2014.9.23
最近はイラストのほうを復活させたのでますます読書の時間が減った。
イラストが描ける人なんだから、イメージ画を自作したらプロット制作が楽になるかと思ったからだったが、もしかしたらさらなる遠回り、無用の努力を選択したのかも知れないと危惧している。
人物設定やら、特に世界観設定は絵が描けるならことさらに楽が出来ると思ったんだが・・・甘かったかな。
『きまぐれロボット』星新一著
『変身』カフカ著
星新一氏は自身の作品のアイデアを使って創作することを公に許可していることで有名だが、なるほど氏の作品はパクリようがないからそう仰るんだろうなと思った。短編として、アイデアを扱う形としては似た物を作りようがないという形態にまで凝縮しておられるので、もし使うなら別の作品にするという使い方しか出来そうにない。
だから安心して、いや、むしろ挑発的な思惑で、「使えるもんなら、使ってみな。」と仰ったんだろう。
パクリというのは、一面では元作品に足りない部分を補うということでもあるから、元作品がパーフェクトであれば、パクる余地が消え去るのだ。二次創作がなされる作品は、人気があるというだけでなく、その作品世界が完成されたものであるかどうかも関係するのは、前から知っていたが。
パクリとパロディが成立するには、「元作品の一部だけを変えて成立させる」という条件が必要になるわけだが、完成度が高い作品になるほど改変の余地が無くなるというわけだものね。それで、オマージュやリスペクトという「元作品の一部を使って構成する」という方法論しか取れなくなるわけだ。なるほどな、と感心した短編集だった。
カフカのほうだが、この作品は確か作者が永遠に封印してくれとかのたまったという逸話があるものだったと思う。出来損ないというか、決定的な「やっちまったなー!」な点があるんだろうと思っていたが、なるほどね、という感じの読後感。
恐らく、ラストが蛇足なんだろう。
無礼な下宿人との対決から先は、この作品の場合は非常な悪感情を植え付ける。作品に対して、どうしてこんな余計な場面をくっつけたんだ、と思ってしまった。もちろん、下宿人とそれにまつわる事件の結末は無視できないにしても、もっと別の書き方をした方が良かっただろうなと思うし、作者もそう感じないわけはないと思える。ニヒリズムに傾くあまり、イデオロギーを描き出すための蛇足をやらかしたと思ってしまった。そのせいで、文体でわざわざ突き放した他人事口調を使ったのに、台無しになったようにも・・・。
しかし、この作品はボロボロ泣きながら読んだ。あんまりにもどうしようもない事態に陥って、逃げられない立場の者の苛立ちとか絶望とか、ヒステリーを起こしてリンゴを投げつけた父親のヤケッぱち具合も、どんどん追い詰められていく主人公の心情も、なんかもう、なんとかならんのか、と。
そして、逃げられる者たちの部外者ぶりが腹が立って腹が立って。上役である支配人なんかまだ良い方で、後に出て来る下宿人の外道ぶりは、もう「悪魔に喰われてしまえ!」と憤るほどだ。権利を宣言するあたりの彼らの冷酷さ、他人事であるからの無慈悲はもうね。
いや、さすがに名作と呼ばれるだけある。最後は蛇足だと思ったけど、それでもやっぱり読んで良かった。