黒い聖母
久しぶりに筆者の原点であるクトゥルフものを書いてみました。良かったらご覧ください。
Ⅰ
私が『黒き聖母の教会』を取材するつもりだと言ったとき、懇意にしている近所の教会の神父は大きく顔をしかめた。
「あそこは危ない。いかん方がいい」
いつもは温和な表情を浮かべている神父の皺深い顔が歪み、節くれだった手が私の服の袖を掴む。その態度は『黒き聖母の教会』に対する嫌悪と恐怖の両方を感じさせた。
「何故ですか? 私は取材に行くだけですよ。あの教団に何か後ろ暗い所があるなら、記事にするよい機会ではありませんか」
私は怪訝に思って聞いた。私が『黒き聖母の教会』に入信するというのなら、彼が止めてくる理由も分かる。だが私はあくまで宗教問題を扱うライターとして、同教団への潜入取材を行うだけだ。
取材で教団内の犯罪行為や信者への虐待が発覚すれば、主流派キリスト教としてはむしろプラスになるはずではないだろうか。両者は結局のところ、信者の獲得を巡って競争関係にあるのだから。
「あの教団は得体が知れん。この辺りにも沢山信者がおるが、誰1人として脱会したという話も、分派を作ったという話も聞かん。何か邪悪な業を行っておるのかもしれん」
「はあ…」
私は曖昧に頷いた。この教会はカルトの脱会支援や脱会信者のケアなどの活動を行っており、私もよく取材させてもらっている。その神父が1人も脱会者を知らないというのは、確かに妙だった。
「洗脳の可能性があるということですか?」
私は聞き返した。『黒き聖母の教会』はアメリカを発祥とするキリスト教系新興宗教団体で、最近日本でも急激に信者を増やしている。先日は某芸能人が家族ぐるみで入信を発表し、世間を騒がせた。
教団の急激な膨張の裏では、薬物その他の手段による洗脳が行われているのではないかと、神父は危惧しているのだろうか。
「それは分からん。だが奴らは、およそまともではない… 人類には許されざる所業に手を染めているのではないか。そう思えてならんのだ!」
私の袖を更に強く握りながら神父は訴えた。普段はいたって穏やかな老人なのだが、今は殆ど気が触れているようにすら見える。
その様子は宗教の信者につきものの、他の信仰に対する通常の嫌悪感を明らかに通り越していた。この神父はイスラム教や仏教にすら一定の理解を示しているのだが、『黒き聖母の教会』に対する態度はまるで悪魔崇拝に対するそれである。
「しかし… 私も仕事なので」
私は困惑しながら神父の手を振りほどこうとした。編集長には既に取材に行くと約束してしまっている。それを反故にすれば、どんな嫌味を言われるか分かったものではない。
いや下手をすれば、今後仕事を回して貰えなくなるかもしれない。編集長の陰険そうな顔と、ライター達に罵声を浴びせる時の吊り上った目を思い出しながら、私は神父にそう訴えた。最近はライターの数も供給過剰気味で、この仕事に失敗すれば次はいつ声がかかるかも分からないのだ。
「ふむ、ならせめてこれを持って行け」
神父は思い切り顔をしかめながらも、私に小さな十字架を渡してくれた。銀製らしいが色はすっかり褪せており、かなりの年代ものであることが分かる。恐らく魔除けのつもりだろう。
「ありがとうございます」
私は頭を下げた。私はキリスト教徒ではないが、他人の善意にけちをつける趣味はない。神父が私のためを思って渡してくれたのだから、謹んで受け取ることにした。
それに正直、アパートの窓から見えるあの教団の集会場には何か不快かつ不吉な、それこそ魔除けが必要になりそうな何かがあると私は感じていた。
立地は悪くないはずなのに集会所周辺は昼でも妙に薄暗く、近寄ると冷気とともに嗅いだことのない異臭を感じる。何かを本能的に察知しているのか、集会場周辺には野良猫や鳥の姿が見えないのも不気味だ。
そんな場所に赴く際には、気休めでも何か御利益のありそうなものがあるのはありがたかった。
私は神父にもう一度頭を下げると、十字架をポケットに忍ばせて『黒き聖母の教会』の集会所に向かった。古代の神殿を思わせる荘厳だが何か根源的に異質な雰囲気を放つ建物に近づくにつれて、気分が重くなってくるのを感じる。しつこく纏わりついていた蚊の群れさえ集会場が見えたところで離れていったのを見て、私は思わずぞっとした。
Ⅱ
しばらく躊躇った後で集会所入口のドアをくぐると、すぐに受付があった。奥には『黒き聖母の教会』の象徴である黒いローブを着た30歳前後の女が座っている。その腹部は僅かに膨らんでおり、女が妊娠しているらしいことが分かった。
