要がある。
しかし、書くことになれば、詳細な内容を審問委員会や上層部に伝えなければならない。
そして、そこには田中の名前を記す必要があった。
先輩担当官である田中は直ぐ様意図を察したようで、小さく笑った。
「遠藤くん……俺のことはリーシャさんの人物素行調査票にしっかり書くんだ」
「でも田中さんは……ゴミ人間のことを思って……それに田中さんは別に怪我をさせたわけじゃない!」
何と言って良いか困ったように田中は首を横に振った。
「それでも、アジリスタの人たちを怯えさせたという事実は消えないよ。俺はケジメをつける必要がある。それに……アジリスタからの侵攻があったと書けない以上、誰がゴーレムを使ったか、誰がゴミ人間襲撃事件の犯人か、ははっきりさせた方が良い。それに俺は適役だ。元々エスタの命令でゴーレムと世界を統括しようとしてたからね」
ゴーレムや襲撃事件がアジリスタの内情と結びついていたと報告することはできない。
誰かの個人的な理由で生じた問題だとしなければ、ゴミ人間と担当官の制度が崩壊する。
「悪いことをしたんだから、償うのは当然さ……回収車も燃やしたから」
そうだ、と思い出したように田中はスーツの中から小瓶を取り出した。
「これはゴミの臭いを消す薬剤だよ。俺はこれを使って遠藤くんの臭いを消して、もう一つの薬剤で自分に臭いをつけようとしていたんだ。どうだい、使うかい?」
微笑みながら田中は手渡してきた。
自分の手の中で小瓶を回転させて眺める。
何の遜色もない透明な液体が小瓶には納められていた。
「これが臭いを消す薬……」
唐突に手に入った解決策。達也は少しばかり戸惑いを覚えていた。
もう体臭は元には戻らないと諦めたときがあった。
一生風呂に入らない人間と女の子から誤解される人生なのだと悟っていた。
カンタイの管理担当官になったのも体臭を消す術を見つけるためだった。
小瓶の蓋を引き抜くと小気味よい音が鳴った。
「何か臭いはするのか?」
飲む直前にリーシャが歩み寄り小瓶に鼻を寄せる。
達也がリーシャに近づけた瞬間だった。
「何だか喉が渇いた」
小瓶を強奪して一気に薬剤を口に流し込んだ。
リーシャの頬が膨れあがり口のなかに薬剤が含まれる。
達也が唖然とした状態から声をようやく上げたときには、リーシャの喉がごくりと鳴った。
「ふぅ……味は悪くない」
「おい……俺の薬剤だぞ! 臭いが消えたんだぞ! これからコロンを使わない男らしい人生が待ってたんだぞ! これから女の子にもてまくったんだぞ!」
「最後のだけはありえないぞ」
リーシャに掴みかかり強引に口を開けさせる。
指で僅かに残っている薬剤をすくおうとした。
しかしリーシャは顔を振り達也から逃げ延びた。
縋るような瞳で達也を見た。
「だって……だって、これ飲んだら……タツヤが担当官をやめちゃうのだ」
切実で悲しみを伴った声音だった。
達也は確かに初めは臭いを消す方法を探していた。
バイトとしても管理担当官はブラックだし、解決できればやめてしまおうとも考えていた。
リーシャの切実そうな姿を見ていると、思わず笑ってしまった。
「……馬鹿だな。俺がやめたら誰がリーシャの尻を叩いてやれるんだよ。誰が魔法が使えない魔女の世話をしてやれるんだよ」
リーシャの瞳に喜びが満ちた。
「タツヤ……」
長年の相棒のようにリーシャが近寄った。
達也は再びがっちりと顔を押さえた。
「だから、薬剤を返しやがれ」
口を掴み無理矢理開けようとする。
「むひゅり、みゅりなのひゃ……」
二人のつかみ合いを遠巻きに眺めていた田中が間に入った。
「多分、もう吸収されて無理だと思うよ」
「そんな……リーシャのおしっこを飲んでもダメですか?」
「遠藤くんって時々変態だよね」
しかし田中はなりふり構わない提案も否定した。
