傘張の娘
これから私がお話致しますのは、長崎で起こりました「ろおれんぞ」と申しました娘の悲惨な死―詳しくは芥川某とやらが書籍を出しているとのことで、そちらをご覧頂きたいと存じます―の後の物語に御座います。あの場では多くの者が彼女の死を悼み、懺悔の涙を流しておりましたが、此度は「ろおれんぞ」が教会を追いやられる原因となりました、「傘張の娘」をご覧にいれようと思います。
嗚呼、申し遅れました。私はこの国では悪魔などと呼ばれております、「るしへる」と申すものに御座います。この国へはフランシス上人と共に参上してからというもの、共に天主教の布教に努めております。悪魔が「でうす」様の手伝いをするなど、俄かには信じられないことで御座いましょうが、これには理由があるのです。と言うのも、日本国には天主教が伝わっていないと申すではありませんか。「でうす」様を知らないならば誘惑も叶わないため、初めは煙草の葉を育てながら過ごしておりました(この話も、芥川がまとめているとの話を聞いております)。
私の話はこれくらいにしておきましょう。それよりも、娘の話は皆様の御耳に一度は入れておきたいのです。
あれからと言うもの、彼女は一日も欠かさず麻利耶観音像に「こいさん(懺悔)」を続けておったと聞いております。時には一日中像の前に坐っていることもあり、傘張の翁や「しめおん」はもちろんのこと、奉教人共や伴天連さえも心配になって連日見舞いをしていたそうで御座います。しかしいくら食事を勧め、休みを取らせようとするも、聞く耳を持たずただただ「こいさん」と「おらしょ(祈祷)」を続けるばかりでありましたそうで、終いには娘の事も忘れるようになり、まるで何かに憑りつかれたようであったと申すことで御座います。
悪魔の身とは申しましても、私も時には善事を為したくなるので御座います。皆様におきましても、時には悪事を働きたくなる御気持が、御腹の内から、炎熱地獄の炎のように、ごうごうと燃え上がることも御座いましょう。私も元は、「でうす」様のいらっしゃる楽園に仕えた身として、彼の娘を御助け申し上げたくなりました。
私は南蛮風の帽子を被り、鼻眼鏡に襞衿などを着け、如何にも伴天連といった容子で「おらしょ」を続ける彼女に声を御掛け申し上げました。聞き慣れない声が御気になりましたのか、ゆっくりとこちらを振り返りなさいました。
「どなた様で御座いますか。非常に失礼なこととは承知の上で申し上げますが、私は伴天連様を存じ上げません。また南蛮の方からいらっしゃった御方にございますか」
娘は怪訝そうな御目を私に向けていらっしゃいます。
私はできる限り優しいような笑顔を作り申しまして、ゆっくりと彼女に近づいていきました。
「無理も御座いません。実は、今朝方の船で長崎に着いたのです。名前はルイスと申します。聞けば、貴女は毎日麻里耶観音像に『おらしょ』を続けていらっしゃるとのこと。非常に敬虔なこととは存じますが、何か御座いましたでしょうか?誰に聞き申しましても、直接聞いてみると好いと言うばかりで、何も仰らないのです」
この時はできる限り心配そうな顔を致しました。私は此の世界が生まれてからというもの、その動向を見守って参りましたので、相手の心をこちらに寄せる術は心得ております。
すると、思った通り、彼女は少し目に涙を含ませながら、「ろおれんぞ」とのことを語りました。
「私は知らなかったのです。あの方は、漁港の男衆や、御侍様、さらには『えけれしや(寺院)』にいます『いるまん(法兄弟)』方や、伴天連様方よりも、遥かに強い御心をもっていらっしゃる上、最後まで誰にも迷惑をおかけしないようにと、泣き言を一つもおっしゃらずに私の娘を火の海の中から、命がけでお助け下さったのです。私は、露ほどもあの方が女とは思い至らなかったのです。しかし、いくら悔やんだところでもうあのお方はこの世にはおりません。ですから、こうして毎日、『でうす』様といらっしゃるであろうあの方に向け、『おらしょ』を続けているのでございます」
娘は少し落ち着いた風に見え、それでも俯いたままで、こちらを全くご覧になりません。私は彼女の為にひとつ考えが御座いましたので、それをお伝えして差し上げようと、「あんじょ(天使)」の声を真似て、こう申し上げました。
「それならば、一度南蛮の方へいらっしゃってはいかがでしょうか。あちらはこの国よりも天主教への信仰が篤い為、何か新たな発見も御座いましょう。それに、私の故郷でも御座います。丁度、明朝に南蛮行きの船が出るとの話を伺いました。折角ですから、御娘様も共に連れていくと良いでしょう」
