第10話:来訪
ルイーズという名前を知ってくださっている事実に、多少なりとも頬を緩ませてしまいました。なにせ『男爵のところの令嬢』だの『マルシャン家の娘』だの、人を人とも思わない呼ばれ方ばかりされてきましたから……。だからこそ、あの女好き男には好感を抱いていたのですけどね……。
彼が身に着けている淡い緑のコートは、畑の土に映えています。いつかわたくしも、彼のように引き締まった服装をしたいものです。
わたくしを捕らえるための刺客? そうであるなら、このような凛々しいお方でなく、無精ひげをのばした番兵でも良さそうです。彼らは悪い意味で怖い者なしですから。
「はい、確かにわたくしはルイーズですが……。王都からのお呼び出しでしょうか? そうであればこのルイーズ・マルシャン、行かないわけにはいきませんが……」
「いやいや、ルイーズ様。何処からか湧いたあなた様の悪評で、王都は沸き立っております。今戻られでもすれば、きっとあなた様は十字架に打ち付けられるでしょう」
やはりそうなっているのですか、王都は……。定期的な招集はほぼ見ぬお父さまが向かってくださるとして、わたくしはどう過ごせばよいのでしょう……。力を持たない貴族ほどはかない運命の人はいません。
わたくしを見下ろしている男性には、毒々しさが見当たりません。壇上に立った忌まわしき愚息が隠せなかった醜さなど、最初から持っていないかのようです。
「そうですか……。もうパーティーに出ることは叶わないのですね……。貴方もご覧になられたでしょう、わたくし一家が畑を耕しているのを! 貴族らしいことをなに一つせず、明日の心配をしていることを! ……平民に生まれた方が幸せだったかと……」
「そんなことはありませんよ。私は貴方をずっと見ていましたから」
心が飛び跳ねました。いかにも王都から外出しなさそうなお方が、どこで? ラファエルと談笑している時は気配を感じませんでしたし……。
ストーカー、でしょうか。日々の農作業を、死角から覗き見られていたのかもしれません。女性らしくない力仕事をしているわたくしを……それ以上はやめてくださいまし。これから即席で入れるお墓を探さなくてはいけなくなります。
もう少し、彼のことを探ってみることにします。
「……ずっと見ていた、とは?」
「そうですか、ルイーズ様は気づかれていませんでしたか……。パーティー会場で朗らかにしている貴方を、遠くから見守っていたのですよ」
一、二歩後ずさりしてしまいました。恋を表に出した姿を注視されていたとは! それも、セドリックというゴミ箱に貢いでいる姿を! 末裔まで語り継がれる恥さらしです。
「……わたくしを、ですか? セドリックにばかり夢中になっていたわたくしを、ですか?」
「そうです。ルイーズ様がセドリックを愛してやまないご様子でしたので、話しかけるのは控えていましたが……。まさかゴーダン公爵家があれほど腐った一家だったとは思いもよりませんでした」
イヴァン様は遠く空を見つめて、唇をかみしめていられます。腐敗していた貴族に対する思いは、わたくしと変わらないようです。
「……少し話が脱線してしまいましたね。ルイーズ様、貴女は……、とてもお美しい。それでいて、間違っていると思う箇所に手を挙げられる。人を深く愛することができる」
彼を止めようとしませんでした。規則に従うなら追い出さなければなりませんが、わたくしはすっかり話に聞き入っていたのです。
優雅になびくマントに、汚れのついていない白い手袋。わたくしに刻まれた傷を、ちょっとずつ埋めてくれている気がしました。
「……今日のところは用事があるのですが……。明日、また同じ時間に会いましょう。今度は、いっしょにどこかへ行きませんか?」
「……はい、よろこんで……」
わたくしは差し出された手を取りました。その手は元婚約者よりも大きく、それでいて優しく包んでくれるものでした。一生繋いでいたい、と思ったほどです。
思考を狂わせ続けていたセドリックが、イヴァン様の心遣いに塗り替えられた一瞬でした。




