【江戸時代小説/男色編】無二の恋
陰間茶屋の御用聞きである利助。器用で愛想がよく、陰間でもないのにその面立ちは美しい。おまけに仕草には妙な色気があることから、彼目当てのお客はあとをたたなかった。しかし利助は奉公に来ているだけであるから茶屋の陰間が嫉妬する。
*
ある日、陰間の桔華が贔屓していた客を取られたと、茶屋を上げての喧嘩になった。だが利助にそんなつもりなど一切なく、詫びる様子はない。さすがに茶屋の旦那も黙っていられなくなった。
ふたりは折檻を受け、暫く反省してろと地下牢に入れられる始末。
蝋燭一本の明かりの下でも、ふたりは互いに言いたい放題。
「お客が言い寄ってきてるんだから店のために少しは股開いたらどうだ」とか「股開くことしか能のないひとに小間使いの苦労がわかるもんか」とか、まああれやこれやとお互い言葉が尽きない。
仕舞いには口だけでは済まなくなって、取っ組み合いになったが、この場に仲裁するひとなんていやしない。
満足いくまで殴りあったふたりは、憔悴しきった体を仰向けにして寝転がった。冷たい地面が火照る体の熱を逃がしてゆく。
暗がりにさす蝋燭の灯火。聞こえるのは互いが息をする音。
陰間の桔華は「顔殴るの、避けてくれたのか。いいとこあるな」と言った。
それに対して利助は「顔を殴ったら親方に叱られるのはわたしだ。おまえはひ弱だと思っていたけど、結構やるな」と返した。
ふと横を向くと桔華と目が合った。彼もこちらを見ていた。
「なんか変な気分になってくるよ、おまえ見てるとさ」
桔華はそう言って顔を近づけた。利助は抵抗する気にもなれず、そのまま瞳を閉じた。
唇が重なる。最初は少し触れる程度だったものが、徐々に激しくなっていく。
なし崩しになり、互いに舌を入れ合う頃、桔華が身体を起こし、利助の上に乗ってきた。
「おい、これ以上は……」と、制止するも桔華は聞き入れず、着物の帯が解かれてゆく。
商品である桔華に手を出すことがどういうことか、利助にはわかっていた。桔華の手を力ずくで止め、彼の勃ちかかったそれを、もろ手(両手)で優しく包み込む。「こっちで勘弁してくれ。小間使いのわたし如きが思う通りにしてやれないのは、おまえもわかるだろう」と。
桔華はなにも言い返さなかった。そのかわりに「あっ、あっ」と桔華の口から艶っぽい吐息が漏れ始める。
利助は他人の男のものを扱くなど理解できないと思っていたが、いまの桔華を見ればよくわかる。
色白な肌がしっとりと汗ばみ、漆黒の瞳の奥に隠れていた色欲が現れる。
これほど煽られる妖艶な姿がほかにあるものか。
劣情に催され、利助は自ら桔華に深い口づけをした。
「おまえも、一緒に……」
下半身をさらけ出し、共に大きくなったそれを扱く。
ふつふつと湧き上がってくる絶頂の兆しに、利助も桔華も言葉を交わすこともなく、ひたすらに手を動かし、互いのものを擦り合わせ、口づけ合う。
利助が先に果てると、続いて桔華も己の腹めがけて白濁を零した。
ぐったりして肩に頭を乗せてくる桔華。利助は汚れていない方の手でそっと撫でてやる。
すると、一階に続く階段が軋む音がした。
誰かが降りてくる!