「ご見学の方ですか?」
やや青白い顔をした化粧気の無い女はにこやかに声をかけてきた。教団のボランティアをやっている主婦なのか、或いは専属の職員なのかは不明だ。
「ええ、そちらの教えに興味をもちまして」
私はとりあえずそう答えた。嘘はついていない。
「そうですか。それは素晴らしいことです。ゆっくりご見学ください。パンフレットと、今後の集会の予定はこちらです」
女はそう言って私に幾つかの資料を渡すと、『黒き聖母の教会』の教えがどれほど素晴らしいものであるかについての、異様に熱意が籠っているが内容の無い説明を始めた。
私は正直辟易したが、無論顔には出さない。新興宗教を取材するときには、この手の強引な勧誘は付き物である。
私は適当に話を聞き流した後、女に礼を言って受付を離れた。表示に従い、教団の集会や儀式が行われるという大部屋に向かうことにする。
集会室と書かれた大部屋には一般的な教会と同じように椅子が並べられ、窓にはステンドグラスが嵌っていた。
ただ一点違うのは、集会所前面の説教台に飾られた像だった。磔にされたキリストの像が存在せず、代わりに黒い御影石で作られた聖母子像が置かれている。
私はそれを見て、例の神父による『黒き聖母の教会』批判を思い出した。
同教団は三位一体の神ではなく、聖母を崇拝している。その時点でキリスト教ではない。
さらに彼らが信じる『黒き聖母』が、本当に聖母マリアのことなのかも極めて怪しく、その正体は古代ケルト人が信仰していた地母神である可能性が高い。神父はそう主張し、『黒き聖母の教団』はキリスト教と無関係な邪教だと訴えたのだ。
無論、神父の意見を無条件で鵜呑みにすることは出来ない。主流派キリスト教の聖職者たる彼は『黒き聖母の教会』にとって言わば商売敵であり、同教団を貶めることで得をする立場だからだ。
『黒き聖母の教会』が、聖母崇拝の要素が強いだけの真っ当なキリスト教団である可能性も否定できない。いやだからこそ、彼らの主張の真偽を確かめるべく私は取材に来たのだ。
しかし説教台に置かれた黒い聖母子像に近づくにつれ、そんな中立的な視点が揺らぐのを私は感じた。遠目では普通に見えるが、一歩近づくたびに不快感に酷似した違和感を覚える。像はそんな作りになっていた。
まず聖母が来ているローブのような服は、よく見るとあちこちが破れてボロボロだった。それだけなら、マリア夫妻がヘロデ王の迫害から大急ぎで逃亡したという聖書の記述に則っているとも言えるが、その服の破れ方には悪意を感じてならなかったのだ。
裂けた布切れは垂れ下がるのではなく、いろいろな方向に長く伸ばされている。それは服の切れ端というより、聖母から伸びる触手のようにしか見えなかった。
また聖母の足元にも沢山の布切れが伸びて、完全に足先を隠していた。まるで彼女が2本の足ではなく、布きれを模した多数の触手によって大地に立っているようにも見える。
彼女が抱いているキリストの産着もまた同じ状態だ。触手のようなものが重力を無視して四方八方に伸びていて、救世主と言うよりは生まれたばかりの怪物に見える。
両者とも顔にあたる部分が無く、のっぺらぼうの状態になっているのも不気味だった。
これが本当に聖母子を信仰する者によって作られた像だろうか。私は訝しく思った。
普通の感覚を持った人間がこれを見て感じるのは、どう考えても荘厳さや神聖さでは無い。むしろ得体の知れないものを見た時特有の不安と恐怖だ。
もっと言えば、像自体が能動的に邪悪さを発散し、近づく者を侵そうとしているような印象すら覚える。仮にもキリスト教団を名乗る団体が崇めるべき像とはとても思えなかった。
Ⅲ
像を長い間見ているとそれだけで気分が悪くなりそうだったので、私は早々に集会室を退散して隣の学習室と書かれた部屋に向かった。打って変わって明るい雰囲気の部屋で、中には10人ほどの信者がいる。
「初めての方ですか?」
そのうちの1人が私に気づいて声をかけてきた。高校生くらいの少年で、教団の聖典らしき革表紙の本を片手に抱えている。
「ええ、そうです。良かったら、こちらの教えについて聞かせて貰えませんか?」
私はしめたと思った。少なくともこの少年は、私が宗教問題を扱う記者であることは知らないだろう。受付の女がまともに説明してくれなかった教義について聞くチャンスだった。
こちらの意図を知る由もない少年は私の言葉を聞くと、とても嬉しそうな顔をしながら聖典を開いた。周りから白眼視されがちな新興宗教の信者として、新参者が現れ、さらに自分の宗教の教えに興味を持った様子なのが嬉しいのだろう。
