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死に至る病

1


 遠山先輩は夏の暮れに病で亡くなった。

 燃ゆる緑が木の葉を枯らし落とすように、秋風に乗って死んでいった。

 学年の変わる頃から続いた闘病生活は甲斐なく半年で終わり、先輩が学校に戻ってくることはなかった。病というのが私にとっては馴染みないものだったから、そうも簡単にそれは人を殺すのかと、呆気なさに似た恐れが今でもふと思い返される。

 学内は悲しみに溢れていたが、私は事実を受け止めることが難しいように感じられた。死という概念がこうも身近にあるのだと思うと、今いるこの場所が思いのほか脆く危ういように感じるからだ。あるいはそう感じることを私は認めたくはなかったのかもしれない。

 私の幼馴染もそうだった。ふと気が付くと、彼女は笑わなくなっていた。いつ何時も幸せな顔をしなくなったのだ。先輩とは恋仲にあったのだという噂も聞いたことがあったから、私としては、彼女がそんな顔をするのが妬ましくてたまらなかった。

 あれから私は、人を死に追いやる病というのは存在するのだと知ったが、それはきっと周りの人をも殺すのだろうかと、考えたくもないことを考えるようになった。



 十二月の中旬ということもあってか、教室はすっかりクリスマスのムードだった。世俗と隔絶された女子校という空間に男の気配は見られないが、しかし年頃ではあるのだから色恋の話は絶えることなく交わされた。

 お姉さまからクリスマスパーティに誘われたの。ああ、どんな服を着ていこうかしら。私は下級生の方とイルミネーションを見に行くのよ。家に帰ったら、教会で合唱をする歌を練習しなくっちゃ。

 プレゼントの包装用紙ひとつとっても彼女たちには悩ましげで、そうして考えるのが楽しいのだという和気あいあいとした声がストーブで温まった教室の中に反響していた。

 そんな会話が聞こえてくると、私はつい耳をふさぎたくなる。だから顔を伏せていると、上の方から声が聞こえてきた。

「今年もお暇?」

 聞きなれた声に耳を動かし、私は気だるそうに身を起こす。上からこちらを見下げる少女を、重たい頭をごろりと回して目の端で映した。長い髪がすだれみたく垂れ下がっていて、それがまるで暗幕のように彼女の表情を暗がりに隠している。

 私は向けられた視線を払うために、うっとうしげに腕を動かして、彼女の顔に明るみを与えた。滝のように彼女の髪は流れて、そして、私の様子を見て面白がるにこやかな唇の形がはっきりとした輪郭を持った。

「ケイはいいよね、落ち着いていられて」

「また赤点?」

 ケイはおかしそうに笑うと、気品のある所作で近くの席に座った。

 私は不満げに彼女から視線をそらすが、そうすると、彼女はそそくさと椅子ごと体の位置を変えた。

 六限のあとには掃除の時間があるため、ホームルームが始まるまでは時間の猶予が生まれる。そんな折に、他クラスの彼女は当然のような顔をしてやってくる。

「赤点じゃない。ただ、ちょっと憂鬱なだけ」

 言葉返すと、「そう」と興味なさげに彼女は言った。そしてこう続けた。

「薫さんは元気?」

 その質問に、私はさらに表情をしかめさせた。

「見たら分かる。健康なだけ」

 隣の席でぼうっと窓の外を眺めている幼馴染を示すように私は振り返った。薫は夏休みが明けてからずっとあんな調子だった。決して不健康なわけではないのだが、しかしただ生きているだけなのかもしれないと思ってしまうときがある。窓の外を眺めているようだけど、本当に彼女の目がその先にある風景をとらえているかはわからなかった。

 昔はもっと笑っていたのに。

 こんなに近くにいるのに、薫はどこか、遠いところに行ってしまったような気がする。

「薫さん、薫さん」

 ケイがそう呼びかけると、ようやく薫は、ふっと生気を取り戻したみたいに身じろぎをして、けれど上手く体は動かせないのか寂しい顔をして返事をした。

「呼んだ? ケイちゃん」

「薫さんは、クリスマスどうするの」

「クリスマス?」

 薫は本当にその語句の意味が解らなかったのか、たどたどしく言葉をなぞると、少し時間をおいてから「あぁ」と息を漏らした。

「クリスマス。もうそんな時期なんだね」

 クリスマスと聞くと、私は苦い味を感じる。去年は初めてクリスマスを寂しく感じた年だったからだ。だからか幼馴染の横顔を直視することが躊躇われて、私はさっきまで薫が見ていた外をぼんやり眺めていた。冬の空はどこか冷たい。雲の暗さと、空の白けた感じが、どうにも好きになれなかった。

