ハローワーク
リーシャは靴を履いてから階段を降り、大通りへと進んだ。
こちらに来てから一週間しか経っていないリーシャにとって、まだまだ知らない物が沢山ある。
何故か鉄の塊が走っているし、馬などの動物が見当たらない。
ひとまず、リーシャはハローワークへと向かうことにした。
「ん? はろーわーくってどこにあるのだ?」
全く何も考えていないリーシャだった。
地図の文字が読めないリーシャは分からないなりに、人に聞くなどして目的の場所を目指した。
一時間後にようやくハローワークに到達することができた。
「ここが……はろーわーくか」
ハロワは人混みで溢れていた。
平日にも関わらずこれだけの人数がいるとは。
リーシャは城下町に行ったときを思い出した。
旅商人で賑わう市。
宿場に人を誘う娼婦。
そんな雑踏の中にも斡旋所があった。
季節の野菜の見張りや商人の護衛などの仕事があったはずだ。
この世界ではコンビニの店番や三枝がやっている紙を書く仕事があるのだろうか。
いずれにしてもリーシャには全てをこなす自信があった。
しかし、ここに来ている人たちはどこか表情が暗い。
職を見つけるのはそれほど難しいのだろうか。
「まぁ、わたしは魔女なのだ。心配いらないのだ」
「初めての方はカードに情報をご記入ください~」
店内で女性がときたま声を上げていた。
リーシャは初めてなので、店員が指差す方向に行き、人の列に並ぶ。
白い箱から紙が出てきたのでリーシャはそれを受け取った。
どうやら、それに情報を記入していくらしい。
「読めないのだ」
リーシャは声は理解できても、文字は読めない。
まだ勉強中だった。隣に座っている人は黙々と書き込んでいるが、まねをしようにも難しい。
「し、め、い。これは読めるぞ。やはり天才だな、わたしは」
氏名の欄にリーシャ・リーファルオンと書き込む。
「むむ? 読めないぞ」
隣の人は二択の文字の右側『男』という文字に○を付けていた。
「そうか。じゃあわたしも右に○をしよう。きっとわたしに相応しいはずなのだ。なかなかに順調じゃないか。魔女のわたしに出来ないことなどないな」
ドヤ顔だった。しかし、ドヤ顔もつかぬ間、リーシャの隣の客がどこかへ行ってしまったために何をしていいかわからなくなった。
次は三択のようだがリーシャには検討もつかない。
「仕方ない、占うのだ」
リーシャはアジリスタにいた頃から占いを得意としていた。
星の位置から占う方法が一般的だったが、リーシャは物を転がす方法をとっていた。
二晩湖に沈めた猪の牙を幾つか握り、太陽に向かって放り投げる。
牙には幾つか陣の印がついていて、それの向く方向と牙の位置関係でやるべきことを占う方法だった。
しかし、リーシャの手元には占いの道具がない。
アジリスタから持ってくることはできなかった。
「仕方ない……別のもので代用するか」
リーシャは机の上にあった物を何個か握りしめ、天井に向かって放り投げた。
「それ! 太陽と月の導きで我に道を示せ!」
「お客様消しゴムを投げないでください!」
店員の叱責を無視して、リーシャは床に転がった消しゴムから最適な選択を見つける。
こうしてリーシャは次々とカードを埋めていった。
「お嬢ちゃん……魔女みたいな格好だね」
目の前にいた男はじろじろと黒衣を着たリーシャを見つめている。
「わたしは魔女なのだ」
「へぇ……」
全く信じていなさそうな顔だった。
そこで達也がごみっ娘であることを隠した方が良いと言っていたことを思い出した。
その方が色々スムーズに進むとか。
「俺なんか面接にすら到達しないんだ。最近の不況のせいか、条件を下げても全く引っかからない。辛い世の中になったよ。以前は運送業についてたんだけどな……」
男は運送業という荷物運びの職について長々と語った。
リーシャには詳しい内容はわからなかったが、要は商人の荷物の運搬だろうと考えた。
「そうか、腰を壊したのか……大変だったのだな」
「まぁな。それで暫くしてから職を探しに来たらこれだよ。腰が悪いから運送業ももうできないし、新しい職をやるには歳を取り過ぎた……お嬢ちゃんはどうしてここへ?」
「職を探しに来た。捨てられたから、働く必要があるのだ」
何かを察したように男は声を落とした。
「そっか。お互い大変だな……」
「だな」
男と魔女は働く悩みを共有し腕を組んだ。
働くことは大変なことなのだ。
男の様子から自分の素性をリーシャは隠すことにした。
リーシャは占うのに疲れて、最後には適当に店内で見えた言葉をまねしてカードに記述した。
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暫くしてからリーシャの名前が呼ばれ、リーシャは机越しのスタッフの前に座った。
「もう仕事が見つかったのか?」
若い男性スタッフは慣れた手付きでリーシャのカードを流し見ている。
「いくつか、質問がありましたので、お呼びしました。えーとお名前はリーシャさん」
「そうなのだ」
リーシャはこのように一対一などであれば、緊張することはなかった。
多人数だと泣いてしまうほど人の目が恐い。
「失礼ですが、外国の方ですよね?」
「まぁ……そうなのだ」
リーシャは自分がごみっ娘であることを隠すことにした。
リーシャが住む日本以外にもクニが沢山あるからそのどこかにしておけば良いだろう。
「国籍は?」
「ここから一番遠いところなのだ」
くすりとスタッフは笑ってから、
「変な言い回しですね。ブラジルですか?」
「多分そこなのだ」
さらさらとスタッフはリーシャのカードに情報を書いていった。
「就労ビザはお持ちですか?」
「なんだって?」
「ビザです」
「ピザは注文すれば直ぐ届くのだ。美味しい」
「食べるピザではなくて、ビザです」
「あぁ、食べられない方か。ま、まだないのだ」
リーシャは知ったかぶりをした。
「なるほど。まだ在留から切り替えてないのですね。仕事をするときには必要になりますから、手続きをお願いしますね」
「任せるのだ」
「性別は……失礼ですが、女性ですよね?」
「わたしが男に見えるってことか? 失礼な奴なのだ!」
憤慨するリーシャをなだめすかして、
「いえいえ、すいません。カードには男性に○がしてありまして」
あれはそういう意味だったのか……とリーシャはぼんやりと思った。
「か、書き間違えなのだ」
「住所ですが……これ本当ですか?」
「本当なのだ。そこに住んでいるのだ」
「リーシャさんはハローワークに住んでいることになってますが」
そう言えば、良く分からないから壁の文字をまねしたのだった。
「書き間違えたのだ。後で直しておく」
「最寄り駅は……これであってますか?」
「合ってるのだ。家に近くて便利なのだ。良く使ってる」
「アメリカは国ですよ」
「……それも直しておくのだ」
段々と表情を曇らせてきたスタッフがカードの一点に目を留めた。
「……働く希望日数と希望収入ですが」
待ってましたと言わんばかりにリーシャは胸を張って答えた。
「週ゼロで月収三十万ほど欲しい」
スタッフはその言葉に頭を抱えていた。