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魔女、研究所で働く2


「なにしてんですかぁぁ!」

「わたしは何もしてないのだ!」


 リーシャの部屋にけたたましい音が鳴り響いていた。


 壁に張り付いているランプが赤く染まっていた。


 桐ヶ谷は音に負けないように声を張り上げる。


「何もしてないはずないです! 塩素濃度が上昇して警報が!」

「えんそ?」

「刺激臭のする大変危険な物質です! 吸いすぎると命を失います!」

「なに? 毒物じゃないか! 一体誰がそんなものを作ったのだ!」

「あなたですよ!」


 桐ヶ谷は何やら装置を色々と調節して扉や窓を開け放った。


 しばらくすると、警報装置の音が鳴り止み、あたりはしんと静まりかえった。


 長いため息を吐いて桐ヶ谷はリーシャに向く。


「ちょっと、失敗しただけなのだ」

「もう、勘弁してくださいよ。入れ間違いですか?」

「そうなのだ! その入れ間違いなのだ!」

「まさか酸、塩基とか基本的な劇物を知らないとかじゃないですよね?」


 リーシャはどきりとした。


「知ってるに決まってるだろう!」


 また一つ嘘を重ねる。


 嘘が肥大してもう取り返しの付かないところまで来ている。


 もうこのまま突破するしかない。


 魔女の自分ならきっと上手くやれる。


「ですよね。ありえないですよね。基本も知らないなんて……それから面倒くさいのはわかりますが、これからはドラフトで実験をやってくださいね」


 さて、ドラフトとは何だったか?


「今あたしが来たのは、リーシャさんを呼ぶためだったんです。これから定期進捗会があるので、主幹研究員のリーシャさんも来てください」

「わたしは何をすればいいのだ?」

「そうですね……実験結果に対するアドバイスや議論をして頂ければ」


 そんなことが果たして自分にできるだろうか。


 今までできるつもりで来たが、ここに来て自分の能力の範疇を超えている。


 無理だ……絶対無理なのだ……。


「ちょっと、と、トイレなのだ」


 会議の終了間までトイレにいることにしよう。


「会議室の隣にありますからそこを。ですが素早くお願いします。リーシャさんの顔見せも兼ねていますので」

「来週とかにならないのか?」

「せっかく来てるんだから今日やればいいじゃないですか」

「ほら行きますよ」


 渋っているリーシャを引っ張るように桐ヶ谷は会議室まで案内した。


 リーシャが会議室に入った途端、研究員の視線が集まった。


 それだけで緊張して身体が強ばる。


 また受け答えしなくていいだけ良かった。


 リーシャは大きな会議用の丸机の席に座った。


 研究員の一人が立ち上がり声を上げる。


「それでは定期報告会を始めたいと思いますが、その前に本日この高マテに優秀な研究員が来られました。それでは、自己紹介をどうぞ」


 隣の桐ヶ谷に急かされ、リーシャは視線を一身に集めるなか立ち上がった。


 自分の思考がぐちゃぐちゃになる。


 言葉が出てこずに、口がぱくぱくする。


「リーシャな、なのだ! 今日は良い天気で、空は青色。はいてるパンツは白なのだ! それから魔女なのだ!」


 言ってから自分が大変なことを口走ったことに気付いた。


 静かな湖面のように言葉一つない静寂。


 瞬間、沢山の笑い声が上がった。


『面白い方ですな。確かに着ている服もそうだ』

『いまだ誰も知らない新素材や技術を作る……そういった意味で魔女と称したのでしょうか』。

『茶目っ気もあり素晴らしい』。


 反応は上々のようでこれ以上は言えないと思いリーシャは座り込んだ。


 どっと身体中に汗を掻いた。


 早く終わって欲しいと常に願いつつ、リーシャは研究者たちの話をぼんやりと聞き流していた。


 あるとき、


「……について、リーシャさんはどう思いますか?」


 突然の話のふりにリーシャは付いていけなかった。


「え、えっと……」

「……溶液に何を入れたらという話ですが」

「ど、動物とか?」


 場が静まりかえったのを見てリーシャは咄嗟に続ける。


「……という冗談」


 場が笑い声に包まれる。


 リーシャは何とか冗談で済ませ、質問をくぐり抜ける。


 今度は一人の研究者が何やら溶液の話を始める。


「塩酸と硫酸の……」


 塩さんと硫さん……誰なのだ。


 友達か? 


