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10.「君がいてくれてよかった」

 コゼット・スペンサーは十四で、やはりロシェルたちの一つ年下となるらしい。しばらくはイルマの暮らす王都にあるスペンサー家の別邸で過ごし、学校見学だけではなく、王都観光なども楽しむ予定だと語っていた。

 それにイルマはあからさまに嫌そうな顔をしていた。負の感情を表に出す彼は物珍しく、ロシェルには新鮮に感じられた。イルマの態度には気付いているだろうに、コゼットは涼しい顔で、それとも私に野宿でも強要するの? と口にする。僕もそこまで非情じゃない、とイルマが反論して、コゼットのしばらくの滞在先は決定したようである。


 仲はあまり芳しくない、と聞いていたが、ロシェルの目から見て、けして二人がお互いに嫌い合っているようには見えなかった。イルマがコゼットの滞在に難色を示したのも、彼女の手紙を確認することができず、彼にとって急な決定と感じられたことが理由らしい。嫌うという積極的な感情よりは、どちらかと言うと距離を取り合っているように感じた。歳が離れているので、単純に関わる機会が少ないだけなのではないだろうか。


 コゼットは大人びた少女だった。ネルも落ち着いてはいるが、彼女の場合は背伸びをした結果なのかもしれない。ヘリックと仲直りをしてからは、随分と少女らしい顔を見せることも多くなった。

 対してコゼットは、物事をどこか俯瞰ふかんして見ているような印象を受けた。見た目こそ幼いが、振る舞いや態度はロシェルたちよりも年上にさえ見えたのだ。もちろん、ほんの少し挨拶をした程度の関わりで、他者を理解できるはずがない。あくまで初対面の印象である。異国風の顔立ちで年齢以上に落ち着いていることもあり、神秘的な雰囲気だと思った。


「格好悪い……」


 コゼットの顔を思い出しながら、ロシェルは隣でうなだれるファーガスをどう慰めたものかと頭を悩ませていた。結局彼はコゼットに対して名乗るのが精いっぱいで、ろくな会話どころか愛想を向けることもできなかった。終始うつむきがちで、自己紹介すらどもって噛んでしまい、彼は現在、その後悔と自己嫌悪に襲われているのだ。


「落ち込まないでよ。次に会ったときに挽回すればいいでしょ? 来年には入学するんだし、また見学に来るって言っていたし」


 寄宿学校は、見学であれば割と気軽に部外者を迎え入れる。申請書を出せばあっさり中に入れてしまうのだ。それでなくても、寄宿学校に校医として籍を置くイルマの妹なので、更に簡単に校内に立ち寄れることだろう。


「もう一回顔を見合わせても、まともに話せる自信がない……」

「そこは頑張るしかないでしょ」


 空き教室で隣り合って座り、身体を折って顔を両手で覆っていたファーガスが、ゆっくりと顔を上げる。


「初めてなんだ……」


 か細くて、頼りなくて、もう何だか可哀想になってしまうような声だった。未だに耳まで顔を赤くしたまま、先まで顔を覆っていた手のひらは震えている。


「こんな気持ち。一目惚れなんて、本当にあるとは思わなかった」


 絞り出すような声に滲む困惑が伝わってくる。ファーガスはこれまで、恋をしたことはなかったらしい。彼は動植物を観察するのが好きで、それを慈しんで微笑むばかりで、あまり異性に興味を持ったことがなかったそうだ。だからこそ、初めての恋は彼を簡単に動揺させる。


「仕方ないわ。運命は突然やってくるんだから」


 むしろ、そうであるからこそ『運命』と呼べるのだ。運命とは劇的であるべきだ。それこそ、雷でも落ちたかのように。ロシェルは運命を信奉している。運命こそが、彼女とイルマを結び付けてくれたのだから。


「次会えたときに、挽回すればいいわ。大丈夫よ、ファーガス。あなたはとても素敵な人だもの」


 ファーガスはロシェルの自慢の友人だった。真面目で心優しく、勤勉な性格をしている。容姿も可愛らしいもので、誰が彼のような人を嫌えるのだろう、と思う。もちろん、いい人であることが必ずしも恋愛としての好意に繋がるわけではないが、そのとっかかりくらいにはなるだろう。


「……ありがとう、ロシェル。君がいてくれてよかった」


 そう、心からの安寧を滲ませて、さっきまで困惑だけに染まっていた顔を柔らかな笑みに変える。彼から向けられる信頼は、友情は、ロシェルにとって堪らなく誇らしいものだった。




  ****




 寄宿学校は男子寮と女子寮に分かれており、寮長、副寮長を除いた生徒たちは皆、二人で一部屋を割り当てられている。部屋にはベッドと机、小さなものだが棚とクローゼットが一つずつ与えられている。水回りは他の部屋の生徒たちと共用で、怖い噂話を聞いたときなど、ロシェルはネルを起こして夜中の手洗いに付いてきてもらったこともあった。


