しんそくのあんせくと
あの後、私達は休憩がてら公園に立ち寄り、ベンチに座っていた。
心地良い風が、汗をかいた額を優しくなでる。ざわざわと揺れる木々の音も相まって、おばあちゃんと行った草原を懐古した。
「日夏ちゃん……一言くらい声かけた方が良かったんじゃ……」
「いいのいいの。起き上がりこぼしみたいに直ぐ立ち直るから! それよりも、テントウムシは可愛いなぁ~」
あんなこの世の終わりみたいに叫んでいたのに……? まぁ、確かに五十五連敗もしたらああなるのも仕方ない気もするけど。
私はふと、日夏ちゃんの持っている虫かごの中のテントウムシに目を注ぐ。
「そいえば、そのテントウムシはなんて種類なの?」
「蜜花ちゃんも虫に対しての興味が湧いてきたみたいだね! この子は……『ナナホシテントウ』かな?」
七星? この子、見た目とか行動だけじゃなくて名前までも可愛いとか……本格的に好きになるかも!
……なんかアタタタタ! とか言う人の顔が脳裏を横切ったような……別にいいか。
「わ、私も触ってみてもいいかな?」
「どうぞどうぞ! じゃんじゃん触っちゃって!」
日夏ちゃんはテントウムシをかごから取り出し、優しく掴んで私の手のひらに乗っける。少しテントウムシの足がくすぐったいけど、そこまで気にはしない。
うわー! すっごく可愛いな~! ちょっとだけ触ってみようかな……。
私がナナホシテントウの体を指でツンとつついたその直後、ナナホシテントウは足を折り畳んで寝っ転がった。
そしてそのまま、まるで死んでしまったように動かなくなってしまった。未曾有の事態に、私は心臓がキュッと縮こまるのを感じた。
「ひ、日夏ちゃん! ナナホシテントウが……!」
あぁ……動物は殺さないって志しているのに……。これじゃ、もう動物と触れ合う資格はないね……。
どんよりとした雰囲気を出していると、日夏ちゃんがお腹を抱えて笑い始めた。
「あははは! 初めはそりゃあビックリするよね!」
「初めって……?」
少し涙を滲ませて、キョトンと目を点にして首を傾げる。
するとナナホシテントウはゆっくりと起き上がり、手のひらをテクテクと歩き始めた。
「それはね、テントウムシの外敵から身を守る技の一つ『擬死』だよ!」
「ぎし……?」
「簡単に言うと死んだふりだよ!」
良かった……本当に死んじゃったわけではなかったんだ。心臓に悪い……。
胸をなでおろすと、私はナナホシテントウを日夏ちゃんの手のひらへと返した。
「やっぱり私、虫は触るより、見るほうが好きだから返すよ」
「ちょっと意地悪だったね、ごめんごめん!」
ビックリしちゃったけど……別に危害は加えないし、見た目も可愛いから今度私も捕まえてみようかな……。
……あれ? なんかこの感じ、経験したことがあるような……?
――はっ!?
何かを察し、恐る恐る手のひらに目線を向ける。そこには……茶色の液体。ではなく、謎の黄色の液体が圧倒的存在感を放っていた。
昨日と同じ警告音が聴こえる……。念のため、念のために日夏ちゃんに聞いてみる。
「ひ……日夏ちゃん! こ、これは……?」
「ん? あー、それはテントウムシの『血液』だね!」
すると、私は件のショウリョウバッタのときと同じように小刻みに震えだし……。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!! 見た目とかが可愛くても、虫はやっぱり嫌いぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「大丈夫だよ! これもゲロみたいに無害だから! 少し臭いだけだから!」
臭い!? ゲロは匂いとかしなかったけど、これは臭いの!? ショウリョウバッタのゲロより醜悪じゃん!?
更に混乱に陥り、その場で腕を乱暴に振り始めた。
「落ち着いて! 水もタオルもあるから落ち着いて!」
「早く……! 早く拭き取ってぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
――折角愛着が持てたと思ったのに……こんな仕打ちって酷くない?
