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体温。  作者: 雪田
本編
3/57

第03話 てのひら体温計。


「あれ、柳原さんだ」


 進行していた会話とはなんの脈絡もない発言だった、と思う。

 友人の言葉の矛先を振り返ると、電車のドアにもたれ掛かった柳原理実がいた。

 物憂げに俯いている彼女は、頬がほんのりと赤く染まっており、足元が少しおぼつかない。

 そんな風に見えてしまうのは、前知識があるせいかもしれないんだが。

 午後からの授業で彼女の姿を見かけることはなかった。

 ということは、つい先ほどまで保健室で休んでいたんだろう。

 両手で提げている鞄は頼りなさげで、今にも滑り落ちて音を立てそうだった。

 灰谷が車内を見渡すと、すべての座席が埋まっており、柳原と自分たち以外に立っている乗客はいなかった。


「心配?」


 にやにやしながら赤井が聞いてきた。

 灰谷はきょとんとして、連れの友人を見た。そのにやにやの意図することはわかりやすかった。


「……オレってそんなに顔に出るか?」


 灰谷が苦笑交じりに言うと、赤井はいいやと言って更に笑った。


「お前は随分わかりにくい性格だと俺は思うぞ」


 この赤井知也とは、二年生になって初めて同じクラスになった。

 生徒会会長を他薦でやらされるほど、生徒からも教師からも人望が厚く、校内でも屈指の有名人だ。

 成績のほうでもその優秀ぶりは発揮され、入学以来トップは彼のための指定席となっている。

 ただたった一度だけ、数学で途中の掛け算をミスした際に、灰谷と順位が入れ替わったことがあった。

 それ以来なんだかんだで関わりあい、仲良くなった。

 赤井は時々その頭のよさで、人をからかって面白がるクセがあるらしい。

 ということに気づいたのは最近になってからだ。


「赤井、とってもお互い様だと思うぞ」


 そりゃ光栄。と言い捨てて、赤井は車内を一直線に歩き始めた。どこへ、とわざわざ聞く必要はなかった。

 特に異論はなかったので、灰谷も後に続いた。



「柳原さん」


 柳原は、顔を上げて元々丸い目を更に丸くした。


「赤井くん。……灰谷くん?」


 誰かに見られているなんて、露にも思っていなかったんだろう。

 近くで見てみると、額は少し汗ばんでいるし、呼吸もしづらそうで。

 つまり、とても具合が悪そうに見えた。


「柳原さん、大丈夫? まだ熱あるんじゃない?」

「ううん。もう平気。寝たら随分よくなったから」

「席、譲ってもらおうか?」

「あ、いいよ。平気だから。ほんとに」 


 たぶん。これは嘘ではないんだろうが。

 でもこんな時まで無理して笑うこともないのにな、と灰谷は思った。

 そうさせている自分への罪悪感も一緒に。

 横を見ると赤井も同意見のようで、困ったねと言った具合に広い肩をすくめている。

 例えば柳原はたぶん、自分たちが消えるまで努めて元気なフリを続けるんだろうな、とか。

 そういうことはとても想像しやすいことだった。

(……しょうがない、かな)

 灰谷はすっと、額に手を伸ばした。

 柳原は一瞬ビクリとして体を硬直させた。

 手のひらに伝わってくる温度。


「……、……」


 まるで叱られるのを怖がる小さい子供のように。

 恐る恐る柳原が顔を上げた。


「熱い」


 と短く、灰谷が診断をくだした。

 ごめんなさい、と消え入りそうな声で柳原は言った。 






 * * *


「さてさて。じゃあ病人さんはこちらへどうぞ」


 満面の笑顔で赤井が手招く。

 さっきまでは確かにふさがっていたはずの座席が、二人分のスペースを空けて待っていた。

 理実が首をかしげていると、赤井の隣に見知らぬ二人組の女性が立っているのに気がついた。

 どうやら彼女たちが席を譲ってくれたらしい。

 理実が頭を下げようとすると、いいから座りな、と灰谷に促された。

 車内に赤井とその女性たち以外立っていないのを確認すると、少し考えるふうにしてから灰谷も隣に座った。


 なぜ、こんなことになっているのか、理実にはいまいちわかっていなかった。

 熱のせいで、物を考えることがとても億劫になってしまっていて。

 少し馬鹿になっていたらしくて。


「柳原って」


 電車の騒音に負けない、でも頭痛に響かないぐらいの音量で灰谷が言った。


「どこの駅で降りるの?」

「えっと……次の次の駅」

「駅からは歩き? 家に着くまでどれくらい?」 

「徒歩で10分くらいかかるけど」


 けど、と理実は切った。

 灰谷がこの先言いたいことが、こんな頭でもなんとなく分かったからだ。


「あのね、でも」

「赤井」


 でも、私大丈夫だから。と理実は続けることができなかった。

 すっかり女性達と意気投合した様子の赤井は、形のいい眉を上げるだけでそれに答えた。


「オレ、柳原を家まで送ってくるよ」


 赤井は少し虚をつかれた顔をして、でもすぐにいつもの笑顔に戻ってオッケーと口の形を動かした。

 それからも続けて口を動かしていたが、理実には何と言ったのかわからなかった。

 ただ灰谷が、バーカ。と小さく呟きを返すのが聞こえた。



 駅に着くまでの間、理実はなんとかしなくちゃと思考を巡らせた。

 が、ただでさえ馬鹿な頭は熱のせいで拍車がかかってしまっていて。

 かなり馬鹿になってしまったらしくて。

 結局、何もできないまま目的の駅に着いた。



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