 寮の部屋で並んで座り、朝の身支度を整える。寮には当然家のメイドはいないので、自分で支度をしなければならない。

その日のネルは髪を纏めていた。秋の植物よりは少し落ち着いた、夕暮れを思わせる髪を編み込み、白いリボンで飾っている。落ち着いた色を好むネルにしては明るくて珍しい色だな、と思っていれば仲違いする前にヘリックからもらったリボンらしい。


「ずっと捨てられなくておいていたんだけど、この間ヘリックに見つかって。随分喜んでくれたから、使わないわけにもいかなくて」


 言葉だけならば仕方なく、といった様子だが、実際の心情が全く違うことは彼女の表情を見ていれば分かる。頬を薄紅色に染め、まるで花が綻ぶような笑顔を見せている。まさしく恋する乙女らしい顔だった。

 ロシェルはずっと彼女のことを綺麗な女の子だと思っていたけれど、最近では彼女のことを可愛い、と感じることの方が多くなっていた。それは見た目の美しさだけではなく、恋をする幸福を隠し切れないその素直さが、可愛らしいからだろう。恋の力はすごい。


「ねえ、答えにくければ答えなくてもいいんだけど」

「あら、なあに? 変な遠慮はしないでちょうだいね」


 口ごもりながらロシェルが問い掛ければ、白いリボンですっきりと髪を纏めたネルが立ち上がる。ロシェルの手の中のブラシを取って、ネルは彼女の髪を丁寧に梳いた。ロシェルはいつも、ネルの癖のある髪が可愛くて羨ましいなと思っていたけれど、ネルはいつもロシェルの髪を真っ直ぐで綺麗と褒めてくれる。髪を梳いてくれるネルの手つきが優しく、少し緊張もしたけれど心地よく感じられた。


「ネルは、ヘリックのことが好きだったんでしょう? ずっと好きだったんでしょう? それなのにどうして、他の人に運命を見つけようとしていたの?」


 ロシェルには分からない。ロシェルは何があったってイルマが好きだ。イルマ以外の人は考えられない。たとえ嫌われたって、ロシェルにとっての運命は、イルマ以外にはありえないのだ。


「ロシェル。わたくしはロシェルの、そういう素直で真っ直ぐなところが大好きよ」


 机の上にある、髪飾りを入れている籠の中から黄緑色のリボンを取り出して、ネルは手早くロシェルの髪を纏める。耳より高い部分の髪だけを一つに纏め、残りは背中に垂らした。リボンをつけ終えれば、また背中に流した長い髪にブラシを通してくれる。手鏡を覗き込めば、自分でするよりも余程綺麗な装いの自分が映っていた。


「わたくしはね、きっとあなたよりもずっと臆病で捻くれているの。彼の心が離れてしまったと思って、それでも思い続けられるほど、素直でも一途でもない。強がらなければ笑えなかった。信じられなかったから、何でもないふりをして、忘れるために他の人を求めたの。あとは……そうね、ヘリックへの意趣返しでもあったかもしれない」


 自分にそれだけの価値があるかどうかも分かっていなかった癖にね、とネルは自嘲気味に笑った。ネルの手の中にあったブラシが机に置かれ、手鏡の中の自身と目が合う。手鏡の中のすっかり身なりを整えたロシェルは、困惑気味の表情を浮かべていた。


「……でもね、ネル。結局ずっと、ヘリックのことを忘れることなんてできなかったんでしょう? だから今、あんなに幸せそうな顔で、彼といるんでしょう?」


 振り返れば、曖昧に笑うネルと目が合った。どうやら彼女は、ロシェルの言葉に否定も肯定もしかねているようだ。


「臆病で素直になれなかったかもしれないけれど、やっぱり私は一途で素敵だと思うわ」


 ネルが、自身を否定するような言葉を選んだことが、ロシェルはとても嫌だった。だってロシェルは彼女がどういう人かよく分かっている。世間知らずのロシェルの面倒をよく見てくれて、気さくに笑って手を引いてくれるのだ。優しい自慢の友達だ。何より、ヘリックといる今、あんなに幸福そうな顔を見せる彼女の、何が捻くれているものか。


 ロシェルの言葉にネルは笑った。それはやはり曖昧で、少し困ったようにも見える顔だった。


「ロシェルとヘリックは、少し似ているわ。わたくしが否定するわたくしを、いつも掬い上げてくれるのよ」


 何だか堪らない気持ちになって、彼女は背後に立つネルを座ったまま抱きしめる。ネルの腹に顔を埋めれば、彼女はせっかく整えた髪が乱れるじゃない、といつものように軽い調子で笑ってくれた。




