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体温。  作者: 雪田
本編
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第05話 主人公ダウン。

 あまり見かけない顔だな、と思った。

 昨日見た、ということはちゃんと記憶にある。そうではなくて。

 どこかで見たことがある、と昨日も思ったのだ。

 体の大きさから上級生かとも思ったが、上履きのラインが青で。同学年だった。

 校舎が違うのかもしれない。


(どこで、だったかな)

「あれ、神崎じゃん」


 いつのまにか隣に出現していた赤井が言った。

 灰谷が目をやると、おはようと言ってにっと笑いかけてくる。


「かんざき?」

「そう、神崎篤郎。バスケ部のキャプテン」


 この間、部の予算委員会のときに会った、と言う。

 そういえば赤井はこれでも生徒会長だったな、なんてことをぼんやりと思い出す。

 しかしバスケ部、と聞いても灰谷にはぴんと来るものがなかった。 


「誰か探してんのかな」


 先ほどからかなりの長身を生かして、クラスの一人一人を見下ろすように……睨みつけている。

 まるでケンカでも売っているかのように見えるその態度は、クラス中から多少の注目を浴びている。

 灰谷も一緒になって、教室を見回してみた。

 今朝はまだ来ていないようだ。


 一人、一人と動いて行き、ぱたりと神崎の視線が止まった。

 灰谷は思わず隣の赤井を見やったが、軽く肩をすくめられるだけで返された。

 その動揺を裏付けるかのように、長い足が前後してこちらに向かってくる。

 灰谷と赤井の前まで来て、ぱたりと止まった。


「……灰谷?」


 神崎の呟きのような低い問いかけに、灰谷は一度頷く。

 運動部らしいがっちりとした体つき。室内競技とは言え、よく日に焼けた肌。

 加えてこの長身は、近くで見るとかなりの迫力があった。

 灰谷は一つ一つ確認しながらゆっくりと記憶の糸をたどり続ける。

 もう少し、という気がした。


「これ」


 と、神崎は持っていたノートを差し出した。

 灰谷が自分を指さして確認をとると、神崎はただ頷く。

 ノートを受け取り、パラパラとめくってみると今日提出の数学のノートだということがわかった。

 そして、柳原理実。と女の子らしい字で表紙の下の方に名前が書いてあることも。


「え、オレに?」

「今日そいつ休みだから……風邪で」


 神崎の答えは灰谷の問いかけた意味と少々食い違う。

 このままでは要領を得ない、というよりも単に我慢しきれなかったのか、嬉々として横から赤井が口を挟んだ。


「なんで神崎が柳原さんのノート、持ってくるわけ?」


 赤井のストレートな物言いに、神崎は一瞬表情を変えた。ように、灰谷には見えた。

 しばしの沈黙が訪れる。

 赤井がイライラとしているのは態度から伝わる、はずなのだが、神崎は構わずゆっくりと言葉を選んでいた。


「理実の……あいつの母親の妹が俺の母親」


 ああイトコなんだ、と灰谷が呟くと、隣で赤井が理実、ねぇ。と呟いた。

 じゃあ頼む。とそれだけを付け加えて、その大きな背中にクラス中の視線を独占したまま、神崎は出て行った。始終一貫したマイペースっぷりだった。


「単なる柳原さんのイトコねえ」


 単なるイトコが熱で学校に来れない柳原のノートを持ってこられる意味は。

 と、赤井が暗に言いたいことはわかった。

 手に残された柳原のノートを見るともなくパラパラとめくるうちに、ああ思い出した。と灰谷は一人ごちた。

 何を? と、耳ざとく赤井が聞いてきたが、いやと笑ってごまかす。


 あっくん、と呼んだ。

 いつも教室で気の毒なくらい小さくなっていて、もしかしたら柳原は男子が苦手なのかなと勝手な推測をしている時に。

 廊下ですれ違った男子を、あっくんと柳原が呼び止めたことがあった。ああ仲のいい男子もいるんだなあと思って。

 あれがそういえば、神崎篤郎だった。


 神崎が出て行ったせいで、このノートにクラスの注目点が移動していた。

 灰谷はその重みを十分に感じながらも、自分の机の中に滑らせて終わりとした。 


「で、昨日の首尾は?」


 くるりと調子を変えて、赤井が聞いてくる。めげない奴だなと灰谷は思わず苦笑した。


「言われたとおりに頑張ったよ、オレなりに精一杯で」

「じゃあ今日柳原さん休みなのお前のせい?」


 だから神崎がお前にノートを?

 赤井が暗に言いたいことは分かったが、さすがにそれはないだろうと思った。

 外に長時間立たせたことに対しては、若干の責任を、感じないわけでもなかったが。


 突然、がばっと覆い被さるようにして、赤井が肩を組んできた。

 顔を寄せ、周囲の雑音に邪魔されないように囁く。


「……灰谷はさ、どこまで責任をとるつもりがあるの」


 何言ってんだよ、とたしなめようとして、灰谷は言葉を切った。

 ひどく真剣な顔がそこにあった。

 この顔は、生徒会の外交の際にだけ用いる特別仕様のマスクだったような。

 どこで本気のスイッチが入るのか、よくわからない友人だった。

 灰谷は眉を寄せながら、やんわりと肩に乗せられた腕を外した。


「責任って……風邪の?」

「風邪ひいた女の子を家まで送り届けたあとの責任だよ」


 灰谷は全身の空気を吐き出すように、大きなため息をついた。

 もうすぐチャイムが鳴る、独特の予感が教室を包んでいる。ざわつきながらイスを引く音が複数。

 それでも笑い声は絶え間なく聞こえてくるし、そんな中で。

 一人の女の子の責任がどうのという話題はあまり相応しくなかった。


「あのなぁ……」

「中途半端に優しくすると、逆に傷つく」


 思わず灰谷は睨みつけていた。

 赤井はひるむことなく視線を返したあと、隣の席へとついた。

 チャイムが鳴り始める。タイミングよく教室のドアが開き、担任が姿を見せた。

 朝の挨拶と出欠席の確認を始める。

 灰谷は柳原が風邪で欠席する旨を告げ、自分の席へと腰掛けた。

 すかさず、えー理実ちゃん休みなの。という感想があちこちから飛ぶ。

 本人のいないところでも社交辞令か。と、赤井的な発想が浮かんだ。


「一度手を差し伸べたんだから最後まで責任をとれって言ってんの、オレは」


 隣から滑り込むように入ってきた言葉があった。

 そちらには目を向けず、灰谷は自分の机の中に入れた一冊のノートのことを思い浮かべた。

 まだ左手に残っている熱の感触と一緒に。


(だって、目の前に弱ってる人がいたら手を貸すだろう?)


 そのあとのことなんか、考えていなかった。



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