「うちの目的は長年の改変によって歪んでしまった、真の神の教えを理解しようというものです」
少年がそう前置きし、私はよくあるパターンだとメモした。どこの宗教も、自分たちの教えこそが真実だと主張する。またキリスト教や仏教など既存の宗教をベースにした新興宗教の場合、自分たちだけが教祖の真の教えを伝えていると信者は言う。『黒き聖母の教会』もこの類型に当てはまるようだ。
しかし少年の次の言葉は、私の意表を衝くものだった。
「と言っても、我々自身、神の姿を全て理解している訳ではありません。この世を創造された真の神に触れることは出来ず、神が生み出した化身の1つに触れることが出来るだけです」
「自分たちですら、真の神は理解できないと?」
私は驚いて聞き返した。普通の新興宗教なら、自分たちだけは神と直接コンタクトを取れると主張するものだ。真の神の姿は人類ごときには理解できないという、論理的に至極真っ当だが謙虚に過ぎる主張をしてくるとは思わなかったのだ。
「はい、私たちがアザトースとお呼びする創造神は、時空・生命・意識を象徴する3柱の化身を作り出され、それによって世界を創造されたと伝えられています。しかし神の御姿や真の名を知ることは、人間には不可能です」
次の説明に、私は更なる違和感を覚えた。創造神が最初にいて次に3つの神が生み出され、世界が創造されたというのはキリスト教の三位一体説とは大きく異なる。むしろ多神教に近い発想だ。
「では、こちらの教団では何を信仰されているのですか?」
違和感を悟られないようににこやかな表情を作りながら、私は少年に質問した。真の神の姿も名も分からないと言うなら、この教団は一体どんな宗教儀式をやっているというだろう。
「私たちが黒き聖母、もしくはシュブ・ニグラスとお呼びする存在です。アザトースの3つの化身の中では、生命を象徴されています」
少年がどこか得意げに笑う。私はそれを聞きながら、『黒き聖母の教会』がキリスト教と全く異なる宗教だという敵対者の主張は正しいと納得せざるを得なかった。これはキリスト教と言うより、古代の異教からヒントを得たと思しき新宗教だった。
しかしだからと言って、それだけで邪教だという記事を書くことも出来ない。私はそうも思った。あまり聞いたことがない奇妙な教義だとは思うが、それを言えば大抵の宗教の教義はそれを信じない者にとっては妙なものだ。
ある宗教が邪教かどうかは教義の内容で決まるのではなく、上層部が信者の搾取や犯罪行為の扇動を行うか否かで決まる。『黒き聖母の教会』は、今のところその点についてクロと断定出来ない。
私は少年に礼を言うと、取り敢えず聖典を一冊購入して集会所を立ち去ることにした。『黒き聖母の教会』の教義は興味深いが、それだけでは記事にならない。読者の興味を引くためには、2週間後に行われるという大規模な集会の内容を把握する必要があった。
だが立ち去ろうとした私は、不意に違和感を覚えた。視線が、人間のそれとは思えないような、完全に異質な視線が背中に突き刺さるのを感じたのだ。
思わず振り返った私は、異様な光景を目撃した。あるいは少なくともそう感じた。こちらに背を向けている少年の頭部が、あり得ない形に歪んでいる。まるで子供に弄ばれた粘土細工のように、重心が斜めになっているのだ。
長めに伸びていた髪は触手のように逆立ち、それ自体が意志を持つかのように蠢いている。そして髪の間には、普通の2倍以上の大きさを持つ眼球が1つ、こちらを見据えていた。
「あ!?」
私は思わず声を上げてしまった。あり得ない。何かの幻覚だ。最近の睡眠不足のせいで、妙なものが見えているのだ。必死で自分にそう言い聞かせる。しかし少年の後頭部の眼球は、確かにこちらを見ていた。
その視線から感じられる雰囲気に私は戦慄した。確実に善意では無いが、恐らく悪意ですらない。ただ人間には理解不可能な何者かが、こちらを冷然と観察している。そう感じられたのだ。
人間の理性では把握できないことが神聖さの定義であるとするなら、この眼球には明らかに神聖な何かがあった。それがこの言葉の最悪の意味においてであったとしても。
「どうかなさいましたか?」
私の叫び声が聞こえたのか、少年は微笑を浮かべながらこちらを振り向いた。既に頭部は元の形に戻っている。いやそもそも、変形していたこと自体が私の錯覚だ。その筈だった。
「いえ、急用を思い出しただけです。失礼します」
私は何とかそう言うと、小走りで集会所を去った。後ろから少年の「今度の集会には、是非いらして下さい」という声が聞こえる。少年らしい爽やかな声であったにも関わらず、私には嘲笑に聞こえてならなかった。
