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体温。  作者: 雪田
本編
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第04話 一緒に帰り道。

 とん、と左腕にぶつかった重みに、灰谷は足を止めた。

 振り返ると、頭のてっぺんのつむじだけが見えた。


「柳原?」


 あ、ごめん。と焦った声とともにつむじが後ろに移動した。

 急な重心の変化に足がついてこれなかったようで、ぐらっと身体が揺れた。


(あ、倒れる)


 思うよりも先に動いて、気がつくと小さな肩を自分のほうへと引き寄せていた。

 熱い、ともう一度思う。


「……大丈夫? つらい?」


 何度目かになる言葉をかける。


「ご、ごめん。大丈夫」


 そして何度目かになる言葉が返ってくる。

 腕の中にある肩が、さらにしぼんで小さくなったような気がした。

 そっと、気づかれないようにため息をつく。

 やっぱり駅でタクシーを拾えばよかった。

 歩いて10分の距離を、病人に計算させちゃいけなかった、と本当に今更ながら灰谷は後悔していた。

 呼吸や顔色から、症状はますます悪化しているように見える。


「柳原、オレにおぶられる気、ない?」


 ブルブルとすごい勢いで首が横に振られて、この提案も却下となる。

 やっぱ無理かと思いながら、少しずつ身体を離して妥協点を探していた。

 なんとか受け入れてもらえそうな点を。


「じゃあ、オレに寄っかかってなら歩けそう? 思い切り体重かけていいから」


 柳原はすごく困った顔をした。




 * * *


 脇にカバンをはさんで、手にはもう一つカバンを提げている。

 これ以上負担をかけたくない。

 と、差し出されたもう片方の手を前に迷っていると、灰谷がすごく困った顔をした。


「ごめんな」


 一瞬、自分が言ったと勘違いしてしまうぐらいぴったりのタイミングだった。

 理実はまじまじと灰谷を見つめた。


「ごめんな、勝手について来て。これじゃかえって負担かけてるな」


 そんなことない、と慌てて否定しようとした理実を、灰谷が特有の笑い方で遮った。


「柳原一人で帰したら、本当に途中で倒れてそうだなぁって思って。そんなんじゃ明日の予習も手につかなさそうだったからさ、オレ。ごめんな」


(ごめんなって、どうして)

 送ってもらって。

 カバンまで持ってもらって。

 そのうえ、謝られて。

 理実はいたたまれない気持ちになり、俯いた。

 頭が痛いし、胃が気持ち悪い。足もフラフラして制御がきかなくて。

 できればこのまま道路に倒れ込んで、全部放棄してしまいたい、だけど。

 どうして、と思うことはやめられない。

(どうして、灰谷くんはこんなに優しいんだろう)

