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体温。  作者: 雪田
本編
8/57

第08話 泣かれるとは思わなかった。

 初めて、好きだと言われたとき。

 嬉しくて、恥ずかしくて、頭が真っ白になった。

 その真っ白に包まれてしまったように、色々なことをぼんやりとしか覚えていない。

 ただ、

 断ったあとの一瞬笑い逃したような顔と、次の日の朝に挨拶された笑顔だけは、よく覚えている。

 彼は拍子抜けするくらい普通に戻っていた。

 努めてそうしていたのかもしれないし、気を遣ってくれたのかもしれない。

 ほっとした裏側で、そんなものなんだろうか、と思った。 

 今年のクラスになるまで、告白なんてものをされたことがなかった。

 それどころか、男子と話す機会も滅多になかった。

 それが当たり前だったのに、今はすべてが逆転して、これが当たり前になっている。

 それを、いいねーと言ってくれる友達も、大変だねーと言ってくれる友達もいた。

 自分自身では今の立場がいいのか悪いのか、前と比べて判断することはできなかった。

 ただ、わからなかった。

 わからない自分がふがいなくて、そんな自分を好きだと言ってくれる気持ちが想像できなかった。

 ふと、好きってどういう気持ちだっけ、と思った。わからなくなっていた。


 


 シャっという軽い音。

 まぶたの裏が赤色から黒色に変化したのに気がついて、理実は目を開けた。

 頬に冷たい、固い感触があって、薄茶色の木目が目に飛び込んできた。

 自分のいる場所がどこなのかわかって、理実は安心してもう一度目を閉じた。



 もう一度、目を開けたとき。

 部屋の中はもう薄暗くなっていた。

 どれくらい眠ってしまったんだろう、と理実は慌てて、机から顔を上げた。


「起きた?」


 図書室の机は幅が広くて、向かい合うように腰掛けて使うようになっている。

 理実のちょうど向こう側に、人の形をした影が座っていた。

 手にしていた文庫本を閉じて、椅子から立ち上がる。

 一直線に歩いてたどりついた棚にその本を返すと、また同じ場所に戻ってきた。


「……灰谷くん?」


 理実の問いかけを、灰谷はかすかに笑って、肯定した。


「うん」




 灰谷はさっき座っていた椅子を通り越して、理実のそばまで来ると、閉まっていた窓のカーテンに手を掛けた。

 脇に寄せて、紐で束ねる。

 窓の外はすっかり日が落ちていて、校庭で部活動をしている生徒の姿はなかった。


「もしかして、灰谷くんがカーテン、閉めてくれた?」

「ああ、そう。西日が眩しそうだったかったらお節介やいた。そんなとこで寝てると、また風邪ひくかもな、とも思ったけど」


 灰谷の声はからかう響きを持っていて、理実は恥ずかしくなって体を縮めた。

 室内は暗くて、図書室の役割を果たせていないようだった。

 日光も気にするような人だったら、当然電気はつけないだろうなと思った。

 けれど電気をつけずに、どうやって本を読んでいたんだろう。


(じゃあ、灰谷くんは何をしていたんだろう)