 一体どうして友達を容器に入れるのか。


「……についてはリーシャさんはどう思われますか?」


 またしても質問を聞き逃していた。


 そもそも聞いていても答えられるはずもない。


 一同の視線がリーシャに集中する。


 しかし自分には答えの持ち合わせがない。


「わたしが答えるまでもないだろう」

「そ、それもそうですね。主幹研究員じゃなくても研究員でも答えられますね」


 逃げ切った。


 早く終われ終われと会議中念じ続ける。


 しかし会議の終了間近、再びリーシャに質問が降りかかった。


「エッチングの溶媒に関してですが、これらの種類のなかから……」


 リーシャの目の前に資料が回される。知らない文字が沢山並んでいた。


「溶液は知ってますね?」

「知らないわけないだろう」

「失礼しました。では、どれを使いましょう」


 冗談は言った。


 主幹研究員の地位の高さで一度は逃げ切った。


 しかしもう逃げ切れない。


 もうどうにでもなれと、リーシャ適当な二つを選び、


「これとこれを混ぜると良いのだ」


 言ってから、溶液を一つ選ぶという質問だったと気付く。


 そもそも答えになっていない。


「これとこれを……混ぜる? どういう意味ですか?」


 唖然としたような研究員。


「あ、いやその……」


 リーシャは上手く答えられなかった。


 あたりがすっと静まる。


「素晴らしい!」


 一人の研究員が立ち上がった。


「我々は今まで一つの溶液に何を使うかということばかりを議論していた。実際、今までの先行研究では一つの溶液に対しての効果を考えていたからだ! しかし、リーシャさんは我々の研究に新たな視点を持ち込んだ! 二つの溶液を混ぜた混合溶媒の可能性だ! 今までの議論は全て一つに絞ったものだったが、リーシャさんは常識にとらわれず、多角的な視点を常に持っていた! それが二つの溶液を選ぶこと! それこそが、現在の問題点を解決し、今後の新規の効果を生む溶液の開発! しかし、あろうことか我々はリーシャさんの回答に亜然すらした! リーシャさんが意味を聞かれて答えなかったのも、その多角的な視点を持つ意味を自分で気付かせるため! 気付けたときこそ、その人は新たな視点を持ち、成長する! そう言った意味が含まれていた!」

「その通りなのだ!」


 リーシャも便乗する。


 その人が何を言っているかはわからなかった。


「我々は常に多角的な視点を持つ必要がある!」

「そうなのだ!」

「それでこそ、新規の材料や効果を生み出せる」

「そうなのだ!」

「リーシャさんはこの研究所の未来をうれいている」

「そうなのか?」


 まぁそういうことにしておこう。


「研究所は一つの凝り固まった知識の連中が集まる。しかし、それでは多角的な視点からのブレイクスルーは生まれない。常に、そういった意識を持つように心がけるチャンスを我々にくれたのに、唖然とするだけの我々。本当なら、各個人が気付く必要がありましたが、すいません、リーシャさん……あなたの志高い行いを無視してしまって。うちの研究員は未熟ですが、これからもご教授、ご鞭撻をお願いします」

「うむ。精進するのだ。人は成長できる」

「今思えば、答えるまでもないという言葉も、我々が率先して考える機会を与えてくれていたのだ」


 そうだったのか! すごいぞわたし!


 リーシャは何とか一人の研究員に便乗してその場を乗り切った。


 会議が終了すると、何故か少しだけ研究員からの眼差しに尊敬が含まれている。


 リーシャは一人自分の居室に戻った。


「なんだかすごい疲れたのだ……働くのはだるいのだ」


 終業の午後五時にはまだほど遠い時間だった。


 少し休憩するかと目をつむった。


 次に目を覚ましたのは、扉が開いた時だった。


 目をこすりながらイスを傾けると桐ヶ谷の姿があった。


 リーシャは机に突っ伏して寝ていたらしい。


「どうしたんですかまだ終業じゃありませんが」

「いや、その……」


 寝ていたなんて言えない。


「まさか、もう終わったんですね! 実験が!」

「そうなのだ! 良い結果が得られたのだ!」

「データはどこですか? 見せてくれませんか?」


 ずいずいと迫る桐ヶ谷。


 そんなものは存在しなかった。


「頭のなか」

「すごいです! さすが天才です! パソコンも使わないなんて!」


 桐ヶ谷は一人感激している。


「じゃあ明日の定例会議で発表しましょう! パワポで全員の前でプレゼンです!」

「お、おう? まぁ、任せるのだ」

「明日、主幹研究員の発表期待してますね! 研究員全員呼びますから!」


 桐ヶ谷が退出して静まりかえる部屋。


 リーシャは一人頭を抱えた。


 やってしまったのだぁ。


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