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初夏千秋  作者: 鳴海 千織
7/16

そして涙も枯れ果てて

――5月17日(火) 午後22時00分 秋良家・美月の部屋――


「ぽっぽー、ぽっぽー、ぽっぽー……」

 柱時計の中から定刻を告げる鳩が現れ、呑気な鳴き声を上げた。


「ぽっぽー、ぽっぽー……ジー、カシャン」 

 勤勉な鳩は、しかしきっかり五回鳴き終わると、そそくさと小屋の中に引き上げていく。

 どうやら鳩時計業界の鳩には、サービス残業など無縁の話らしい。


「……う……んっ……んー……」


 そんな鳩の声に起こされた秋良は、そこで初めて自分がいつの間にか眠っていたことに気が付いた。

 どうやら千早のことを想って涙を流すうち、泣き疲れて眠ってしまったらしい。


 果たして、その目覚めは最悪であった。


 千早が、美奈とキスをしていた。


 その悔しさ、無念さ。

 何度も何度も繰り返した「なぜ?」の言葉。


 見捨てられたような孤独感。


 宿題が終わらないまま学校に行くとか、苦手なテストがある日だとか、そういったどんな憂鬱な一日の始まりよりも、なお重くどんよりとした気持ちで目が覚めた。

 秋良は、ぎしりときしむような気怠い身体を起こすことなく、ベッドの上で悶々としていた。


「……千早」


 思い人の名前を口にすると、条件反射のように涙が湧いてくる。

 昨日まではあんなに愛しいと思えた名前が、今は口にするだけで秋良を苦しめる。


「どうして……」


 問いかけても、秋良の中の千早は応えない。

 ただ、「ごめんなさいね」と微笑むばかりだった。

 

 そしてまた、秋良の頬を涙が伝った。

 それを拭おうと、左手を起こし上げる。


 すると、カツンと手に何か硬いものがぶつかった。


「……携帯か」


 左手の先に目をやると、眠りに落ちるまで握っていた携帯電話が無造作に転がっていた。

 

(そういえば、莉奈が心配してメールくれたんだっけ)


 何かを考えていると、その間は千早のことが少し遠くなる。

 そうしていると、今はとても楽だ、と秋良は思った。


(一応、莉奈にも返信しとかないと、かな)


 携帯電話を開き、メールボックスにアクセスする。



――――――――――――――――――――――――――――――

Date:2009/05/17 22:07

――――――――――――――――――――――――――――――

From:秋良 美月

――――――――――――――――――――――――――――――

Subject:re:大丈夫?

――――――――――――――――――――――――――――――

 莉奈、心配してくれてありがとう。

 見たいテレビがあったから慌てて帰ったんだ。

 ついさっきまで見てたから返信遅くなっちゃった。

 ごめん。

 というわけで、ボクは大丈夫です。


             -END-

――――――――――――――――――――――――――――――



「こんなもんかな……」


 莉奈に変身するメールの文面を手早く打ち終えると、おかしな所がないか確認する。

 

「まぁ、見たいテレビってあたりが無難だよね」


 実際は千早と美奈がキスしているところを見てしまい、ショックで逃げ出した挙句に泣き寝入り、というのが事の次第なのだが、とても正直に伝えられる内容ではなかった。


 秋良が千早を慕っているように、莉奈もまた、美奈の事を好いていたからだ。

 そして、その事を秋良は十分に知っていた。

 尊敬する美奈が千早とキスしていたなどと莉奈が知ってしまったとしたら、そのショックは自分の比ではないだろう。


 そう考えると、莉奈に対して真実を打ち明け相談に乗ってもらう、というのはあまりにも無謀に思えた。

 

(とりあえず、これで送信、と)

 

 莉奈への返信が終わると、秋良は半ば無意識にメールボックスの着信を確認していた。

 携帯電話を買い与えられてからというもの、少しでも携帯を見られない時間ができると、その間の着信履歴やメールの受信を確認するのが癖になってしまった。

 

 いやな癖だ、と思いながらも止められないあたり、この小さな箱にしっかりと毒されているのだろう。

 そんなことを思いながらメールボックスを開くと、ディスプレイには『新規着信メール:2件』と表示されていた。


 メールボックスをスクロールし、着信順に目を通す。


 

――――――――――――――――――――――――――――――

Date:2009/05/17 19:14

――――――――――――――――――――――――――――――

From:ryota_hina_0517@ozweb.ne.jp

――――――――――――――――――――――――――――――

Subject:久しぶり

――――――――――――――――――――――――――――――

 アドレス変わったから登録よろしく

 

 清徳高校2年

 柏木 良太

             -END-

――――――――――――――――――――――――――――――



「良太、また彼女変わったんだ」

 

