さくせん
「はぁ……日夏ちゃんが水とハンカチ持っててくれて助かったよ……」
「他にも消毒液とかもあるから怪我をしても大丈夫だよ!」
大道芸人のように消毒液や絆創膏をリュックサックのファスナーポケットから取り出すが、それらでは負った傷を治せそうにない。
初めて虫に対して心を開いたのに、ゲロをかけられるとは……それに、拭き取れていても嫌な感じは残ってる。ショウリョウバッタ、許すまじ……。
「それで? 蝶々はどこにいるの?」
「ここら辺はよく蝶々が飛んでいるはずなんだけど……今日はあんまりいないなぁ」
日夏ちゃんの言う通りで周りに蝶々は全くいなかった。私は蝶々は好きな部類なので少し期待していたが、いなくて少し残念。
悩んでいる日夏ちゃんに優しく声をかける。
「ここ以外によく蝶々がいる場所はあるんじゃないの?」
「林の方にあるけど……今日は短パンで来ちゃったから、毒虫に刺されちゃうかもしれないんだよねぇ……」
「毒がある虫なんているんだ……。やっぱり虫は嫌い……」
「だから蝶々が現れるまでここで待とうよ! 食べ物もあるから安心してね!」
帰りたいけど……家に帰っても引越しの後片付けがまだ終わっていないと思うから足手まといになりそうだし、それにここの雰囲気凄く落ち着くから別にいいか……。
私達は草原に座って空を眺める。ポカポカ陽気と小鳥のさえずりが眠気を誘う。
「そいえば……なんで日夏ちゃんは蝶々を追いかけていたの?」
「よくぞ聞いてくれた! 私は色んな虫を集めて、博物館を作って、皆に見てもらって皆に虫好きになってもらいたいんだ!」
眠気を吹っ飛ばして元気に立ち上がる。その笑顔は真上にある太陽に負けないほどの輝きであり、つい目が霞んでしまった。
「いい夢だと思うよ! 虫は苦手だけど……私も協力してあげるよ!」
「……! ホントに!? 蜜花ちゃんありがとう!」
二つの小さな太陽はお互いに目を合わして笑い合った。その輝きに導かれたのか、一匹の蝶々が私達の前を通った。
私は全く気が付いていなかったけど、日夏ちゃんは緊張感をずっと持っていたみたいで、目にも止まらぬ速さで虫取り網を掴んだ。
「――!? あれって……」
「やっと姿を見せた! 私を弄んだ罰として、捕まえて丁寧にお世話してやる!!」
なんだその脅し方は……。
日夏ちゃんはバッタを捕まえたときと同様にフェンシングの構えをし、蝶々へと突き出す。が、網は簡単に避けられてしまった。
蝶々は興奮状態に陥ったのか、先程よりもすばしっこく飛び回り始めた。
「やっぱりすばしっこいね……蜜花ちゃん! 挟み撃ちにしよう!」
「わ、分かった!」
蝶々が逃げていく場所に先回りして網を構える。そして、蝶々が私に近づいてきた瞬間、日夏ちゃんと同時に「うおりゃゃ!」と、掛け声を上げて網を振り下ろした。
しかし、蝶々は高度を上げて空高く飛んでいってしまった。蝶々がいなくなってしまった事に気付かず、私達はお互いの頭を虫取り網で覆ってしまった。
「ご、ごめん! 日夏ちゃん!」
「大丈夫だよ! それにしても……あんなにすばしっこいと捕まえられない気がしてきたなぁ。どうしようか……?」
「か、考える前に網をどかそうよ!」
両者網をどかす。ショウリョウバッタを捕まえた際に巻き込んだ草が、少し頭に付いてしまっていた。
パッパッと草を払い、蝶々の話に戻る。
「なにか蝶々にしかない特徴とか無いの? それが分かれば何か作戦が練れるかも!」
「――ナイスアイデアだよ蜜花ちゃん! そうだね……あの蝶々が『アゲハ蝶』ならあれができるかも!」
その後も二人は話し合って蝶々を捕まえるための作戦を練った。そして……。