Ⅳ
私はその足で編集部に向かうと、『黒き聖母の教会』の集会所に行ったことと、その異様な教義について説明した。出来れば取材からは、これで手を引きたい気持ちで一杯だった。
「馬鹿を言うな。それだけじゃ、記事にならんぞ。せめて集会への潜入レポでも書いてみろ」
だが編集長はやや吊り上った目をさらに細めながら、苛立たしげに言った。キリスト教系を名乗っているが、教義がキリスト教主流派の教えと矛盾している宗教団体など星の数ほど存在する。それだけでは何のニュースバリューも無いというのだ。完全な正論である。
「ならば、私は降ります。仕事は他の記者に回してください」、もう少しでそう言いそうになった。集会室に飾られた不気味な聖母子像、一瞬見えた少年の変貌、あの教団にこれ以上関わってはならないと、本能的に感じられたのだ。
しかし私は結局、その言葉を飲み込んだ。最近は記事のネタになるような妙な新興宗教が少なくなり、私の仕事も減っている。はっきり言えば、近頃の私は半失業状態と言っていい。
ようやく手に入れたこの仕事を捨ててしまえば、家族を養えるかも怪しかったのだ。報告を終えた私は、編集長に集会への潜入取材を行うと約束せざるを得なかった。
編集部を出た私は図書館に向かい、『黒き聖母の教会』に関連する記事を調べることにした。出来たばかりの新興宗教にも関わらず、全世界で1000万人以上の信者がいる団体だ。さぞ沢山の情報が転がっているはずだと見込んでいた。
しかし予測は外れた。どの新聞や雑誌を探しても、『黒き聖母の教会』についての記事は殆ど見つからない。箸にも棒にもかからないような低俗雑誌に、興味本位に紹介されている程度だ。
次にネットを使って調べてみたが、結果は同じだった。教団の広報ページの他にヒットしたのは、せいぜいが集会所が建設されたというニュースと、その集会場の様子が何となく不気味で不快だという愚痴が書かれた周辺住民のブログ位のものだ。
あれだけ主流派のキリスト教から嫌われている割には、大規模な反対運動の記事さえ見つからない。英語で検索しても同じである。
出てきた情報、というよりはその欠如を見た私は、胸中にいよいよ疑惑と恐怖が膨れ上がってくるのを感じた。『黒き聖母の教会』について批判的なことを書こうとした人間は、教団による圧力を受けたのではないかと思ったのだ。
普通急拡大する新興宗教などというものは、まともだろうがそうでなかろうが周囲から疑惑の目を向けられ、大量の批判記事や暴露記事が書かれるものだ。それが全く存在せず、近隣住民が散発的に反対しているだけというのはどう考えてもおかしかった。
記者が金を握らされて黙らされたか、或いは脅迫されたか、何にせよ教団からの働きかけによって情報が消されている。そう考えるのが自然だ。
私はとりあえず、知り合いのライター達に片っ端から連絡を取ってみることにした。彼らの大半は私と同じく、宗教問題についての記事を書いている。中には『黒き聖母の教会』についての取材を試みた者もいるはずだ。記事にできない話でも、内密になら教えてくれるのではないか。そう期待したのだ。
まず電話に出たのは、ライターの仕事を始めてから知り合った吉川という男だった。彼はサブカルチャー全般を扱っているが、新興宗教についての興味本位の記事も時々書いている。
だが吉川の反応は私を落胆させるものだった。『黒き聖母の教会』についての話を振って出てきたのは、同教団はごくごくまともな宗教団体で、記事にできるようなことは何もなかったという言葉だったのだ。
「本当にそうか? 連中の秘密主義は異常だぞ。何か後ろ暗い所がありそうな気がするんだが。情報をくれれば金も出すぞ」
私は諦めきれずにそう聞いた。弱みに付け込むようで悪いが、最近は吉川も金欠らしい。謝礼を出すといえば、何か情報をくれるかもしれないと期待したのだ。
教団から買収もしくは脅迫されている場合に備え、記事に取材源の名前は絶対に出さないと確約もした。
「そういうことじゃないよ。本当に、何も無かったんだよ。彼らは聖母様を崇めて、捧げものをしているだけさ」
吉川は面倒臭そうに言うと、電話を切ろうとした。私は考え込んだ。吉川は大した腹芸の出来る男では無い。ということは彼の言うとおり、『黒き聖母の教会』は何ということもない普通の宗教団体なのだろうか。
「ところで吉川、花粉症は治ったのか?」
