2014.8.3
やっほー知恵袋をガサガサしていたら、素晴らしい回答に巡り合った。
rhetoricman777さんという方の回答をまるごと引っこ抜いて来た。
>小説などで、小難しい言い回しや、単語が用いられますが、それが文学なのでしょうか?
それ"が"文学なのではなく、それ"も"文学なのですね。
>特に純文学などの小説に、小難しい言葉などがよく書いてありますが、あれは作者の自己満足なのでしょうか?
そうですね、最近はそのように思います。漢文や古文の素養の乏しい書き手が、背伸びをしながら書いている"生硬"な文章が多いです。
ですが、ちゃんとした実力のある作家の場合はどうでしょうか。近代文学あたりの作家になると語彙の選び方であったり、語彙を生かした知的構成の秀逸なものが多いと言えます。昔の作家は帝大(今の東大)を出たエリートなど、学のある人間が書いていたからですね(当然、先の漢文・古文もですね)。
ですから、その場面に適した語彙を選ぶ能力や小説に対する考えが、現今の稚拙な書き手とはレベルが違うわけです。
そして、この話を掘り下げると
>小説の本質は「面白さ」ですよね
とおっしゃる、あなたの見解に対する少々の反駁をさせていただかなくてはなりません。
たしかに、話の質は大変重要な要素であります。ただし、話の質だけでは"小説"にはならないのですよ。
たとえば、大変おもしろいと評判の本があったとします。その作品を読んだ読者が「おもしろかった。映画で観てみたい。凄い作品になりそう」であるとか、「ドラマとかでもいいよね」などと感じるとしましょう。そうしたら、その作品はもはや"脚本"であり"物語"でしかないのです。
「小説とは文字でしか表現できないもの」や、「小説ならではの構成」というものが生かされていないとダメなのですね。
小説を、舞台化します、ドラマ化します、映画化します。そのように他媒体で簡単に表現できてしまうものは、本来は小説とは言いません。物語や脚本の域を出ないものです。
小説のような、"文字で表現する意味のあるもの"を作り上げる場合、ひとつの表現方法として「小難しい言い回し」や「小難しい単語」を用いるケースがあります。そういった「小難しい言い回し」や「小難しい単語」を効果的に使えると、表現に深みが出たり、文章に味わいが増すからです。
その"効果的"な使い方が、昨今の作家は不十分だと感じています。
悲しいことですが、物語を小説に昇華させられる作家は年々少なくなっているのですよ。
――――引用おわり―――――
なにがスゲーと言って、行開けしてあったのを詰め詰めにしても遜色なく読み込めるってことだよ!
一行の文字数、漢字や、難しい言い回しの制御とも、高レベルの文章だ。
(誰だ、やっほーにはロクな回答者がいないなんてデマ吹いてたのは。)
そして、自身が漠然と目指していた場所が間違いではない事も教えてくれた。
回答者のrhetoricman777さんに、わたしも感謝したい。
アイデアや展開で勝負するのは止めて、普遍的なテーマを直截に叩きつけよう、と思ったことをだ。
『おばあさんが居るということ』『一握りの善良』で目指したもの、何のヒネリもない、よくあるありきたりなストーリーを、文章で読ませる。それを目指す。
それこそが本来の小説なのだと言ってもらえて、自信がついた。
他の媒体に変えることが出来ない小説を、いつか書く。
がんばろう。
捕捉。
人称の質問があって、これは回答者の意見がまちまちだなー。
わたしの意見。
「何をどう書いたって構わない。ただし、それを受け入れられる読者と受け入れられない読者があり、認知の最大公約数から外れるごとに読者も減る。」
人称のごった煮でも、視点変更でも、ガンガンかまして構わないけど、読者のうち何人がそれを混乱せず読めるかという問題だよね。需要と供給の関係だけのことで、正否ではないってことよー。
もっとも読者に好まれるのは、「小学生向けの漫画チックなストーリーを、一人称で主人公をナレーター役にした、一本道の、解かりやすいサクセスを積み重ねていくラノベ作品」だから、そのテンプレートにどれだけ添えるかが重要だよね。
視点変更のタブーについては、良く解からんってのが正直なとこだけど、「故意に情報を糊塗すると読者は嫌がる」に関わっていると思われ。正当な理由なしに情報が遮断されると、読者は疎外感から読むのを止めたりします。その状態に容易に陥ってしまうのが、視点変更による心理描写の許可変更。(笑
視点者Aの心理を普通に書いていたものが、視点者Bに切り替わった時点からは、Aの心理描写が「出てこなくなる」のですね。ここが落とし穴なんじゃないかなと思うー。
んで、だからと言ってAもBも心理描写を許可したら、昨今の読者は「書き方も知らない」と認識するでしょう。ようするに、何をやってもいいけど、読者の受け止め方を計算した駆け引きは忘れんなよー、と。(笑
まぁ、やらんからどーでもいいー。(笑
本日最後の薀蓄。
誰に聞いたか忘れたけど。
「古今東西、色々な作品があるけれど、『自分にも書ける』と思ったなら、それは現実に書けるレベルの作品だ。」
さて、わたしは誰の作品までなら、『書ける』と思ったでしょう。(笑