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「っ――」
目を覚ました時、最初に感じたのは全身を駆ける痛みだった。
イリスは冷たい岩肌に横たわった身体を起こし、周りを見渡した。
新月のような闇が洞窟内を満たしている。松明を持っていたはずだが、手元から無くなっていた。
「仕方ない……」
イリスは懐からライターを取り出した。
パッとついた小さな炎が、目鼻立ちの整ったイリスの顔とその周囲を照らし出す。
すると、目の前に見知らぬ少女の姿があった。
「うわっ!」「きゃぁぁぁぁ!!」
イリスが、そして少女が驚く。
少女は伸ばしていた手を引っ込め、慌てて距離をとった。
「ごごご、ごめんなさい」
ひどく怯えた様子で謝る少女。年は十三かそこらだろうか。
儚げな印象を受けるその顔立ちは、まだ幼さが残っている。
「わ、わたしマリアンと言います。皆はマリーって呼んでます。事情がありまして今は森で暮らしています」
マリーと名乗った少女は日々の苦しい生活の表れなのか、みすぼらしい恰好をしていた。
伸びに伸びきった長髪に、ボロボロのワンピース。痩せ細った手足が彼女の境遇を物語る。
「ここへは山菜を取りに来たんです。でも、運悪く足を踏み外してしまって……。
そしたら、お姉さんがいたので息を確認しようとしてました」
少女マリーは自身とイリスの置かれた状況を淡々と説明してあげた。
イリスはライターを掲げると、頭上を見上げる。淡い光は闇に溶け、天井までは届かない。
「踏み外すなんて、勘が鈍ったかな……」
現役の頃ならこんなことなかったはずだと、イリスは一瞬苦い表情を浮かべる。
だが、幸いな事に壁面はでこぼこしており、登る分にはそれほど苦労しなそうだった。
「あとは、くっ……」
立ち上がろうとすると、腰に激痛が走る。落下の際に強く打ち付けたのだろう。
このままでは壁を登るどころか、歩くこともままならない。
やむなく、イリスは痛みが引くまで身体を休めることにした。
そんなイリスの様子を、マリーはじっと観察するように見つめる。
「あの……お姉さんは冒険者ですか?」
マリーの視線は、イリスが腰に下げた鉄の剣に向けられていた。
それは決して高価なものではないが、使い慣れたイリス愛用の装備であった。
「うん。でも『元』だけどね。最近は剣より包丁を握る方が多かったから」
数年前、イリスは子供が出来たのを境に冒険者を辞めた。お相手は同じ冒険者の戦友だった。
その後は夫の帰りを待ちながら、家事と子供の世話に専念してきた。もう二度と剣を握ることはないと思っていた。
しかし、そんなイリスが再び冒険者に舞い戻ることになったのは、あの一通の手紙だった。
隠す必要もないからと、イリスはマリーに自身の目的について白状する。
「旦那は次の冒険を最後に、子供と三人でのんびり暮らしたいって言ってたの。
でも、あの人は帰らなかった。代わりにこの手紙が届いたの」
手紙に記された村の名前を頼りに、イリスはこの洞窟へと辿り着いた。
文面から只ならぬ事態が起きたのは間違いない。
冒険者とは常に危険と隣合わせの職業だ。だから、もしかすると夫は既にこの世にいないのかもしれない。
それならそれで確証が欲しかった。いつまでも落ち着かない気持ちで待ち続けることが、イリスには耐えられなかった。
手紙を握るイリスの手に、自然と力がこもる。
すると、マリーは揺れる炎に照らされながら、あどけなさの残る顔に微笑みが浮かべた。
「大丈夫ですよ。きっと、また会えますから」