私はがっかりしながらも、ふと気になってそう聞いた。吉川は毎年この時期には花粉症に悩んでいたはずだが、今の彼の声は鼻声になっていない。
その代わり、何か違和感がある。吉川に一卵性双生児の兄弟がいて、吉川自身ではなくその兄弟と話しているような。
「ああ、まあな」
吉川が素っ気なく答える。違和感は既に消えていた。吉川は最近電話を変えたと言っていたので、そこから来る錯覚だったのだろうか。
「そりゃ、よかったな。じゃあ、また」
私は取り敢えずそう言って電話を切った。花粉症は基本的に治らない病気であることに、その時の私は気付いていなかった。
他にも何人かのライターに電話をかけたが、反応はやはり期待外れだった。取材自体を行っていないという答えと、取材してみたがまともな団体だったという答えが半々だ。批判的な話や記事のネタになるような情報は全くない。
ただ私は話しているうちに、少しばかりの不気味さを覚えてもいた。後者の答えを返してきた者の声質や口調が、記憶しているそれとどこか違うのだ。
もちろんそれは私の記憶違いなのかもしれないし、しばらく聞いていると「この人は昔からこういう声だった」と納得できそうなほどの微かな違いだ。
しかし少なくとも最初に聞いたときに微妙な違和感を覚え、吉川の時のように酷似した別人ではないかと思う位には、取材したライター達の声は変わっているように聞こえる。一方で取材していないと答えた者については、そのような違いを感じない。
全員に電話をかけ終えた私は、ふと不合理な恐怖を感じた。『黒き聖母の教会』を取材したというライター達の声の違い。同教団のまともさを頑なに主張する彼らの態度。それは一体何を意味するのだろう。
いや馬鹿馬鹿しい。私は急いでその考えを頭から追い出した。そんなことをするには、現代の医療水準を遥かに超えた技術と天文学的な費用が掛かるはずだ。絶対にありえない。
洗脳や脅迫のほうがまだ現実的だが、全員が全員それで黙るとも思えない。彼らの言うとおり、『黒き聖母の教会』は特に取材価値のない普通の宗教団体と考えるのが最も合理的だ。
一度そう考えると、集会への潜入取材もそれ程憂鬱では無い。部外者が行っても大して面白くはないだろうが、それも一興だ。あまり情報の無い謎の宗教団体の集会に潜入したというだけで、一応の記事は書けるだろう。私はそう自分に言い聞かせて恐怖を押し殺すと、2週間後の集会を待つことにした。
そこで自分が何を目撃するか、あの時の私には想像もつかなかった。
Ⅴ
そして2週間後、教団指定の黒いローブを着こんだ私は、蝋燭を持って集会室にいた。周囲には数百人の信者がいる。普通の宗教団体ならここで新参の信者に声をかけてくるものだが、彼らはそうせずに説教台を見ている。
何故かは知らないが、ありがたいのは確かだった。集会が始まる前に聖典を読んで教義の内容を把握しておこうと思ったが、そのあまりに奇妙な内容に挫折していたからだ。
ただ難解というだけではなく、理解するたびに理性が少しずつ削れていくような異様さ。聖典の内容から感じられるものはそれだった。
かつて地球を支配し、今もまどろみ続けている旧支配者たち。彼らよりさらに強大な力を持つ外なる神。聖典にはそれらの神々に対する崇拝の言葉と、正気の人間には理解不可能だという神々の本質が、耐え難いほどに真に迫った筆致で描かれている。まるで筆者が直接、神々に出会ったかのように。
僅かな蝋燭の灯りだけが頼りの暗い集会場で、私は聖典の内容を思い出して改めて身震いした。深海に沈むルルイエに眠る大いなるクトゥルフの姿が、蝋燭の炎で揺らぐ視界に浮かんだ気がする。クトゥルフは星辰が揃う時を待ち、再び地球を支配しようとしているのだ。地下には蟇蛙のような姿をしたツァトゥグアとその無形の落とし子がいて、崇拝者から生贄を受け取っている。
彼らよりさらに恐ろしいのは、外宇宙に存在し世界の創造者でもある外なる神たちだった。菫色の膜に包まれ、フルートを吹く影に慰撫されているアザトース。時空であり、時空を超越した存在でもあるヨグ・ソトース。千の顔を持ち、人類に知識と破滅をもたらすナイアルラトホテプ。そしてシュブ・ニグラス、血と豊穣をもたらす黒き聖母…
いつの間にか信者たちは、一斉に祈りの言葉を唱え始めていた。蝋燭の灯りの中で声たちが蠢動し、瘴気のように充満する。
聞いていた私は、神の姿を感じた気がした。常人には理解も把握も出来ない強大な存在、それが目の前にいて今にも私に触れそうになる。私は思わず悲鳴を上げたが、信者たちは私を無視して祈りの言葉を唱え続けていた。
イア イア シュブ・ニグラス!
