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初夏千秋  作者: 鳴海 千織
5/16

扉の向こうに

 ――5月17日(火) 午後16時53分 神宮寺高校・演劇部部室――



「二人とも遅いなぁ」

 ソファに腰掛け、台本をめくりながら秋良が呟く。


 『演技指導』と千早は言ったが、もうかれこれ20分以上は経っている。

 しかし、二人は一向に戻ってこない。


「……千早、何してるのかな」

 口にすると、秋良の中の好奇心が徐々に鎌首をもたげ、疑問を解消したいという欲求に変わった。


「ちょっとだけ、覗いてみようかな?」

 聞く者などいないというのに、『覗く』という行為の後ろめたさからか、秋良は柄にもなく独り言を連発する。


「ちょっとだけちょっとだけ」

 そおっとソファから立ち上がると、足音を立てないように隣室へと続くドアに向かう。

 

 隣室は資料室になっており、歴代の舞台台本や演技指南書など、様々な書籍が収められている。

 元々は演技の練習に使うための部屋として設計されたため、資料室の壁や床は防音構造となっている。

 つまり、ドアを隔てた部室側からでは、資料室内にいる二人の会話どころか、演技する動作すら気取ることはできないのである。


 それでも秋良が中の様子を探ろうとしているのは、単に興味本位というだけではなく、『千早が美奈に対して個人指導をしている』という事に対しての羨みがあったからだ。

 もっとも、それを口にして千早を呼び戻せるほど、自分は素直ではないという事を、秋良は自覚していた。

 だからこそ、声どころか気配すら感じ取れない二人の様子を、厚い壁の向こうに想像してしまうのだ。


(……千早)


 そっと、資料室に繋がるドアに触れる。

 ドアの硬い手触りが、その重厚な壁が、そっくりそのまま秋良と千早の心の隔壁を表しているようで、いつしか秋良には耐えられなくなっていた。


「千早、開けるよ」

 聞こえないと分かっていても千早に一言断り、秋良はその取っ手に手を掛け、一気に下げた。


 ぎい、と嫌に大きな音を立てながらゆっくりと開く扉。

 資料室には電気は点いていないのか、夕暮れ時の橙色が部屋の中を染めていた。

 遮るものの無くなった部室の電灯の光が、資料室の橙色を少しづつ削っていく。

 

 最初に見えたのは、人のような影が二つ。

 部屋の中に電灯と夕陽の明かりが混ざり合い、薄暗かった資料室が徐々に元の色を取り戻していく。

 夕陽に照らされただけだった資料室に白い灯りが入り、部屋の中の全てが光の下に晒し出された。

 

 そして。


「あ」

 秋良が意図せず、呆けたような声を上げる。


 果たして、そこには。


 棚の前で抱き合いながらキスをする、千早と美奈の姿があった。

 二人は秋良が入ってきたことに気がつくと、すぐに体を離したが、秋良からはその瞬間がはっきりと見えていた。


 それは一瞬の光景であったが、深く、強く、秋良の目に、心に、刻み付けられた。


「秋良……」

 口元を手の甲で拭いながら、最初に口を開いたのは美奈だった。


「秋良、その、これは! えっと……違うから! そういうのじゃないから!」

 美奈は明らかに慌てふためいた様子で、その場を取り繕うような言葉を紡ぐ。


「……」

 秋良は、何も言えず、ただ扉を開けたままの体制で立ち尽くしていた。


「ちょっと! 千早も何とか言ってよ!!」

 その様子を見ると、美奈は千早に話を振る。


「……」

 美奈に言い訳するよう振られた千早は、困り顔のまま、ほんの少し考えると。


「秋良」

 秋良を慈しむように、撫でるように、とても、とても優しい声で秋良の名前を呼ぶと。


「ごめんなさいね」

 

 秋良にとって、最も残酷な一言を贈った。

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