 本を返したらもう用はないはずなのに、灰谷は、もう一度、理実の正面の椅子に腰掛ける。

 一度理実の様子を見やって、少し考えるようにしてから口を開いた。 


「……瀬名がさ」


 灰谷がその名前を言い出すのを、理実はひどく静かな気持ちで聞いた。


「校庭で部活のジャージ着て走ってて、オレは帰るつもりだったんだけど、校門あたりで掴まって」


 その言い方に反応して、瀬名に掴まれた腕を、消えてしまった痛みを思い出す。

 理実はなんとなくそのあたりに手を置いてみた。


「心配だから様子見てきてやってくれって頼まれて、それで」


 灰谷が今、目の前に座っている。


「ごめんなってさ。瀬名」


 理実は首を振って、灰谷の、瀬名の言葉を取り消した。

 瀬名が謝る必要なんてどこにもなかった。


「私がひどいことしたの。真剣に言ってくれたのに、私」


 図書室の机は広くて、灰谷とは少し、距離がある。

 理実は、自分が声を発するたびに、本の隙間に吸い込まれていくような気がした。


 耳に痛い静寂を気にするわけでもなく、灰谷は机のちょうど中央を見つめて、ただ黙っていた。

 理実は、できるだけ落ち着けるように、呼吸を繰り返す。

 すーすーという空気の音は、たぶん灰谷まで届いているだろう。

 待っていてくれているように思った。


「私、自分の気持ちが、よくわからないの」


 理実はゆっくりと、けれどはっきりとした口調で言った。

 灰谷が少し目をみはった。

 理実はその様子になぜかほっとする。


「好きだって言ってもえると、すごく嬉しい。でもパニックになって、あとですごく怖くなるんだ。それで、私はいったい、代わりに何をしてあげられるのかなって。

……結局、その気持ちに見合うようなものが見つからなくて、断ってしまうんだけど、でもそれはすごく、その人のことを傷つけていると思う。私には想像することしかできないけど……。

私は私の気持ちがわからないから、断ることしかできないけど。でもそんな曖昧なのは、すごく失礼だって思えて」


 他に好きな人がいるの? と聞かれて、答えることができない。

 わからないまま、曖昧なまま断って、また傷つける。


「思ってるんだけど、どうしたらいいのかわからない……」


 頑張りたいと思うのに、頑張ることができない。

 そっか、と灰谷が控えめに相槌を挟んだ。

 理実は頷いて、唇を噛んだ。

 こんなことを話したら、灰谷に嫌われてしまうかもしれない。

 それが今の今になって、すごい怖いことのように思えた。

 暗がりがかぶって、ここからでは灰谷の表情はよく見えなかった。


「オレはずっと、柳原のことかわいそうだなって、思ってたよ」


 突然、灰谷がそう言った。

 意外な言葉に、理実はまじまじと目の前のクラスメイトを見つめた。

 視線の先、そう遠くないところに灰谷がいる。それが、今更ながら不思議な感じがした。


「男ばっかのクラスの中で、柳原が頑張れば頑張るほど……そりゃ、ある程度は報われるだろうけど、でもその分、柳原の悩み事も増えるだろうなって思ってた。男と、女だからさ、やっぱり。

……かわいそうで、見ていられなくて。でもオレはずっと、誰かが助けてやればいいのに。って思ってたんだ」


 ごめんな、と謝られて、理実は逆に焦った。


「瀬名とか、神崎とかさ、相応しい奴はもっと別にいると思うんだけどな」


 ぽつりと独り言のように漏らしながら、灰谷は困ったように片手で頭をかいた。そして、椅子に深く座り直した。

 ギィ、というきしむ音ともに、理実と目が合った。


「オレ、今、柳原をすごく助けてやりたい」

「……私?」

「うん。オレが一方的に、勝手に、そう思ってるだけだから、見返りとかそんなの、気にしないでいいし。柳原は何もしないで、普通にしてればいいから」


 灰谷の言っている、言おうとしている意味が分からなくて、理実は首をかしげる。

 そんな理実を見て、灰谷がいつものように笑うことはなかった。

 真剣な表情のままで、言った。


「オレと、付き合ってくれませんか」


 頭が真っ白になった。

 それ以外の色々なことが全部、消し飛んだ。

 暗がりでよく見えないけれど、でもかろうじて灰谷の少し赤くなった顔が見えた。聞こえるはずのない心臓の音まで聞こえてきた。

 静かな図書室に響く音。

 遅れて、それが自分のものだと理実は気づいた。

 答えることはできなかった。

 ただ、灰谷が差し伸べてくれた手が優しくて、おそるおそる理実は手を伸ばした。

 ずっと我慢していたものが、頬を伝って落ちた。



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