「で、薫さんは今年のクリスマスどうするの? 予定とかは?」

「どうするって、うぅん」

 特に何かを考えるようなそぶりもなく、薫はこう続けた。

「どうもしないかな。クリスチャンじゃないし」

「それは私も同じ。教会には行かない。けれどそうでなくって、クリスマスパーティのことよ」

 クリスマスパーティと聞いて、私は少し肩がこわばるのを感じた。身構えてはいたのに、心ばかりはどうしても反応してしまう。

 ただそんな私はお構いなしに、ケイはさらに奥まった部分へと踏み込んだ。

「実はね、私の家に何人か集めて、クリスマスパーティを開こうと思っているの。二人は興味ない?」

「ん……」

 ケイは一瞬こちらに視線を揺らめかせてから、もう一度、薫の方を見つめた。

 気を使ってくれているのだろうか。親切さがうっとうしい気もして、けれどその感情は間違ったものなのだとわかっているから、私は何も反応はせずにそっぽを向いた。

「薫さん、私の家に来たことなかったでしょ? 一度ぜひ招待したいの」

 鈴の音のように軽やかな声でケイは言った。私と薫の二人は昔からの幼馴染だったけれど、ケイは高校に入ってからの関係だった。それに去年、薫は別のことに夢中になっていたから、ケイとの学校外での付き合いはないに等しかった。

 その空いた距離を詰めたいとケイは考えているのだろうし、なにより私と薫の間にできてしまった小さな溝がなかなか埋まらないことを問題と捉えているようでもあった。

 薫はケイの誘いに対して考えるそぶりをみせたが、間の悪いことにチャイムが鳴った。ケイは「お返事聞かせてね」とだけ言ってそそくさと元の教室に帰っていったから、薫は悩むそぶりをやめて、覇気のない顔を窓際に寄せていた。


3


 薫とは帰り道が一緒だから、肩を並べて歩いて帰るのが常だった。高校に入ってからはそうではなかったけれど、でも最近になって、また一緒に帰るようになった。ただ話すようなこともなかったので、惰性で一緒にいるだけのような気がする。

 薫と一緒にいたくないわけじゃない。ただ、これはなにか、わたしが求めていたものとは違うのだ。こういう二人を、望んだわけではない。

「ケイは薫に気を使ってるんだよ」

 交差点で信号待ちをしているときに、じっと赤信号を見ながら言った。すると薫は、不思議そうにこちらを見て言った。

「? どうして?」

「薫、元気ないから」

 薫は、生きるために必要な何かを、夏の終わりに落としてきてしまったようだった。そしてそれは、先輩が亡くなった時期と同じだった。

 その事実は、私を嫌な女にさせる。私はあれ以来、自分の内に潜む醜悪な部分を見て、ひどい嫌悪を抱くようになっていった。

 薫の顔を見ると、そんな気持ちがリフレインする。だから顔は見たくない。

「今年はずっと、遊んでくれないし。それに、去年のクリスマスだって……薫、どっか行っちゃったし」

「あれは……去年は、用事ができちゃって」

「用事って、そんな、直前になって来れなくなるようなものなの。それって、だって」

 そこまで言って、つい吐き出しそうになった言葉を押しとどめた。

 先輩のことだと言うのははばかられる。

「……ごめんね。去年は本当に、急な用事ができちゃって」

 遊歩道の信号が青になったからか、薫は前に進んだ。私はそれにつられるようにして、遅れて一歩踏み出す。

「ケイちゃんのクリスマスパーティ、参加するよ。だから茜ちゃんも一緒にどう?」

「…………」

 毎年私たちは、幼馴染という間柄もあって、一緒にクリスマスを過ごしていた。中学生にもなると、お泊り会というのもなんだか気恥ずかしくなるので、そういった名目があると、私は気分が楽でいられた。だから、クリスマスは毎年楽しみだったのに。

 今年も結局、二人でクリスマスを過ごすことはできないのだろうか。なんだかこれから先、ずっとそうなるような気がする。

 早く大人になれと、人は言うけれど、私はまだ心の準備ができていない。

「薫が行くなら、私も行く」

 肩掛けのカバンを強く握って答えた。薫とクリスマスを過ごせるのは嬉しいけれど、でもこれは、今年も二人ではいられないことを決めてしまうようなことだったから、複雑な気持ちだった。


4


 クリスマス当日。終業式のあと、私はケイと百貨店に来ていた。プレゼント選びもそうだが、今のお祭り騒ぎのような時期を楽しんでおきたいというケイの願いから、なかば強引に私は連れてこられたのだった。

