冷たい炎が灯るとき
――5月17日(火) 午後22時07分 秋良家・美月の部屋――
――――――――――――――――――――――――――――――
Date:2009/05/17 22:06
――――――――――――――――――――――――――――――
From:藤真 美奈
――――――――――――――――――――――――――――――
Subject:千早と別れてくれる?
――――――――――――――――――――――――――――――
-END-
――――――――――――――――――――――――――――――
そのメールは本文を省き、表題のみを記載するというシンプルな物であった。
単純であるが故に言い知れぬ迫力を秘めたそのメールは、美奈を知っている物であればある程、その効力を発揮するだろう。
しかし、秋良がこのメールを見て抱いた感情は畏怖ではなく、美奈に対しての深い怒りであった。
「別れる?」
(誰が?誰と?)
自問自答する秋良。
(ボクと千早が別れる?)
(別れてどうなる?)
「……決まってる」
(美奈が)
秋良の脳裏に、再びあのキスシーンが浮かんだ。
「美奈ちゃんが、千早と」
(付き合う)
そんなこと。
決して、断じて、絶対に、全く以て。
許せないに決まっている。
(嫌だ)
在りし日、秋良に微笑んだ千早。
確かに秋良に向けられていた想い人の笑みは、しかし今、秋良がいたはずの場所に突如現れた美奈に対して注がれていた。
(嫌だ)
美奈に微笑む千早。
満足そうに笑い返す美奈。
そんな二人を、遠く、暗い所から呆然と見ている秋良。
(嫌だ)
そして。
燃えるような夕焼けに照らされた部屋で、静かに唇を重ねていた二人。
「……嫌だ!!」
幾度繰り返したかわからないキスシーンが、再び秋良の脳裏に再生された瞬間。
秋良は、叫んでいた。
それは、意図して吐き出された言葉ではない。
反射的に紡ぎ出された言葉であり、心からの想いだ。
秋良自身、初めての経験であり、それは言わば魂の叫びであった。
「はっ……! はっ……!」
喉に焼けるような、ジリジリとした熱を感じながら、秋良は浅い呼吸を繰り返す。
部屋の中には、秋良の呼吸音だけが嫌に大きく響いている。
その響きが鳴り止まないうちに、秋良は携帯電話を手に取ると、自身の想いをキーに叩きつけた。
――――――――――――――――――――――――――――――
Date:2009/05/17 22:10
――――――――――――――――――――――――――――――
From:秋良 美月
――――――――――――――――――――――――――――――
Subject:Re:千早と別れてくれる?
――――――――――――――――――――――――――――――
千早は渡さないし別れない
私から千早を奪う気なら美奈ちゃんでも許さない
-END-
――――――――――――――――――――――――――――――
「絶対に、渡さない」
メールを送信した後、秋良が自分に言い聞かせるように口にした言葉。
それは湖面のように静かで冷静なトーンであったが、その実、燃え滾るような怒りを孕んだ声でもあった。
その日、それ以上美奈からの返信はなく、メールでの衝突は一旦の収束を迎えた。
窓から覗く月はとても穏やかで、柔らかな夜風は秋良の頬を撫でるように吹いている。
それはまるで、嵐の前の静けさに似た仮初の安寧を運んできた。
明日、美奈とは直接対決をすることになるだろう。
普段であれば若干以上の引け目を感じる場面であろうが、生憎と今の秋良には撤退の目はなかった。
いつもの秋良のように考えを口にするだけではなく、かと言って美奈のように矢鱈滅多にがなり散らすのでもない。
冷静に、静かに。
唯々、怒るのだ。
明日、美奈の要求を聞き、その上で。
(正面から叩き潰してやる)
秋良は、静かに燃えていた。
青い炎のように、穏やかだが確かな熱を宿して。