最後にひときわ大きな文句が唱えられた後、祈りはいったん止んだ。しかし神の気配はさらに濃密になっている。説教台から放たれる闇が蝋燭の灯りを全て吸い取り、殆ど何も見えない。だが感じる。闇に包まれた説教台の中で、何かが蠢いているのを。
イア イア シュブ・ニグラス!
信者たちがさらに熱狂した声で祈りを唱えた。血のような臭気が立ち込め、闇が蠢動する。目を背けたかったが、気づくと私は魅入られたように説教台を見つめていた。
闇より黒い不定形の影が朧気に浮かび、信者たちが一斉に平伏する。説教台の向こうから粘液質の巨獣が歩き回っているような足音と、何かを咀嚼しているような音が聞こえ、生肉を思わせる悪臭が溢れ出す。
音と悪臭は私の頭蓋に入り込み、全身を侵した。痙攣が止まらない。私自身の精神が「それ」に咀嚼されているような激痛と不快感が走り、全身の毛穴が開いて脂汗が流れ出す。
私は無意識に逃げ出そうとしたが、脚の筋肉が痙攣してその場にへたり込んだ。叫ぼうとしても声帯は凍てつき、喉に痛みが走るだけだ。ただこの場から逃れたいという衝動と、「それ」の姿を見たいという同じくらい強い衝動が激突し、頭の中が白く染まる。
私は目を閉じ、耳を塞ごうとしたが出来なかった。耳からは粘り付いた足音と咀嚼音が侵入して抗いようもなく精神に浸透してくる。周囲は完全な闇に包まれているはずなのに、「それ」の姿は何故か視覚を介して私の精神の中に像を結んでくる。私は為すすべもなく、「それ」を見てしまった。
暗い雲のように不定形で、それでいて恐ろしいほどの実体を孕んだ肉塊で、山のように大きい。粘液に塗れた表面からは、数えきれないほどの手足が伸びている。手足はその先端に蹄を持ち、次々と現れては消えていた。肉塊の表面には多数の口のようなものがあり、それぞれの口からはあの粘ついた咀嚼音が聞こえる。
口が何を食べているのか、それを見た私は既に激痛と不快感で麻痺しかけていた精神に更なる衝撃が加わるのを感じた。奇妙なほど人間のそれに似た歯を持つ巨大な口は、それぞれが生白い人形のようなものを咀嚼しているのだ。
口が閉じられると赤い液体が溢れ、再び開かれたその内部からは潰れた肉と骨、よく分からない内臓のようなものが見える。人形の半分潰れた顔に残った片目が私の目を射た。私はやや吊り上ったその目をよく知っていた。原稿の遅れや取材不足を怒鳴ってくる時の目だ。
「あ… あ…」
私は声にならない声を上げた。編集長が食われている。とても現実とは思えない。よく似た別人ではないか。いや、別人だとしてもそれはそれで問題だ。編集長が死んだら、今回の取材の原稿は誰が受け取るのだろう。そんな無意味な思考が壊れかけた精神の片隅を乱舞し、息ができない。吐き気とともに大量の涙が溢れ出し、視界が曇った。
白く濁った視界のなかで、「それ」は私を見ていた。いつの間にか表面に形成されていた巨大な眼球が、こちらを真っ直ぐに見据えていたのだ。私は凍りついたまま、「それ」と見つめあった。精神に残っていた理性の最後の一欠片が崩れ、意識が視界と同じように白く染まっていく。
「おお、神よ!」
周りの信者が感極まった歓声を上げる。私は心の中で頷いた。彼らは正しい。目の前のこの存在こそが、真の神なのだ。
夢を見ているときのように狂った思考の中、ある情景が浮かび上がった。故郷を離れて北の大地に向かった人類は深い森の中で、「それ」と出会った。「それ」は生贄と引き換えに人類に庇護を与え、信仰の対象となった。目の前の存在は人類が最初に出会った神、犠牲と引き換えに恵みを与える豊穣神だったのだ。
白く染まった視界に、太古の人類たちの姿が浮かび上がった。深い森の中、彼らは血に染まった祭壇に祈っている。やがて「それ」が姿を現し、贄を受け取る。人間たちは狂った宴を繰り広げ、「それ」との冒涜的な交わりを試みる。「それ」の触手は人間の男女と結合し、呪われた子孫を生み出した。
