Out of the mouth comes evil.
第6話です、今回もゾンビさんは出ません。
相変わらずひたすら、狭い学校の中で人間同士でごちゃごちゃやってます。
こんな話で、ご覧頂いている皆様に楽しんで貰えるのかなあと不安に思う部分はあるので、ご意見・ご感想・ご質問等ありましたら是非よろしくお願い致します。
結城宗一郎は、応接セットの革張りのソファにゴロッと横になって、冷めた緑茶を啜っていた。さっき、あの騒がしい二人組が去った後、そのままソファに横になってウトウトしていたのだ。
今日も疲れた、と思って宗一郎はぼんやりと今日一日のことを思い出していた。 午前中、彼は洋弓部や射撃部を訪ねて、部員に協力を求めて回っていた。こういった部の部員は、武器を扱うスポーツの腕を競ってきたわけで、こういう事態の中で一番強力な戦力になるはずだった。
ところが、そのアテは全く外れてしまっていた。こういった危険な武器を扱うスポーツの競技者は、その道に足を踏み入れていの一番に、何があっても弓や銃を人に向けてはならないと教わるらしい。それは彼らにとって、ほとんど神聖とも言える掟であり、こんな事態になってもなお、人に、あるいはかつて人だったものに弓引くことを、ほとんどの者が拒絶するのだ。
もし実際にジキに襲われても、彼らは最後までその掟を守るのだろうか?それとも、ジキのあの凶暴な、野獣や悪鬼の如き顔を見たら、そんな掟は吹っ飛んでしまうのだろうか。宗一郎には分からなかったが、一つはっきりしていたのは、武器を持つ彼らでさえ、こんな事態の中でもまだ、誰かが何とかしてくれると考えているということだった。
一事が万事、こんな調子だった。医学部の奴らは、拘束中のジキを治療できる可能性がゼロでは無いと言い張って、いつまでも放置している。大半の学生や教職員は、事態の変化に向き合わず、ただ漫然と授業や学業に打ち込んでいる。誰も彼も、現実に向き合おうとせず、これまでのやり方を一つも変えようとしないのだ。そういう人々の大群を前に、宗一郎は全き無力感に襲われていた。
午後には、もっと彼を苛立たせる出来事が起こった。食堂の調理師達から、魚や野菜などの生鮮食品が乏しくなってきたのでどうにかして欲しい、という不平不満が寄せられたのだ。口では考えてみるとか何とか言って電話を切ったが、内心では怒りを爆発させていた。俺にどうしろと言うんだ!?それが彼の偽らざる感情だった。
それに比べれば、あの二人はまだマシだったな、と内心で思った。少なくとも、自分から何か協力したいというのだから。実際、燃料の問題は、彼が頭を痛めている問題の一つだった。一応、考えているプランはある。しかし、この件はもう少し検討したかったし、少なくともキメラ部隊の全面的な協力が必要だった。そういうわけで、彼はあの二人をひとまず追い返したのだが、近いうちに来栖と相談する必要があるな、と思っていたところに、ちょうどその彼女が見えたので、彼は少し気分が良くなって言った。
「ああ、来栖。ちょうど話したいことがあったんだ。まあ座ってくれ、いま何か出すから。」
そう言って立ち上がったところで、これまで聞いたことも無いような彼女の暗く冷たい声を聞いて、身体が凍りつく。
「お茶はいいよ。そんな気分じゃない。それに、まず私の方が、聞きたいことがあるから。」
「ど、どうした、そんな声出して。俺、何か悪いことでも…」
「いいから、お願い、座って。」
辛うじて感情を抑えているような声で、それでも最低限の礼儀は保ってそう言った彼女の声に従って、宗一郎は再びソファに腰掛ける。無表情の中に激情を湛えたような顔で、これまで一度も見せたことのないような顔と声で、来栖佳那が言う。
「どうして、外の人達を見捨てたの。」
「な、なんのことだ…?」
一瞬、意味が分からずそう返すと、彼女はこれまで溜め込んでいたものを全て吐き出すように叫んだ。