「もう臭いを消す薬剤はない……でもある意味良いかもしれない。これから、アジリスタからゴミと一緒に刺客や問題が次々と降ってくると思う。でも降ってくる場所は遠藤くんのところだ。遠藤くんが頑張れば、政府や行政に知られずに内密に処理できる」
「確かにそうですが……責任重大ですね」
「責任ある仕事はやりがいがあるよ?」
「それ、誰かからも聞いたことがあります」
この仕事はやりがいで全てを誤魔化す傾向にある。
しかし田中の言う通りでもあった。
ここで達也が臭いを消せば、ゴミはランダムに降り、行政やカンタイの上層部に知られる危険性が増す。
内情を知っている達也が防波堤の役割を果たすことで管理担当官の制度を守ることができるかもしれない。
危ういパワーバランスの上で成り立っている制度を守れるかもしれない。
「俺の代わりに頼んだよ。リーシャさんもよろしくね」
「任せろ。今回みたいに魔女の力で倒してやる」
結局達也の臭いは消えないのだった。がっくりと肩を落としていると、
「まぁ、気にするな。わたしも風呂に入っていないからくさいのだ。一緒だな」
何の慰めにもなっていなかった。
――――――――――――――――――――――
三人は被害者の元を一通り回ることにした。
そして記憶を元に戻してから事情を説明し、謝罪することにした。
田中は襲った本人だが、達也の臭いが原因で襲われた人もいるからだった。
庁舎の居室にいたみつりにも二人は頭を下げた。
事情を説明すると、アジリスタの政情や侵攻が関わっていることを伝えないことを約束してくれた。
田中はスーツから手紙を取り出し、みつりに手渡した。
「悪かったね……君の手紙を取ってしまって。中身は読んでいないから」
ふっと笑うと、手紙を眺めていたみつりの頬が林檎のように赤くなった。
汗ばんだ手の中の手紙がぎゅっと握られた。
何かを決意するように眼差しに力がこもった。
みつりは達也に一歩近づいた。
「先輩、その……これ」
言葉が急に詰まった。
手紙を持ち上げたり下げたりと動きがばらばらだ。
緊張のあまり言葉が舌に絡み合っているように見えた。
そんな姿を見ていると、ふと思い出した。
「そう言えば、白峰が俺に渡そうとしてたんだっけか」
こくこくとみつりは頷いた。
「まさか、ラブレターか!?」
ぼんっと顔をゆでだこのようにするみつり。
直ぐ様、ぶんぶんと顔を横に振った。
「な、何言ってるんですかっ! 先輩のような情けなくてくさくて変態な人に渡すわけないですっ。これは、そのあれです……先輩のダメダメなところを書き連ねた手紙ですっ」
一気呵成に反論の言葉を並べ立てるみつり。
達也は呆然とした。
「そ、そうなのか……並べ立てるほど俺のダメなところが……」
「もっと思いついたので書き直してきますっ!」
みつりはそのまま手紙を手元にしまい込んでしまった。
田中はやってしまったなと言わんばかりの顔で二人を見つめていた。
田中が最後にもう一度謝ると、
「田中さんにはみつりの手紙を取ってもらって感謝しています。ありがとうございます」
田中は少しだけ救われたように笑った。
最後に田中は三枝のところに向かった。
簡単に事情を説明すると三枝は神妙な様子で頷いていた。
「そっか……あなたがね」
「俺だけじゃなかったよ、ゴミ人間を心配してくれてた人は。一人で抱え込もうとする前にもっと話合ってれば良かったかもしれないな」
今までの人たちはアジリスタの侵攻を黙ってくれることを快く受け入れてくれた。
「ほんと、そこが気に入らない。どうして教えてくれなかったの。一緒に飲んだ仲だったのに、互いに野望を語った仲だったのに」
「すまない……でも一緒に飲んだというよりは俺が一方的に奢らされただけだろ?」
「あら、そうだっけ」