その後のキリスト教の普及と文明の進歩に伴い、人類は次第に「それ」の存在を忘れていった。キリスト教の支配の下、古の信仰は邪教とされ排斥されていったのだ。人々はいつしか、「それ」を単なる迷信と考えるようになった。
だが古の記憶は、人類の深層心理に残り続けた。北欧神話に残る巨人ユミル。ヨーロッパ各地に存在する地母神の伝説。バビロニアにおいて世界の原型となったティアマト。そして日本のイザナミ。大地を創造した女神たち。
そして今、「黒き聖母」として「それ」への信仰は復活した。原初の信仰はキリスト教の仮面を被りながら、現代に蘇ったのだ。
私はぼんやりと、「それ」の姿を見つめた。シュブ・ニグラス、古の大地母神は慈愛とも嘲笑ともつかない視線を私に向けている。
いやそうではない。私の狂いかけた精神が、「それ」の中に何らかの感情を読み取ろうとしているだけだ。神は人間に理解できるような感情や意図など持たない。戯れに踏みつぶされるアリが、人間によって自分が殺されたことやその理由を全く理解できないように。
無意識にポケットを探る手に、硬い感触が伝わった。あの神父が渡してくれた十字架だ。白く染まった意識の一部が覚醒する。シュブ・ニグラスへの信仰は、キリスト教によって駆逐されたはずだ。と言うことは。
「悪魔よ、去れ!」
私は絶叫すると、十字架を「それ」に突き付けた。全身の痙攣が収まり、血の気が失せていた手足が熱くなるのを感じる。
勝てるはずだと私は自分に言い聞かせた。キリスト教が世界宗教であるのに対し、「黒き聖母の教会」は最近誕生した邪教に過ぎない。その神であるシュブ・ニグラスは、キリスト教の神に敗れて人々の記憶から消え去った邪神。ならば滅ぼすことが出来るはずだ。
十字架を掲げる私を、「それ」はじっと見つめている。私はうろ覚えの聖句を唱えながら睨み返した。信者たちが狼狽える声が聞こえる。このような冒涜が集会で行われるとは思っていなかったのだろう。
信者がざわめく中、「それ」の触手の一本が私に向かって伸びてくる。私は人間がナメクジやミミズに対して抱く本能的な嫌悪感を凝縮したような感覚を覚えた。逆に信者たちは歓声を上げている。粘液に覆われたどす黒く巨大な肉の管は、蠢動しながらゆっくりと近づいてくる。
「悪魔よ、去れ!」
私はもう一度叫んだ。シュブ・ニグラスは忘れ去られた古代の神であり、キリスト教で言えば悪魔だ。神の威光に太刀打ちできるはずが無い。
触手はもうそこまで迫っている。私は恐怖のあまり目を閉じながらも、全身に残っている勇気を全て振り絞り、ぬめぬめとした管に十字架を押し当てた。巨大な軟体動物に触れたような悍ましい感触が右手から伝わってくる。
そしてその感触は突然、これまで経験したことが無い激痛に変わった。無数の千枚通しで腕を貫かれたような、或いは腕全体を燃え盛る石炭に押し付けられたような感覚がある。
その直後、何かが折れて引き裂かれる感触が全身を貫き、粘液とともに熱い液体が腕を伝わった。信じがたいほどの痛みとともに、何か取り返しがつかないことが起きたという直感が胸中に木霊した。
痛みに絶叫しながら目を開けた私の目に飛び込んできたのは、グロテスクな棒状の肉塊だった。赤黒い筋繊維に黄色い脂肪層が入り混じり、剥離した骨の残骸が所々から突き出している。
それが自分の右腕、と言うよりはその成れの果てであることを理解するには数秒の時間がかかった。「それ」の触手は私の腕を十字架ごともぎ取っていったのだ。子供が戯れに昆虫の脚を毟るように。
「あ、ああ…」
私は声にならない声を上げた。
そして理解した。「それ」はキリスト教に敗れて滅び去ったのではない。ただ彗星が軌道を離れるように活動を一時休止していただけなのだ。