ふたりは慌てて乱れた服と髪を直すと、正座して階段を見つめた。
店の旦那が降りてきて一言「もう喧嘩しねぇんなら上げてやる」。
ふたりは「はい」と返事し、それぞれの持ち場に戻ることになった。
その別れ際、利助がふと「遠くで見ているだけで十分だったんだ」と、独り言のように呟いたのを桔華は聞き逃さなかった。
*
この一夜を最後に、桔華が仕事以外で利助に話してくることもなく、月日が過ぎた。
それは利助が奉公を終えて、実家の信濃の国(長野県)に帰るときも変わらなかった。
茶屋の旦那を始め、ほかの陰間が見送りに出ても桔華だけは顔を出さなかった。
利助は寂しい思いをしたが、あの日の一夜のことを想い返すと、向こうは関わりたくないのだろうと考えた。
*
時が過ぎ、桔華の年季明けの日。仕事仲間は涙を流して見送るが、桔華のこころは虚しいままだった。
「これから先、どうやって生きていくかな」
南風に吹かれて、ふと遠くを見ると、橋の上に見知った影がある。
見間違いかと目を擦る桔華。しかしそれは、紛れもない、夢にまで見たあの利助の姿だった。
桔華があっけらかんとして突っ立っていると、利助がこちらに気づき、桔華の前に来た。
「おまえの年季明け、ほかの子に聞いておいたんだ」と照れくさそうに笑った。
桔華は返す言葉が見つからなかった。
長い年月を経ていても、その言葉仕草の中には以前の利助の面影がある。
桔華が黙ったままなので、利助はいままでのことを話し始めた。
「おまえが身請けされていたらと思うと気が気じゃなかった」
あの日から利助は桔華のためにも仕事に励んでいたが、桔華を身請けしてやれるような大金など、どうやっても稼ぐことはできなかった。
その不甲斐なさが男としての迷いになった。
一旦実家に戻り、頭を冷やそうとしたが、どうやってもあの日の桔華が夢に出る。それほどまでに欲しているなら、いっそ……と、利助は桔華が年季を明けて店から出てくるこの機会を狙った。
信濃の実家を捨て、江戸に下り、ふたりで暮らせる少し広めの部屋を借り、下準備したのだった。桔華に断られたら、そのときはそのときだと考えた。
利助は最後に桔華に告げた。
「わたしと生きてくれないか」
桔華は驚きを隠せなかった。
桔華の喜び溢れる笑顔を見れると思っていた利助は混乱した。桔華が涙を流していたからだ。
「ど、どうしたのだ。はやり嫌だったか」
「いやなものか! だけど、おまえはあの日、言ったじゃないか。“遠くで見ているだけで十分だった”と、言ったじゃないか」
利助は眉を寄せて思い出そうと試みたが、流石に何年も経っているので、自分の言葉だが思い出せない。
しかし、目の前で桔華がその言葉に思い詰めていることを手がかりに推測した。
もしかして、あの日のことを後悔していると勘違いしているのか、だとしたら、こんなところまで来て、わざわざ出待ちすることなんてしないというのに。
桔華があんまりにも泣き止まないから、橋の上を行き交うひとがじろじろ見てくる。
「見せもんじゃないやい!」
「ああもう!」と、泣く桔華の腕を取る。そして河原まで走って来て、人通りが少なくなったことを確認すると、その場で強引に接吻をした。
あのときのように身を委ねてくる桔華。
涙はいつの間にか止まり、利助は唇を離した。
「おまえのことをずっと前から見ていたんだ! 御用聞きの頃から好いていた! おまえのことを穢れているなどと思ったことは一度たりともないッ! 」
その言葉を理解した桔華は、利助のあの発言が己の勘違いだと知り、安堵してほほ笑んだ。
花が咲いたような笑顔だと利助は思わず見惚れた。
桔華は、贔屓していた客に大金を積まれて身請けされそうになったこともあった。だが利助のことが忘れられず、茶屋の旦那が何度も考え直せと言うのも断って、ひたすら年季明けを待った。
そして桔華は、待っていてよかったと、心底思った。
「桔華、さっきの返事を聞かせてくれないか」
桔華の答えは既に決まっていた。利助と共に生きる覚悟はできていた。
固く頷く桔華。
利助は歓声を上げたいのを堪え、桔華をぐっと抱き寄せた。
それから「しあわせになろう!」と笑った。
少し落ち着いてくると、桔華が尋ねた。
「ところで、このあとのことはなにか決めているのか」
「ふたりで住まないか」
利助は「長屋暮らしでよいなら」と付け加え、少し不安に思って、ちらと桔華を見た。しかしそれは杞憂で、桔華は満面の笑みを浮かべて、利助に抱き着いた!
「利助といられるなら、どこだっていいんだっ!」
おしまい