私がお話申し上げている最中から、傘張の娘は目を輝かせ、終いには先程までの容子が遠い過去の話であるかのように、早う準備をせねば、と息巻いておりました。私はと言うと、そこで彼女の前から姿を消し、翼を使って遠い山の山頂へ向かい、日本で手に入れました煙管をふかしておりました。悪魔とは言えど、良いことをすると心持が良くなるので御座います。意外なこと、とお考えのことでしょうが、「でうす」様は御自分の姿に似せられて天使や人間を御造りなさったので、私のような元天使も人間と似通ったところがあるので御座います。ですが、私はまだこの時、あのようなことになろうとは夢にも思っておりませんでした。
さて、明朝になり、傘張の娘は、御自身の娘を連れて、出島の方へ出向いておりました。「えけれしや」の者は、傘張の娘が御動きになったことが大層嬉しかったと見え、南蛮行きを快く承諾したようで御座います。意気揚々と出向いた港には、丁度船が一艘泊まっておりました。近くの水夫に聞いたところ、南蛮へむかうとのことでしたので、そのままその船にお乗りになったようで御座います。
しかし、私はここで妙なことに気づきました。この船に乗り込むものは、皆異様にぼろ布で体を覆い、俯いておるので御座います。南蛮へ行くのも容易いことでは御座いませんから、上流階級の者が多いとばかり存じ上げておりましたので、不思議に感じたのです。
そんなことを考えておりますと、近くに南蛮人が通りかかりましたので、傘張の娘の前に現れたのと同じような恰好をして、西班牙語で事情を伺いました。
「この船はスペインへ出航する船かい」
「ああ、そうだよ。王への献上物を積んでいるんだ」
「それにしては、あまりにも貧民風の者が多いようにみえるが」
「何を言っているんだ。彼らが献上物だよ」
ここにきて、私はやっとこの船の異様な容子を理解いたしました。これは奴隷船に御座います。天主教を広めるという伴天連の心とは裏腹に、国王に任命され、伴天連に御伴なされた商人は、日本国の民を奴隷資源として連行することを目的としておりました。丁度コロンブスが新大陸を発見した際、奴隷を大量に捕獲したのと同じに御座います。大方、路上の乞食に声をかけ、「『でうす』様はどんな人間も御救いになられる」とでも説いたのでしょう。人は脆弱ですので、救いがあればそれが何であれ、縋るのです(これは私がいつも誘惑に利用させていただいている手段なのですが)。流石の私も、これには失意の念を禁じえません。ですが、気が向いたために彼の娘の心を楽にして差し上げたかっただけのことに御座います。私は己が失態の気晴らしに、今後を観察しようと、西班牙人に別れを告げ、雲の上で胡坐をかき、文字通り高みの見物を致しておりました。
すると、また不思議なことが起こりまして御座います。普段は城勤めの御侍様が、五〇人ほどの束になって御船の元へ向かっているではありませんか。私は先程の失態も忘れ、気分が高揚しておりました。丁度、ヨシュアがカナンの地を取り返すときと同じような、大事が起こりそうな予感がしたのです。私のこのような、勘とでもいうものは好く当たるのです。人が傷つく様子は察し易いのでございましょうか、いやはや、哀しき性に御座います。
そうこうしているうちに、先導を務めておりました御侍様が奴隷船の元へ御着きになり、船乗りと何やら御話を御始めになりました。
「此の船は何処へと向かう船であるか」
「西班牙へと向かう船に御座います」
「何を積んでおる」
「日本国に伝わる、職人の御造りになられました、意匠の凝らされた数々の品を本国に持ち帰り、日本国の文化を紹介させていただき、我が国と此の国の交流を深めようと考えてございます」
「では、一度中身を拝見しても構わぬか」
「申し訳御座いませぬが、既に積荷作業は終えております故、再度船を開けることはできないので御座います」
「なに、すべての部屋を開けずとも、私が見るだけで好いのだ。さあ、みせてくれ」
船乗りは万策尽きたと言った容子で、渋々日本国の郷土品を載せた部屋を御開けしました。これで終わるかと思いきや、私の勘と言うものは莫迦にならぬもので、思わぬ事態が起こりました。隣の積荷部屋から、何やら赤子の泣き声が聞こえてくるのです。不思議に思った御侍様は、直ぐにそちらに向かい、部屋の扉を御開けになりました。そこには何百人とも思われるほどの人が、これでもかと言うほどに敷き詰められて御座います。