 理実はさんざん迷ったすえ、躊躇いがちに学ランの袖の先をつまんだ。

 繋がったところから、灰谷がほっと息を吐き出すのを感じた。

 つられてなぜかほっとした。


「ありがとう……ごめんね、迷惑ばっかりかけて」

「いいって。病人のときぐらい堂々と甘えておけば」


 灰谷の言い方がおかしくて、理実は少し笑った。


「柳原は頑張りすぎるところあるみたいだし。これくらいがちょうどいいよ」

「うん。……ありがとう」


 一瞬、手をかすめていった感触におでこが素直に反応を示す。

 ひんやりとして気持ちがよかったなって。

 そう思い浮かべた瞬間、想像したとおりの温度が右手を包んだ。

 驚きとともに隣の顔を見上げる。


「あー……悪い。でもこうしたほうが歩きやすいから」


 あんまりこちらを見ないようにして。照れくさそうに灰谷が言った。



 繋がれた手に引かれるようにして歩いた。

 周りは不思議なくらい静かだった。

 近所の人に見られたらどうしよう、と一瞬考えて、すぐにやめた。

 気づかれないように、そっと手に力を込めてみる。

 理実は急激に顔の温度が上がるのを感じた。

 熱があってよかったと、はじめて思った。



 それからあとはあんまり話さなかったように思う。

 ときどき、道順を確認するぐらいで。

 灰谷が黙っていてくれるのはすごくありがたかった。

 手を頼りにしていればいい、という状況がありがたかった。

 じゃあここで。と言って、理実はぱっと手をはなした。

 そのまますぐそこの曲がり角の一戸建てを指差す。

 表札には柳原の文字。

 あたりはすっかり暗くなっていて、玄関から温かい色の光が漏れている。

 理実は不自然な感じを受けて、足を止めた。


(……あれ?)

「どうかした?」


 突然黙ってしまった理実に、灰谷は心配そうに声をかけた。


「あ。なんでもないの、平気」

「……そう?」


 理実がもう一度しっかりとお礼を言うと、どういたしまして。と灰谷がカバンを渡してくれた。


「じゃ、お大事にな」


 そう言い残して、灰谷は帰って行った。



 


 理実は、自分の家の前に立った。

 温かい色味の電気は普段と何も変わっておらず。

 ただ、共働きの両親が帰宅しているにしては、随分と早い時間帯だった。

 今朝は自分が家のカギをかけ、確か電気も消して出かけたはずだった。

 一瞬、灰谷にもう少し付き添ってもらえばよかったかなと考えて、ふるふると首を振って断ち切った。あれ以上、甘えるわけにはいかない。

 一つ深呼吸をして。

 恐る恐る理実はドアノブへと手を伸ばした。

 すると、ドアノブは独りで滑らかに回転して、カチャリと音を、立てた。

 ドキリと心臓が跳ねた瞬間、同時にゴンっと鈍い音が辺りに鳴り響いた。


「……理実?」


 ゆっくり開いたドアの向こう側から、低い、小さな呟きが聞こえた。

 おでこをまともにドアにぶつけてしまい涙目になりながら、理実は現れた大きな影を仰いだ。

 この状況でも眉一つ動かさない、一見怒っているようにも見えるこの顔は。


「……あっくん?」


 その呟きに、肯定も否定も返ってくることはなかった。

 代わりに、抱えていたカバンを奪うようにして持ってくれた。

 ありがとう、と理実がおずおずとお礼を言う。


「えっと、あのなんであっくんがここに?」

「……灰谷? 灰谷、亨?」


 え、と理実は思った。

 なんでいきなりその名前が出てくるんだろう。


「うん。送ってきてもらったんだけど……?」


 あっくんが一点を睨みつけるようにしているので。

 まっすぐ向かう視線の先を振り返って、理実は言葉を失った。

 家の門の前、すぐそこの道路にその名前の人が。

 さっき別れたはずの灰谷亨が立っていた。同じように驚いた顔をして。

 あ、と思った。続けて、何か言わなくちゃ、と思った。


「ごめん。さっき柳原が、ちょっと様子おかしかったから気になって」


 先手で、灰谷が申し訳なさそうに言って、理実の背後にちらりと目をやった。

 奇妙な空気が三人の間で流れた。


「……えっと、大丈夫、なんだよな?」


 一瞬言われたことの意味が分からなくて固まる。

 背後の人物のことだと気付いて、理実はコクコクと頷きを返した。


「あの、灰谷くん。この人は……」


 ばたん、とドアの閉まる音で、理実の言葉は遮られた。

 慌てて振り返ると、そこにはもう誰もいなくて。


「えぇっあっくん!?」


 紹介しようと思った矢先に消えられてしまった。

 呆然とする理実に、灰谷が苦笑いをこぼした。


「いいよ、オレももう帰らないと。って第一、柳原が早く家の中に入らないとダメだろ。お大事にな」


 引き止める手段はなかった。理由も、特になかった。

 灰谷の背中が小さくなって見えなくなるまで、なんとなく理実はその場を動けずにいた。

 心臓が必死に何か訴えかけてきたけど、どうしようもなかった。


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