 一通目は、秋良の中学生時代の同級生、柏木かしわぎ良太りょうたからのメールアドレス変更連絡だった。

 メールアドレスに自分と彼女の名前、付き合い始めた日付を入れるのが良太の定番だ。

 しかし、本人の女癖の悪さから長続きすることはあまりなく、どんなに長くともひと月に一回くらいのペースでメールアドレスを更新し続けている。


 アドレスから察するに、今度はhinaという女性と付き合い始めたようだ。

 前回のainaという女性とは何が理由で別れたのだろう、と考え始め、しかしすぐに『浮気』という結論にたどり着いた秋良は、良太らしいなと苦笑を浮かべる。


 アドレスが変わるたびに連絡を受ける自分達の身にもなってほしい、と秋良などは常々思っていたものだが、今は、そんな何でもない旧友の近況報告が、良い気分転換に感じられた。


 良太のアドレスを手早くアドレス帳に反映させると、一言「了解。次は浮気しないように。」と返信した。

 そうは返信したものの、恐らくあとひと月もすれば、再びアドレス変更の連絡が来るのだろう。

 男の浮気癖というものは全く度し難い、と秋良は一つため息を漏らす。


 それでも、良太からの連絡に懐かしさを覚えながら、メールボックスのスクロールを再開する。

 


――――――――――――――――――――――――――――――

Date:2009/05/17 20:37

――――――――――――――――――――――――――――――

From:マツドナルド 

――――――――――――――――――――――――――――――

Subject:激辛ハラペーニョバーガー新発売!

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 ゴールデンウィークが終わったらもうすぐ夏が来る!

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  http://matsu.coupon

  

           -END-

――――――――――――――――――――――――――――――



 二通目は、某ハンバーガーチェーン店からのクーポン付きメールだった。

 

「激辛……」

 

 秋良自身は、辛いものが大の苦手である。

 唐辛子も練りからしも山葵わさびも黒胡椒も、とにかくありとあらゆる『辛さ』が苦手だった。

 それでも、秋良がこの言葉に気を止めたのは、やはり千早が原因だった。


 秋良の思い人は、激辛に目がないのだ。


 基本的に、千早はどんな些細な事に対してであったも、自分が「面白い」と思えば食指が動く雑食性の人間であったが、こと辛いものに対しての情熱には凄まじいものがあった。

 隣町にできたレストランの目玉が激辛カレーと聞けばバスに揺られてぶらり旅、はたまた隣県で激辛フェスがあると聞けば、電車を乗り継いでわざわざ参戦する程度には、激辛を好いていた。


 否、控えめに言って溺愛していた。

 そして、その道中には常に秋良を帯同していた。

 秋良自身は辛いものに免疫がないどころか、スパイスの匂いを嗅いだだけでノックダウンする程辛さに弱いのだから、その旅路は決して楽なものではなかった。


 それでも人を想う力は強いもので、秋良は最終的に、カレー専門店『コッコONEワン』で普通の辛さのカレーが食べられるまでに成長したのだった。

 尤も、そのお祝いにと千早にたべさせられた辛口コッコカレーで口の中を損傷した秋良は、二度と辛口カレーが食べられない身体になってしまったのだが。


 そんな辛さにまつわる思い出が数多くあり、いつしか秋良は自分の「嫌い」という意思とは逆に、『激辛』に反応するようになってしまっていた。


「千早に見せたら、また付き合わされるんだろうなぁ」

 憂鬱な言い回しとは裏腹に、そんな独り言を口にしている時の秋良は心なしか嬉しそうだった。

 こんな時でなければ、もっと満面に、にやにやとした笑みを浮かべていたに違いない。


 否応なしに付き合わされ、振り回されていたあの頃が、たった一日で随分と遠くに行ってしまったように秋良には感じられた。


「千早……」


 どうしても、何をしていても、思い出してしまうその顔、その笑顔。

 ふいに、口をついて出てきてしまう、その名前。

 その全てが、今の秋良を苦しめていた。


(ボクの日常では、ボクのための事よりも、千早の好きな事が、その情報が輝いて見える。

 何でもないメールにも、千早の影を見てしまう。

 千早の事を、想ってしまう)

 

 秋良の中で、感情が溢れた。


失いなくしたくない)


奪われとられたくない)


「千早。ボクの……千早」


 秋良は、普段の秋良よりもなお低く、重く、冷たく、しかし今にも泣き出しそうな弱さを含んだ声で、呟くようにその言葉を唱えた。


 それは、飾らない秋良の心。

 声にして始めて、自分はこんなにも千早を求め欲していたのだと気付いた。

 

 そして、その時。

 『ケシテー!リライフシテー!』


 携帯電話が新規メールの着信を告げた。

 メールボックスを開くとそこには。



――――――――――――――――――――――――――――――

Date:2009/05/17 22:06

――――――――――――――――――――――――――――――

From:藤真 美奈

――――――――――――――――――――――――――――――

Subject:千早と別れてくれる?

――――――――――――――――――――――――――――――



 そのメールの主題を見た瞬間、秋良の中で、決定的な何かが音を立てて切れる音がした。

 頬を伝った涙の痕は、既にすっかりと乾ききっていた。

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