「それ」が目覚めた今、人間にその活動を止める術はない。小魚が自らを食らう鯨を倒すことはおろか、その全貌を理解することさえ出来ないように。
「それ」はしばらく私を見ていたが、やがて興味をなくしたように食事に戻った。信者たちは「それ」を伏し拝みながら、加護を嘆願している。彼らが何を期待しているのか、それが叶えられるのかは分からないが、そんなことはどうでも良かった。
私にとって重要なことは1つだけだ。私が縋ろうとした神は敗れたか、初めから存在などしていなかった。確かな力を持って存在するのは目の前にいる神だ。気まぐれで理解不能で、戯れに恩恵と破滅をもたらすような。
信者たちが歓声を上げている。儀式は最高潮に達したようだ。出血と恐怖で遠のく意識の中、私は「それ」が出産するのを見た。所々が歪んで捻じ曲がっているが、人間に近い形状をした塊が、巨大な肉塊の中から吐き出される。そう言えばシュブ・ニグラスは「千の子山羊を孕む黒山羊」と呼ばれていた。
吐き出された塊は、弱々しいながらも動き始めた。あちこちに出っ張っている瘤のような塊が引っ込んでいき、ますます人間に近い姿になっていく。続いてのっぺらぼうだった顔に見慣れた吊り上った目と陰険そうな表情が現れるのを見ながら、私の視界はゆっくりと闇に飲み込まれていった。
途切れていく意識の中で咀嚼音と歓声が聞こえ、新たな激痛が全身を貫いたような気もする。そしてまた、何かがシュブ・ニグラスの体内から産み出されたようだった。
Ⅵ
私は右腕を失くした状態で道路に倒れている所を通行人に発見されたらしい。意識の回復後、私は警察に自分が見たものについて話したが、彼らは一笑に付した。事件は交通事故として片づけられ、捜査は早々に打ち切られてしまった。
私は今も、宗教問題を扱うライターとして勤務している。だが「黒き聖母の教会」についての記事は当然ながら企画自体が中止になった。
「また下らん記事だな。もう少し面白いネタは探せないのか?」
社内では今日も編集長が、いつもの吊り上った目で怒鳴っている。だがその唇の形と声の周波数は、私が知っているものとは微妙に違っている。そのことに気付いている者は何人いるのだろう。いやそもそも社内の人間のうち、「元」の形を保っている者は何人いるのだろう。
近所に住んでいる神父は数日前、『黒き聖母の教会』の信者になると私に告げた。何でも、集会場を訪れてみた結果、その教義の奥深さに感銘を受けたという。彼の耳の形は以前と少し違う気がするが、私の錯覚かもしれない。
知人のライター達は相変わらず『黒き聖母の教会』について無視を決め込むか、或いは援護記事を書いたりしている。彼らの何人が「あれ」の子に変わっているのか私には分からない。
『黒き聖母の教会』は相変わらず勢力を拡大している。最近ではごく当たり前の宗教として、周辺住民にも受け入れられるようになったようだ。
だがもう、そんなことは私にはどうでもいい。神に立ち向かうこと等、人間には出来るはずもないのだ。私は細々と仕事を続け、妻子を養えればそれでいい。
ただ1つ気がかりなのは、私の体に起きている異変だ。医師は破壊された右腕を肘の上から切断したが、最近になって切断面が異様に盛り上がってきているのだ。蠢く巨大な肉瘤はそろそろ、義手で隠しきれない所まで来ている。
その表面からは不気味な細長い物体が突き出しつつあった。粘液に塗れたどす黒い筒、あの集会場で見た触手が。
何となくだが、私は理解しつつある。私のオリジナルは編集長と同じく、あの集会で消滅したのだ。では、今の私は…
私はアパートの窓から、『黒き聖母の教会』の集会場の屋根を見据えた。以前は少し目に入っただけで寒気がしたものだが、今では言い知れぬ懐かしさを感じる。
恐らくこの体は感じているのだ。今の私を産み出した「本当の母親」があそこにいるのだと。