晴れ時々ゴミ、所により魔女
魔女は最後まで自分が捨てられた理由がわからなかった。
人里離れた神聖な森。静謐な空間に絨毯のように敷き詰められた広大な湖があった。
鏡面のように磨き上げられた湖面のために、満月の夜には夢と現の二つの月が現れる。
二月の湖と魔女たちに呼ばれた湖畔に、神秘を求めた魔女の一団が住んでいた。
リーシャ・リーファルオンは午睡で重くなった瞼を持ち上げた。
籐の椅子に揺られている自分の身体。鼻腔に届く風変わりな香り。
自分がいつも過ごしている湖畔の小屋だった。
見ると、テーブルの上の蝋燭の火がゆらゆらと揺れている。
蝋の減り方を見て、薬草を煮ている暖炉の大釜の蓋を開ける。
夢の月に長時間沈めた霊草が踊るように液体の中を泳いでいる。
新たにそのなかにネズミの目玉を落としてから、リーシャは蓋を閉じた。
これで魔精との交信がうまくいけばいいのだが……。
触媒をいかに使うか、陣を右回りに書くか左回りに書くか。
雑多なことを頭で巡らせているときだった。
湖畔の上を吹き抜ける冬の風が小屋の中で舞い踊った。
「さ、さむい! 一体誰なのだ!」
小屋の扉が大きく開け放たれていたが、人影はない。
視線を下向けると、黒猫がまっすぐな瞳をこちらに向けていた。
「主があなたを呼んでいます」
「エスタ様が?」
宮廷魔道士であるエスタにリーシャは薫陶を受けているが、呼び出されることはあまりない。
嫌な妄想が膨らむばかりだった。
「お叱りなのか?」
「さぁ、私は何も知らされていません」
使い魔である黒猫は首を横に振った。
リーシャは叱責の原因に思い至り、はっとした。
「まさか、エスタ様の家にあった城下町の嗜好品を食べたことがばれたのか?」
「……主に食べたのはリーシャだと伝えておきます」
「しまったぁ!」
リーシャは頭を抱えた。
「とにかく、主がお呼びです」
「わかった。すぐ向かうのだ」
リーシャが扉から出ようとするのを使い魔が止めた。
「正装で行ってください」
リーシャは失念していた。師であるエスタと会うときには正装となる掟があった。
正装と言っても単純にエスタから受け取った品々を身につけるだけだった。
リーシャは部屋の隅に立てかけていた杖を手に取った。
二月の湖の水を吸って育った霊樹メルドールの枝木でこしられられた杖だった。
エスタの弟子たちは全員持っているものだ。
リーシャは寒さに咳を一つしてから、使い魔に振り返った。
「どうだ、これで文句はないだろう」
リーシャは胸をはり、杖を右手に持った。
使い魔は上から下まで吟味するように眺め見た。
「確かに正装で杖を持っています。ですが、全裸はやめてください」
リーシャは全裸だった。
全裸に杖を持っている。
そういえば、匂いがつくことを嫌って黒衣を脱いだままだったのを忘れていた。
「どこからどうみても魔女だったはずなのだが」
「どこからどう見ても変態です」
リーシャは黒衣を着直し、再び杖を握った。
そして使い魔と一緒に小屋を出た。
湖畔を眺めると、エスタに同じく師事している仲間たちが譜を唱えている。
今夜は暦上満月だと聞いた。魔力の繋がりが最も強まる夜なので、階位が下級の魔精と交信し低位魔法を肩慣らしに使っているのだろう。一面の湖を荒れ狂った海のように変える者もいれば、山火事を起こさんばかりの炎を操る者もいる。リーシャはそんな中には加わらなかった。
リーシャを見つけると、魔女たちは小声でつぶやく。
希代最強の魔女、と。
リーシャはそんな言葉を聞き流し、使い魔の後を追って山際のエスタの小屋に向かった。
扉の前に立つと、リーシャは少しばかり緊張してきた。
自分が呼ばれる理由が見当たらなかった。
やはり嗜好品を食べたことが原因だろう。
十個もあったのに、九個も食べたから怒っているのだ。
一つだけにしておけば良かった。
謝ろう。九個も食べてすいませんでしたと。
使い魔が先を促すように目で合図したので、つばを飲み込んでからリーシャは小屋に入った。
リーシャの部屋とは異なり、魔法の触媒が棚にずらりと並んでいる。
整理整頓できないリーシャとは違う、小綺麗な部屋だった。