「昼間、無線で、来てたでしょ!!あっちこっちから、助けを求める声が。なんでそれを無視したかって聞いてるの。」
「聞いてたのか…。」
思わずそう呟いてから、しかし宗一郎は、どこか安堵していた。彼にはその事は、それほど重大事とは思えなかったのだ。無論、彼も最初は、悲痛な無線を聞いて心を痛めた。だが、すぐに慣れてしまった。全く、人間の慣れというのは恐ろしいものだ。どんな悲惨な状況も、ほんの数日続くと、それが当たり前に思えてしまう。ましてや相手は姿も見えず、無線の彼方の存在なのだ。
「来栖、ひとまず落ち着いてくれ。俺も気持ちは分かるよ、確かに痛ましいし、何とかしてやりたい。でも、俺達に何が出来る?アニメやゲームの世界じゃあるまいし、ジキをばったばったなぎ倒すわけにも行かないだろ。こっちだって、生きるのに必死なんだ。残酷なようだけど、どうしようもないんだよ。」
それは、宗一郎の偽らざるを本心だったが、彼女を納得させるには些か力不足だったようだ。煮えたぎる溶岩がぐつぐつとエネルギーを溢れさせるように、彼女も溢れる激情を抑えきれないような声で言った。
「ならなんで…なんで、どこもそろそろ終わりか、なんて言えるのさ、この恥知らず!!あんた、自分が何やってるか分かってるの?病人も、子供も赤ん坊も、みんな見殺しにしてるんだよ!!」
「おい、本当に、少し落ち着けって…」
その言葉は、彼女を刺激する効果しか無かったようだ。ほとんど掴みかからんばかりの勢いで来栖が言う。
「落ち着け!?あんたは自分がジキに喰われそうになっても落ち着いてるわけ?私は、私達は、ずっとあんたの指示に従ってきた。あんたがやろうとしたことが、全部じゃないにせよ、大体は正しいと思ったから。でも間違いだった。私達は、こんなことのためにあんたに従ってきたわけじゃない!!」
激しい口調で弾劾されて、しかし宗一郎の心には、次第に反発も生まれていた。確かに、彼女には随分と協力してもらったが、一方的に奉仕してもらったわけではない。彼女と仲間達が一般の生徒達の中で上手くやっていけるよう、陰に日向に色々取り計らったのだ。それでも、何とかそういう感情は押し込めて、あくまで理性的に言った。
「確かに、ちゃんと説明しなかったのは良くなかったと思ってる。今後は気を付けるから、頼むから少し落ち着いて…」
「説明って、私に説明してどうするの。あんたは結局、この一ヶ月、学校の中の細々とした調整と、下らない悪だくみしかしてこなかったんじゃない。この役立たず!!」
その言葉に、思わず宗一郎もカッとなった。大抵の男にとっては、冷血漢と言われるより無能と言われる方がキツいのだ。それで、売り言葉に買い言葉で、絶対に言ってはいけないことを口走ってしまった。
「何だと、このバケモノ!!」
そう言った瞬間、彼女が酷く傷付いた顔をして、すぐに後悔する。それは、この事態が起こってから最も信頼していた相手を傷つけてしまったことに対する後悔でもあり、差別的な発言を口にした自分自身の醜さに対する後悔でもあった。けれどそんなことをゆっくりと考える暇もなく、次の瞬間には、彼女は阿修羅のような形相を浮かべて宗一郎に掴みかかっていた。
「何だって、もう一度言ってみろ!!」
彼女はそう叫びながら、宗一郎を壁に押し付けて首を絞め上げる。元々、体力がある方とは言えない彼には、キメラの圧倒的なパワーに全く対抗出来なかった。
「かはっ…!!」
気道を締め上げられ、肺が酸素を求めて脳に緊急信号を送る。耐え難い圧迫感と後悔、そして確かな安堵と共に宗一郎の意識が薄れ始めた時、突然手が離れた。思わず床に座り込んで、新鮮な空気を思い切り吸い込んでから、ゆっくりと上半身を起こした。まともに彼女の顔が見れない。どうしようかと悩んでいると、彼女の方から言った。