  ****




 昨夜、雨が降った。夕方から降り始めた雨は朝になっても降り続け、昼前になってようやく止んだ。しかし、それでも空はどんよりと曇ったままで、晴れ間が見えることはない。

 雨が降ったことで一気に季節が進み、急に冬になったかのような冷え込みだった。


 ロシェルは一枚上着を増やし、それでも冷える腕をさすりながら放課後の廊下を歩いていた。このまま寮へと戻る予定である。ネルはヘリックと約束があり、イルマも今日は学校に来ていない。ファーガスは調べものをするために図書室にこもるようだ。ロシェルにはよく分からないことだけはよく分かる調べもののようで、一緒に行っても邪魔をしてしまいそうだと思い、誘ってくれたが断って寮に戻ることにした。


「ロシェルさん」


 校舎と寮は同じ敷地内だが、それぞれ別の建物として独立して建っている。そのため、寮に戻るためには一度校舎から出ないといけないのだが、生徒用玄関を出たところで突然声を掛けられた。

 そこにいたのは、コゼット・スペンサーだった。彼女の存在に全く気付いていなかったロシェルは、驚いてびくりと肩を揺らしてしまう。


「すみません、驚かせてしまったようですね」

「あ、それはいいんだけど……」

「玄関にいると人目が気になって少し隠れていたんですが、わかりやすく立つべきでしたね」


 コゼットの説明に、ロシェルは彼女が突然飛び出してきた理由を察した。コゼットはロシェルの一つ年下らしいが、もう少し幼く見え、加えて寄宿学校の制服ではなく私服のワンピースを着ている。黒のそれは落ち着いていて目立つようなものではないが、学校では、制服を着ていなければそれだけで他の生徒たちの目を引いてしまう。

 特に今は放課後で、ロシェルのように寮に戻る生徒たちが多く玄関を行き来している。私服の見慣れない女の子を見掛ければ、気になって注目してしまうことだろう。


「どうしたの、見学? 先生に用事? 今日は先生はいないけど」

「それは存じております。実は、ロシェルさんにお願いしたいことがありまして」


 ロシェルはお願い? と繰り返して、コゼットの言葉に不思議そうに首を傾げた。何せ、イルマというお互いにとって縁の深い人物はいるが、二人自身はこの間初めて顔を合わせて挨拶をした程度の関係である。コゼットがどういうお願いをしたいのか、ロシェルには全く見当もつかなかった。


「王都を案内していただきたいのです」


 冷たくも見えてしまう涼しげな面差しで、コゼットはその理由を説明した。


「せっかく王都に来たので観光をしたいのですけど、私は王都のことは分かりません。兄に案内してもらおうにも、彼はお忙しい様子で。使用人には使用人の仕事がありますし、何より主人の娘である私を観光に連れていくのも、気を使わせて心労をかけるだけでしょう? だからと言って他に知り合いもおりませんし……」


 それで、挨拶をした程度とはいえ、面識のあるロシェルを頼ってきてくれたらしい。お願いされた理由には納得したが、残念ながらロシェルも王都についてそう詳しい訳ではない。

 イルマの診療を受けるために、幼い頃からカーライル領を離れて王都で生活してきたが、病がちであったために家の外に出たことはほとんどなかった。寄宿学校に入学してからネルに簡単に案内をしてもらった程度の知識しかない。コゼットに楽しんでもらえるだけの案内をできるとは思えなかった。


「構わないけれど、私はあまり詳しくないし、私の友人も一緒に……」


 ネルにお願いすれば、彼女は気安く引き受けてくれるだろう。ネルは面倒見がいい。それに、そうだ、とロシェルは天啓を得た。その王都観光にファーガスを伴えば、彼の恋路の手助けもできるかもしれない。

 けれど、ロシェルの提案に、コゼットは申し訳なさそうに俯いた。


「申し訳ございません。私、どうも人見知りをする性分でして。ロシェルさんのご友人を困らせてしまうかもしれませんし、できればロシェルさんお一人にお願いしたいのです」


 そう言われれば、ロシェルにもコゼットの気持ちが分かる気がした。ロシェルはどちらかというと初対面の相手ともそう気負わず会話ができる方ではあるが、マルクと初対面で会話をしたときは確かに気まずかった。元々人見知りであるならば、彼女が初対面の人に感じる気まずさはあれ以上なのかもしれない。もっとも、あれは彼からの異性へ向ける目に、居心地の悪さを感じていただけかもしれないが。


「ええと、じゃあ……私も詳しくないけど、それでもよければ」

「はい、ぜひ」


 コゼットは嬉しそうに微笑んだ。大人びた彼女も、笑顔を浮かべれば年相応に見える。彼女の願いを叶えてあげたいな、と思った。ロシェルは普段世話を焼いてもらうことが多く、こうして頼られることは珍しい。誰かに頼られたことが、少なからず嬉しかった。それに、可愛い後輩で、イルマの妹の願いなのだ。ロシェルが張り切るには十分の理由だ。

 ロシェルはとりあえずネルにお勧めの観光スポットを聞いておかなければ、と考えながらコゼットと日取りの打ち合わせに取り掛かった。




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