これに驚いたのは西班牙の商人共に御座います。このようなことが起こらぬよう、本来は赤子は捕らぬと決められておりましたのに、その赤子の声がしたので御座います。この声の主は、他でもない、傘張の娘の連れる赤子に御座います。
さて、これを御覧になりました御侍方は、大層お驚きになられましたが、太閤殿の使者から御話は伺っておりましたようで、直ぐに落ち着きを取り戻しなさいました。
「其の方ら、此の国の民を西班牙へと運び、奴隷として売り捌く算段で御座ったろう。大方、天主教の布教と言うのも名ばかりに、奴隷を捜して居ったに相違ない。皆、こやつらを捕えよ」
そう言うが早いか、南蛮人共は懐に隠し持った小銃と短刀を構え、御侍様へと襲い掛かりました。これに御侍様方も抜刀し、船上は正に戦場へと変貌を遂げました。
辺り一面、右は斬られ、左は撃たれの大騒乱に乗じ、奴隷となったものは船からどうどうと船外へ流れ込む様に逃げ出しております。私は傘張の娘の行方を気にしておりましたが、一向に船から出てくる気色が御座いません。何と、あまりにも雑多な混乱の為か、赤子を手放したようではありませんか。娘は地を這って赤子を探しておりましたが、どこにも見当たりませぬ。
そうこうしているうち、御侍様方は船に火を御放ちになりました。火は積荷の火薬に燃え移り、ごうごうと音を立てて燃え盛っております。正に現世の地獄、私は懐かしさすら感じておりましたが、人はそうもいかぬようで、ばたばたと人が倒れていきます。娘はそれでも赤子を探しており、ついに赤子を見つけ、この惨状から逃げ出そうと致しました。そして、今まさに船と陸を繋ぐ橋へと足を掛けた、その時のことに御座います。
嗚呼、「でうす」様は何と残酷な御方で御座いましょうか。橋が燃え盛る火の熱に耐えきれず、崩れ落ちたので御座います。こうなってはどうしようもありません。娘は諦めた容子で、赤子を抱きかかえたまま膝から崩れ落ちました。海に飛び込もうにも、赤子を抱えたままでは泳ぐこともままなりません。まして、娘はこのところ碌に食事も摂らぬ日々を過ごしておりました故、どうすることも出来ぬのです。
ですが、私はこの時、世にも奇妙なものを眼に致しました。私も随分と長い間生きておりますが、この時ほど驚いたことは御座いません。何と、娘は笑っておるのです。死の間際、眼前に広がるこの世の地獄絵図を前に、朗らかに笑っておるので御座います。それは苦笑と言うには余りにも明るく、笑顔と呼ぶには余りにも歪な形をしておりました。私にはこの時の娘の御気持ちは解りませぬ。ですが、彼女には一切の後悔も怨恨も無かった容子です。それはそれは清々しく、爽やかなものに思え、砂漠に凛と咲く一輪の彼岸花のようでありました・・・。
後日、船からは沢山の死体が表に出されました。殆どの死体が火に焼かれ、誰とも分からぬ様であったとのことですが、唯一、赤子を抱えた娘の死体は、顔貌も残っており、十字架を手に握りしめ、固く結んだまま、聖母のように美しい微笑を浮かべていたとのことで御座います。
さて、長々と拙い話を聞いていただき、感謝の言葉も御座いません。皆様は私が娘を助けるように見せかけて、その実、娘を地獄の道へと導いたように思われたかもしれません。しかし、先述致しました通り、悪魔と謂えど、元は「でうす」様にお仕えした身です。人を救うのに、聊かの躊躇いも御座いません。此の件に関しましては、恐らく「でうす」様がお導きになったのでは無いかと存じます。彼の娘は既に大罪を犯しております。それを御覧になっておられた「でうす」様が、御裁きを御与えになったのでは無いか、と推察致しております。
若しくは、「ろおれんぞ」と娘の関係を不憫に思い遣られた「でうす」様が、天上界で二人を突き合わせなさろうとお考えになったのかもしれません。
何れにせよ、私の愚考など取るに足らぬもの。事の次第は、正に神のみぞ知る、と謂ったところで御座いましょうか。
皆様に於きましても、今後はよくよく御注意なされたほうが宜しいかと存じます。何時如何なる時も、「でうす」様は天上から御覧になっております。悪事も善事も、一つとして御存知にならないことは御座いません。私が天上を追放されましたのも、それが原因に御座います。皆様方には、私と同じ轍を踏まぬよう、ただただ願うばかりで御座います。
嗚呼、ですが、私のような者が現れた際には、どうかお気を付けください。何もせずとも不幸を招きよせるのが、悪魔の性と謂うもので御座いますから。
読んでくださってありがとうございます。ご意見、ご指摘、ご感想、等々、お待ちしてます。
個人的にはハッピーエンドです。ですが、それは読んだ方にお任せします。