二人して笑いを交わした。
三枝と田中の間には人事と担当官という立場の違いこそあるが、深い絆で繋がっているような気がした。
田中が最後に三枝の記憶を元に戻した。
三枝は目をぱちくりして田中を眺める。
「なんか、何も変わらないわね……あなたの経歴が消えたくらい。全く印象が変わらない。嘘だったのは経歴だけ。担当官としての姿は……ずっと、あなただった」
あふれ出る感情を抑えるように田中は肩をすくめて見せた。
「すまなかったね……ずっと騙してて」
「別に、いいわよ。それで、これからどうするの?」
「罪を償った後は……何も考えてない」
「やめるつもり?」
さあね、と田中は首を捻った。
「やめるかもしれない」
「やめたいならやめればいいわ」
三枝の言葉には怒りが込められていた。
「ただし、あなたの穴を埋める100人分の後輩を補充してからにしてよね」
はっとした表情になり、俯きがちな表情が三枝にゆったりと向いた。
「それができないなら、やめるなんて言わないで。うちは常に人手不足なんだから」
「そっか、そうだな……また戻ってくるよ。きっと」
失言に気付いたように田中の言葉に明るさが戻った。
田中が一番最後に三枝に謝った理由が何となくわかる気がした。
田中は居室にある机の荷物を整理に鞄に詰め込んでいた。
最後に、それじゃあ、と挨拶をしてから扉に手を掛けた。
「そう……忘れてたわ」
まるで投げやりな口調で三枝は言葉を投げた。
「あなたの本当の名前……教えてくれる」
田中は最後に三枝に振り返った。
「トーリ・センガイ」
「トーリ・センガイ……ね」
口の中で含むように名前を呼んだ。
「それじゃあね……田中」
田中はふっと笑ってから居室を後にした。
手を上げながら去って行く姿はやはり頼りがいのある先輩だった。
ふと、田中の通り道に一冊の本が落ちているのを見つける。
普通の本に比べれば遙かに薄い本。
右下には18禁と書かれたシールが貼られている。
中央には二次元の幼い女の子の乱れた姿があった。
「えっちな本なのだ……」
リーシャがぽつりと呟くと、三枝が覗き込んでくる。
「あぁ、それね……田中って二次元の同人誌集めるのが好きらしいのよ。特にエロね」
「嘘でしょ、田中さんが……?」
「想像できないでしょ、あの爽やかな面構えからは。ま、かなりの変態よね」
その言葉と共に田中の背中を目で追った。
未だに手を悠然と上げて進んでいる。
頼りがいのある先輩の背中が、急に変態の背中に変わっていた。
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事件の全ての精算が終わった後に、リーシャの自室へと向かった。
「事件は解決した。ゴーレムも倒した。これだけあれば、審問委員会に弾かれることもないだろ。後は面接に受け答えできるよう面接慣れするぐらいだな」
「そんなの余裕なのだ。心配するな。あ~資源ゴミになったら何を買うか迷う」
既にリーシャは資源ゴミになったときに増える給付金に目がくらんでいる。
「無駄遣いはするなよ」
窘めてはいたが達也は現状に楽観的になっていた。
結果に対して非の打ち所がなければ、審問委員会の再分別で心配することはない。
「さぁ、ちょっと面接の練習するぞ。後から多人数のパターンもだ」
「ぶぅぶぅ~だるいからまた今度なのだ~」
非難がましい視線を向ける。
呆れが混じったため息を吐いた。
「ほらほら、ちゃんと出来たらパンツ買ってやるから」
「ほんとか!?」
「あぁ。ちょっとだけだ。だから頑張れ」
物で釣るとは本当に子どもと親のような関係だった。
魔法が使えない魔女。粗大ゴミ不燃。
リーシャを自立させ、まともな人間にするのは時間がかかるな、と達也は面接の練習をしながら思った。