「私達は人間だ。誰が何と言おうと、思おうとね。だから、人間として、ちゃんと話し合う。人間相手に殺し合いはしない。例え、バケモノと罵られてもね。」
その気高く、誇り高い言葉を聞いた後に宗一郎の口から出てきたのは、誇りとは正反対の自嘲的な言葉だった。
「別に、殺してくれても良かったんだがな。」
「どういう意味!?」
激昂する彼女に、宗一郎はあくまで自嘲的な雰囲気で言う。そういう言い方が自分を貶めると分かっていても、それでもそうせざるを得なかったのだ。
「そのまんまの意味だよ。どうせそんなに長くない命なんだ、別に大差ないだろうが。」
「…あんた、病気にでも罹ってるの?」
彼女が怪訝そうに言った見当はずれな問いに、思わず笑い声を挙げながら返す。
「そういう意味じゃないさ。じきこの学園は終わる。それまでの命だって意味だよ。」
「終わるって…どういうこと!?」
「そのまんまの意味だよ。食料も燃料も、じき無くなる。そうなったら、あとは時間の問題だろうが。」
分かりきったことだろうが、何を今更、そんな気分だった。はっきりと言い切ってしまって、むしろ清々しい気持ちでいると、来栖が怪訝そうな声で尋ねた。
「外から取ってくればいいじゃない。」
「誰が、どうやって?この学校の警備要員の確保さえ四苦八苦してるのに、それより百倍危険が大きいそんな任務に志願する奴がどれだけいるんだ。それに、いつまでそんなことを続ける?この学園の生徒と教職員、一万人分の食料だぞ。無理に決まってるだろう。」
「そんな、やる前から決めつけなくても。みんなにちゃんと話して…」
「話ならしたさ、何度も何度もな!どいつもこいつも、もう少し考えさせてくれの一点張りだ。挙句、泣き言だけはこっちにぶつけて来る。大体、俺に何が出来る?俺の言葉を聞いてくれる奴なんて一人もいないさ。全く、とんだ裸の王様だよ。」
話しているうちにこれまでの憤りの数々が蘇ってきて、ヒートアップしながらそう言う。それから、少し口をつぐんでからなおも続けた。
「それに、考えてもみろ。俺達が、どれだけ高度で複雑な社会に生きてたと思う?俺達は、自分達が生きていく上で必要なものを、何一つ作っちゃいなかった。そういったもののほとんどは、今じゃどうやっても手に入らない。日本で油田が掘れるか?俺達だけで車や家電、いや電球一つだって作れるか?社会システムが崩壊した時点で、俺達の未来は決まってたんだよ。俺がやってるのは、結局のところ、最後の日をほんの少し引き伸ばしてるだけなのかもな…。」
結局のところ、社会システムという巨大なジグソーパズルの1ピースに過ぎなかった自分達が、突然他のピースが消滅してしまった状態で存在し続けられるとは思えない。それは宗一郎の頭の片隅にこびりついて離れない考えだったし、あまりにも巨大過ぎる問題で、どんなに頭を絞って考えても解決策が浮かばなかった。答えが見つからないまま、いよいよ終焉の日が近付いてきて、もうその考えから目を逸らし続けることは出来そうもなかった。
ずっと頭の片隅にありながら、あえて隠してきた考えを一気に口にしたことで、自己暗示をかけるように自分自身まで暗い気分になってしまう。まだ黙っている来栖の顔を見ないまま、諦めと皮肉の混じったような気持ちで言った。
「そういうわけで俺としては、ジキに喰われるよりは、あんたに絞め殺された方が少しはマシだと思ったんだよ。全く、あんたは正しいよ。俺はどうしようもない役立たず、ウドの大木、能無しの穀潰しだ。それから…」
自分を罵倒する言葉が他に見つからず、一瞬言葉を切ったところで、来栖が手を差し出したのが見えた。その手に捕まって立ち上がりながら、陳腐な慰めでも聞かされるのかな、と能天気なことを思った。もし宗一郎がちゃんと彼女の顔を見ていたら、そんな都合のいい考えは微塵も抱かなかったことだろうが。