心の中では血液を手に出されたよりも、裏切られたショックで落ち込んでいた。
だけど、日夏ちゃんの虫かごに入っているナナホシテントウが申し訳ないようにこちらを見てきたので、少し元気を取り戻した。
「それで、今日は他に捕まえたい虫とかいるの?」
「んーー? 今日はテントウムシを捕まえることしか頭になかったからなぁ。どうしようかなぁ?」
……日夏ちゃんは知識とかがあっても計画性はないんだね……。
突然脳内に、電撃が走るようにある提案が浮かんできた。
「それじゃあ、ここらの植物を見て回る? そしたら何か虫もいるんじゃない?」
「それはいいね! でも……私花には詳しくないんだよねぇ……」
「大丈夫! 私、こう見えてまぁまぁ植物に詳しいから!」
花菖蒲っていう花は生まれて初めて聞いたけど……それ以外は普通の人よりは知っている! ……はず……。
「なら大賀ハスがある場所から回ろうよ!」
「いいよ!」
ベンチから立ち上がり、大賀ハスがある池へと向かおうとすると、二人の幼い男の子と女の子が虫捕り網を構えて、息を切らしながらこちらの方へ走ってきた。
それと同時に、横を小さな宝石のような物が通った気がした。
……? 気のせいかな?
二人は私達の前で、体力が尽きたのか膝に手をついて立ち止まった。
「ハァ……ハァ……。もう! あの変な虫速すぎ!!」
「お兄ちゃん……ミユ、疲れたから帰りたいよぉ……」
立つこともできなくなるほど疲れているのか、女の子はその場にペタンと座り込んだ。
続いて、隣にいる男の子も疲労に耐え切れずに片膝をついた。
「そうだな。兄ちゃんももう疲れたし……」
「二人共、何をそんなに追いかけてたの?」
未だ息を荒くしている二人に声をかける。かなり長距離走ったのか、汗が滝のようにドバドバと流れていた。
女の子の方が息を整えてから私達に目を向ける。
「あのね! すっごい綺麗な虫さんがいてね! 捕まえたかったけど逃げられちゃったの……ケホッ! ケホッ!」
「おいおい、まだ無理はすんなよ? ほら、水飲めよ」
「う、うん……ありがとうお兄ちゃん」
咳込んでしまった妹に、バックから水筒を取り出して飲ませる。いいお兄ちゃんだなぁ。
必死に水筒の水を飲む妹に優しい笑顔を向けた後、本題に戻る。
「……この近くを妹と虫捕りをしてたら綺麗な虫を見つけて、捕まえようと思ったんだけど、足が物凄く早くて全然捕まらないんだ……」
「成程、素早い虫……蜜花ちゃん! その虫を捕まえにいこうよ!」
「勿論!」
綺麗で素早い虫……全く想像できないけど、ゲロとか血液を手のひらに撒いてこない虫かな?
日夏ちゃんの提案に同意すると、お兄ちゃんは何か言いたげな表情をする。
「それで……悪いけどその虫を捕まえたら見せに来てくれませんか? 妹も見たがっていたし、俺も見てみたいから……」
「勿論いいよ! 直ぐ捕まえてくるから待っててね!」
日夏ちゃんがそう言うと、お兄ちゃんと妹はパァーっと、顔を明るくする。
「本当ですか!? なら、俺達はあそこの公園で待っているので、そこまで持ってきてください!」
「お姉ちゃん達! お願いね!」
二人は頭を軽く下げて公園へと向かっていった。仲の良い兄妹のためにも、その綺麗な虫を捕まえたいという想いが私の胸に満ちた。
二人はお互いに目を合わせ、
「日夏ちゃん!」
「うん! 絶対に捕まえよう!」
二人は「必ず捕まえて見せる!」という気合いを示すかのように虫捕り網を空に掲げ、綺麗な虫の捜索へと取り掛かった。