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横穴を抜けた先の行き止まりに、それは忽然と置かれていた。
宝箱。そう呼ぶにはあまりにも大きく、まるで棺のような印象を受ける。
「ちょっと、これ持ってて」
周囲にモンスターの姿がないことを確認すると、イリスは剣を収める。
そして、ライターをマリーに渡し、片手では開かない宝箱の蓋に両手を添えた。
「ぐっ、結構重いわね……」
重厚な蓋に体重をかけるようにして押し上げる。音を立てながら、箱がゆっくりとその口を開き出した。
中から埃っぽさに混ざって、血の匂いが漂ってくる。盗賊が集めたものだけあって、奪った持ち主の血が付着しているのかもしれない。そういうこともあり得ると、イリスは過去の経験から推測していた。
最後に特段大きな音をあげ、箱が完全に開放される。
「これは……何か、ある!」
中を覗き込むと、薄ら白い塊が見えた。宝石の類にしては大きく、色もくすんでいる。だが、ただの石ころにしては形が整いすぎているようにも見えた。
何にしても、底が深くて暗いままでは判断もつかない。
「灯りをもう少し近くに!」
「は~い」
マリーが軽薄な口調で返事を返していたが、この時イリスはその事を気に留めることはなかった。
冒険者の性なのだろう。お宝を前にしたイリスは心を躍らせ、その姿を一目拝みたいという気持ちで一杯だった。
うまいこと窪みに指を引っ掛け、イリスは球体に近いそれを引っ張り出す。
背後から照らす淡い光が、持ち上げたそれの姿を鮮明に映し出した。そして――
「ひぃっ――!?!?」
イリスは驚きのあまりに、掴んだそれを投げ捨てた。
身を引こうとしたその瞬間、突然宝箱の蓋が閉まる。それはとてつもない重量であり、凶器だった。
劣悪な刃を備えたギロチンのように、挟まれたイリスの腕が二の腕からばっさりと食いちぎられる。
よろつきながらどうにかバランスと保とうとする、イリス。だが、不意に両足を掴まれ転倒した。
「なにが起きて――!?」
倒れ込んだイリスは顔を上げ、自分の足元を見た。
程よく肉がつき健康的なイリスの両足。その足を宝箱から伸びた腕が掴んでいたのだ。
「綺麗な足。丁度新しいのが欲しかったんです」
声に反応して振り向くと、マリーが横たわるイリスの傍まで歩いて来ていた。
その時、必然的に衣服の間からマリーの素足が目に入る。
マリーの両足は太もも辺りから、まるで別のパーツを取り付けたかのように縫い付けられていた。しかも左右が不揃いのように、骨格からして別の物に思える。
「あなた一体……」
この少女は人間ではない。イリスは驚愕を通り越して、恐怖の色をその表情に浮かべる。
いま思えば、少女の言動には怪しむべき点がいくつもあった。
誰が来るとも知れぬ洞窟にいて平静だったことや、誰も持ち帰れなかった宝の場所を知っていたことも、疑問に持つべきだった。
儚げな少女を装ったそいつは、イリスが隙を見せるその瞬間を虎視眈々と待ち続けていたのだ。
「ぐっ、情けない。せめて一太刀!」
殺意を込めた一撃を浴びせるため、剣に手を伸ばした――その時。
「……え?」
宝箱の方から、忘れようもない彼の声が聞こえてくる。
慌てて振り返ると、イリスはその相貌を見開く。
「イ、リス……イリ、ス……」
灯りに照らされた宝箱の側面に、紛れもなくイリスの夫の顔が浮かび上がっていたのである。
それは口の部分を動かしながら、イリスがもう一度聞きたいと願っていた声で、何度も名前を呼んだ。
「だから言ったでしょう。また会えるって」
マリーの明るい声に、再開を祝う乾いた拍手が続く。
込み上げてきた想いに、イリスの唇が震えていた。
「本当に、あなたなの……」
まだ信じられないイリスは、足を掴む手に銀色に輝く指輪を見つける。
疑惑は確信へと変わる。見間違うはずなどない。それは二人の結婚指輪だった。
イリスは身体を曲げて、氷のように冷たくなった夫の手に触れた。
すると、堰を切ったように、イリスの瞳から大量の涙が溢れだす。
「うそでしょ! こんなの――!」
やりきれない想い。亡くなってても仕方ない。そう口にしながらも、心のどこかでは生きていると信じていた。
それがこんな形で打ち砕かれようとは思いもしなかった。
「うんうん。手紙を書いてもらった甲斐がありました」
イリスの嗚咽に混じって、岩肌にぶつかる金属音が響き渡る。
マリーは転がっていたつるはしを引きずりながら、イリスの元へと近づいた。
振り下ろされる死神の鎌。だが、イリスは最後のその瞬間まで、愛する夫の手を離そうとはしなかった。
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「やっぱり家族は一緒が一番ですね」
宝箱に腰掛け、少女は新しくなった足をぶらつかせる。
見下した視線の先には、指を重ねた二つの手。そして、宝箱の側面に男女の顔が浮かび上がる。
「そうだ。せっかくですし、次は子供も仲間に入れてあげましょう」
少女は飛び降りると、手にしていた頭蓋骨を宝箱の中へと放り投げた。