最近はアジリスタの城に赴いているために留守が多いせいか、どこか物寂しげだった。
リーシャがあたりを見回しても、エスタの姿は見当たらなかった。
「どこにいるのだ?」
リーシャが振り返った瞬間だった。使い魔の姿が二重にだぶり、蜃気楼のように歪んだ。
魔精の大樹の第二系統樹。リーシャは睡魔によって意識を刈り取られた。
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次にリーシャが目を覚ましたときには、見慣れた光景はなかった。
薄暗く泥の中に埋もれているような感覚が身体中を覆っていた。
生臭い匂いに鼻を押さえながら、泳ぐようにして身体を動かした。
身体にまとわりついた異物を払いのけると、リーシャの全身が何かから浮き上がった。
「ここはどこなのだ……?」
周囲は薄暗く、空気は淀んでいた。
外壁にぽつりぽつりと存在する蝋燭が周囲をぼんやりと照らしていた。
螺旋状に床から回っている階段の一段に見慣れた人影があった。
「気づいたのですか」
黒衣のローブを身にまとったエスタだった。
己が血で朱色に染めた唇が鮮やかで、ローブに隠された輪郭だけで美人であることが窺える。
「ここはまさか……」
リーシャは驚きを隠せなかった。
薄暗い地下。エスタ。
この二つが結びついたとき、リーシャは周りの異物の正体に気づいた。
「……わたしは捨てられるのか!?」
最近エスタが魔精の大樹から新たな魔法を見いだした。
転移魔法だった。
次元を超える魔法は初めこそ驚かれた。
新天地への期待。領土の拡大。
膨らみ続ける夢はあるとき、致命的な欠陥で弾けた。
転移が一方通行だったからだ。
そしてそもそもどこに転移しているのかわからない。転移がエスタしか未だに使うことができない。
しかし、領土拡大による恩恵も無視できない。その結果、転移魔法は別の目的のために用いられた。
ゴミを捨てるということだった。
現状、アジリスタでは人口の増加とともに人間によって排出されるゴミの捨て場が問題になっていた。
大量のゴミを廃棄する場所が多くなり、国民が住む領土も減少していた。
人口増加とともにゴミの問題の解決はアジリスタの急務となっていた。
それを解決するのがエスタの魔法だった。
今までゴミを特定の領土に溜めていたのを全て城に集め、転移させることになった。
こうすることでゴミ問題による環境汚染や領土減少は解消された。
そして次に、人間を捨てることになった。
人口増加からくる食料問題の解決にエスタの魔法は有効だった。
使えない人間や役に立たない人間は次々と捨てられるのだった。
エスタはリーシャの問いかけにも答えず、譜を唱え詠唱を続ける。
ゴミを中心として陣が燐光を放ち輝き始める。
「どうしてわたしなのだ!? 謝るのだ! 悪かったのだ!」
とにかくこの状況を脱するには謝罪するしかない。
「嗜好品を九個も食べて悪かったのだ! 一つにすれば良かったのだ! 今度から食べるときは言うのだ! 『一ついただきます』って言うのだ!」
思いつく限りの弁解や謝罪をリーシャは並べ立てた。
そのどれもが心に響かなかったようだが、エスタは詠唱を途中でやめた。
「リーシャ……あなたは」
必死に訳のわからない弁解をするリーシャを哀れんだのか、エスタの口元が緩んだ。
「チャンスをあげましょう。魔女であるあなたがどうして捨てられるのか。答えによっては取り消してあげます」
リーシャは救いを得たようにこくりこくりとうなずいた。
「わかった。わかったのだ!」
「どうして捨てられるのか、胸に手を当てて考えてください」
リーシャはゴミ溜めの中、エスタに言われた通り、胸に手を当て、瞳を閉じて熟考する。
「何が原因か、わかりましたか?」
得心するように何度もうなずき、手を胸に押し当てる。
そして何かに気づいたように決然と顔を上げる。安堵したようにエスタの口元が広がる。
「ようやく、あなたも気づきましたか」
「わたしあんまり胸がないのだ」
「さようなら」
「待つのだ! うわぁぁぁぁぁ!」
リーシャはゴミごとどっかに飛ばされた。