次の瞬間、宗一郎はそのろくに鍛えていない腹筋をしたたかに打ち据えられて、数歩後ろに下がってから床に尻餅をつき、呆然と下手人の方を見上げた。彼が見た来栖の顔は、さっきまでの激情とも違った、むしろ純粋な苛立ちだけを湛えた冷たい表情を浮かべていた。
「大人しく聞いてればさあ、何なの、あんた!?くどくどくどくど、出来ない理由ばっかり。あんたみたいなのを、女の腐ったのって言うのよ。挙句の果てに泣き言を並べて、何が言いたいの?私がそんなこと無いよ、あんたは賢くていつも頑張ってるよって慰めるとでも思った?お生憎様、私はそこまで出来た人間じゃないし、ウジウジした男が一番嫌いなの!!」
両手を腰に当て、前かがみになりながら勢いよくそう言う姿は、小さな子に説教している母親か姉のようだった。奇妙な状況に思わず苦笑しながら、ぼやくようにして言う。
「だからって、そんな全力で殴らなくてもいいだろうが。」
「それはまあ、気合を入れたと思ってよ。人から頼まれた分もあるし…」
楽しげに笑いながらそう言った来栖の、最後の言葉の意味が分からず尋ねようとすると、それを遮って彼女が言った。
「ともかく、私が言いたいのは、もっと前向きになれってこと。あんたの提案を嫌がる奴もいるでしょう。でも、そうじゃない相手もいる。少なくとも私は、燃料や食料のために外へ行けって言うなら、ちゃんと話を聞くよ。それに、あんたは随分先のことまで心配してるみたいだけど…」
一旦言葉を切って、もう一度手を差し伸べて来た。宗一郎は、恐る恐るその手を取って立ち上った。今度は拳は打ち付けられず、代わりに聞く者の心に染み入るような、優しく穏やかで、それでいてしっかりとした声が彼の耳に届いた。
「一人でそんなに先のことまで悩まなくてもいいんだよ。ちゃんと話して、打ち明けてくれれば、一緒に悩むから。」
その言葉を聞いた時、宗一郎は目頭が熱くなったのを感じた。それは、彼が最も欲しかった言葉だったから。だからこそ、崩れそうになる声をなんとかぴんと張って、彼女に短く礼を言った。
「そりゃどうも。あんたにそう言って貰えれば、頼もしいよ。」
本当は嬉しくてたまらないのに、つい憎まれ口を叩くような言い方をしてしまう。また怒られるかと思ったが、彼女は何も言わなかった。そのことに感謝しながら、温かいお茶を二杯淹れて、さっきまでのソファに戻る。ゆっくりと時間をかけて、熱いお茶を飲み終えると、昂ぶっていた気分が落ち着いた。今度こそ来栖の方をしっかりと見て、改めて感謝と謝罪の言葉を口にする。
「色々ありがとう。それから、さっきは悪かった。そんなつもりじゃなかったんだ、ただ…いや、何を言っても言い訳だな。」
「どういたしまして。もう忘れたよ。」
宗一郎の短く簡素な礼とすっきりしない謝罪を聞いて、さっきの彼の暴言を気にしてないという風に来栖は笑った。この困難な、苦難に満ちた状況下で、彼女のような強く前向きな人間が近くにいることに、宗一郎は信じたことも無い神に感謝したい気持ちになる。それから、躊躇いがちに尋ねた。
「なあ、来栖。ずっとは無理でも、しばらく生き延びるためにやりたいことがある。協力してくれるか?」
「私は、もう言ったはずだよ。必要なことなら、ちゃんと話を聞くって。」
その自信に満ちた力強い言葉に、再びの感謝の言葉を口にする。
「ありがとう。藤堂と、あと、そうだ、あの外から来た二人組を呼んで来てくれないか。」
了解、と言って外を出て行こうとした彼女は、ドアの近くで振り返ると、悪戯っぽく笑って言った。
「そうそう、さっきのパンチだけど。全然本気なんかじゃないから、次の時までに鍛えておいてね、会長。」
一方的にそれだけ言って、出て行ってしまう。一人残された宗一郎は、乾いた笑い声を立ててから、敵わないな、と呟いた。何もかも上手くいくような、そんな軽やかな充実感を感じていることに、自分自身でも驚きながら。