「蜜花ちゃん! 作戦通りに頼んだよ!」
「分かった!」
落ち葉のカーペット、木々のカーテンで覆われた場所に足を踏み込む。案の定、この場所は「じめじめ」していた。
私達は目を合わせて頷き、左右に別れた。
「……! いたっ!」
ひらひらと漂っている蝶々を見つけ、捕獲モードへと入る。距離を詰めようとするが足場が少し悪く、体勢を崩してしまって大きな音を出してしまった。
その音に驚いた蝶々は翅を大きく羽ばたかせ、木立の陰へと飛んでいった。
「日夏ちゃん! そっち行ったよ!」
すると、蝶々は「ある所」に止まった。これに目を付けていた日夏ちゃんは一瞬の内に網を取り出した。
日夏ちゃんはまたもフェンシングの構えをし、網を突き出す。一見先程と同じで、何も学習していないように見えるかもしれない。
しかし、先程と明らかに違う点がある。それは蝶々の行動。
「これなら……いける!!」
日夏ちゃんの渾身の一突きは、見事に蝶々を捕らえた。日夏ちゃんは透かさず網を地面に叩きつけて逃げ道を塞ぎ、見事蝶々を捕獲できた。
例えようのない嬉しさに、日夏ちゃんは虫捕り網をその場に置いてツインテールをたなびかせた。
「やっったぁぁぁ!! 遂に捕まえられたぞぉぉぉぉ!!」
「おめでとう日夏ちゃん! やっぱり間違っていなかったんだね!」
「吸水のために一時的に止まる……やっぱりこの蝶々は『ナミアゲハ』だったんだ!」
私達はナミアゲハのあることに気が付いたのだ。それは「産卵」。
ナミアゲハは産卵をするためにあちこちを飛び回る。その距離は尋常じゃないので当然蝶々の体温が高くなり、それを冷ますために休憩をする……日夏ちゃんによるとね。
そこで私は吸水をするかもしれないと予測して、水が溜まっていそうなじめじめとしている日陰へと向かったのだ。
それだけなら逃げられていたかもしれないが、ナミアゲハは疲労が溜まっており、判断力が鈍っていた。なので捕獲が成功したのだ。
「それにまだ卵持っているんでしょ? 日夏ちゃん、良かったね!」
「蜜花ちゃんのおかげだよ! まさかナミアゲハを生態を利用して捕獲するなんて提案、私なら浮かばなかったよ!」
日夏ちゃんはウキウキになりながら網の中へと手を突っ込み、ナミアゲハの腹部の辺りを優しく掴んで網の外へと出して、肩にかけていた虫かごにそっと入れた。
「よぉぉーし! これで後『二百五十種類』くらいだね!」
「そうなんだ! 虫って案外少ないんだね」
これなら毎日一匹ぐらいのペースで平気そうだね! 案外道のりは激しくないんだね。
しかし、私が言ったことに日夏ちゃんはコテッと首を傾げる。
「……ん? 違うよ。これは残りの蝶々の種類だよ?」
「……え?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をし、頭の中を整理していると、透かさず日夏ちゃんが追い打ちをかけてきた。
「日本では『二千五百種類』ぐらいの虫が生息してるんだよ?」
『え……えええええええええええ!?』
あまりの衝撃に、今まで出したことがない大きさの声で驚いた。
そ、そんなに虫って多いの!? 一匹だけでこんなにも時間がかかったのに……それを後二千四百九十九匹ぐらい……めまいしてきた……。
だ、だからあんな嬉しそうな顔していたのか……! 渡りに船ってことだったんだ……。
「誰も協力してくれなかったのに……蜜花ちゃん大好き!」
日夏ちゃんは私に抱き着き、顔をグリグリとするが、小動物のように抵抗さえもせずに、自分はとんでもないことを約束してしまったと後悔をしていた。
もしかしたら私……とんでもないことに関わっちゃったかもしれない……。