 昼間ということもあってか、イルミネーションは楽しめなかったが、並木道には多様な広告や店の明かりが雑居していて、見ているだけで派手だと感じられるものだった。

「でも、薫さん来てくれるようでよかったわ」

「うん」

 ケイはどうやらマフラーを買うらしく、それを包む大きな包装用紙をどの柄にしようか選んでいるところだった。せっかくだからと意見を求められて、私も一緒に悩む。一週間くらい前に余裕をもって買っておけばいいのにそうしなかったのは、ケイの多忙な私生活も理由としてはあるのだろう。普段は習い事があって暇がないと言うし、今日のような休みは珍しいのかもしれなかった。

「茜さんは、なにか買った?」

「いや、まだ。良いのが見つからなくって」

 他の人と被らなさそうなやつがいいのだけれど、そういうのを見つけるのは案外難しかった。いつもは薫が好きなものを買えばよかったから、こうして誰か他人のためにプレゼントを選ぶというのは初めてのことな気がする。

 ケイは無事マフラーを買えたようで、メタリックな緑が差し色として入った赤の包みを誇らしげに小脇に抱えていた。私はそれを認めて、連れ立って、今度は自分がプレゼントを買うために他の売り場に移り、それから品を物色していた。すると、

「あっ、薫さんから電話」

 と、振動する携帯電話を取り出して、ケイは言った。

 それを聞いて、私はぴたりと手を止めてしまった。ケイは電話の向こうにいる薫と、二言三言言葉を交わしただけで、すぐに電話を切って、それから申し訳なさそうな顔で私にこう言った。

「薫さん、今日は来ないって……」

 私はそれを聞いて、すっと、心が冷めるような感じがした。

 薫はわたしを置いて、遠くに行くのだろうか。そんなにそれが大事なのだろうか。

 どうしてと思うよりも先に、怒りのような感情がわいてくる。

 気づくと私は店の外に飛び出していた。

「ごめん! 私、薫のこと探してくる!」

「え、ちょっと! 茜さん?!」

 ケイは何かを言いたいようだったが、今の私は彼女にかまってあげられるような心の余裕がなかった。

 どこにいるんだろう。せめてそれだけでもケイに聞いておけばよかったと、走りながら思う。私は携帯電話なんて持ってないから、薫に電話を掛けることなんてできなかったけれど、それでも薫がどこにいるかは、なんとなく想像がついた。

「か、おる。かおる!」

 校舎の階段を一気に駆け上がったから、今までにないくらい激しく心臓が脈打っていた。寒い夜風が涼しいと思えるくらいに、私の吐く息は白く広く空に溶けていった。

 薫は、急に現れた私にびっくりしたようで、驚いた顔でこちらを向いた。街から学校までを移動している間に、すっかりあたりは暗くなっていて、彼女の横顔は遠い街の明りに照らされ、ほのかに見える程度だった。

「どうして来ないの?」

 ゆっくりと私は距離を詰める。

 薫は鉄柵に身を預けて、明りで色づいた街を遠く眺めていたようだった。

 それがなんだか危うくって、私はつい、唇をかみしめる。

 屋上は、先輩がよくいる場所だった。あの人はいつも気持ちよさそうに風を感じていて、その長い黒髪が麗らかに靡く様子に、私も一目惹かれた。

 きっとあの瞬間から、薫の心は先輩に奪われてしまったんだろう。現にこうして薫はここにいる。

「どうして、来ないなんて言ったの」

 さらに私は前に進んだ。屋上に出ると、風の強さがよく分かった。

 薫は悲しそうに眉をまげて、こちらを見る。

「私は邪魔だよ」

「そんなことない」

 大きく声を張って答えた。そうしないと、薫が夜の帷に隠れてしまいそうだったから。

 すると薫は困ったように目を伏せて、ゆらりと、力なく柵から手を離した。

「ケイちゃんは、茜ちゃんのことが好きなんだよ」

「ケイが、なんで?」

「だって、好きでもない人に、自分の髪を触らせたりしないよ」

 それに、と薫は続けた。

「ケイちゃんが私を誘ったのは、茜ちゃんに来てほしかったからだよ。だって茜ちゃん、そうでもしないと、クリスマスパーティなんて行かないでしょ?」

 言われて、息が詰まるのを感じた。

 確かに私が行こうと思ったのは、薫が行くと言ったからなのだ。

「それに……やっぱり、私は、邪魔だよ。みんなが楽しく過ごしてるのに、きっと私だけは、心の底から楽しめないと思うから」

 薫は悲壮な顔をしてそう言った。何がそう、彼女の心をしばりつけるのだろうか。私はその陰に潜む誰かの面影が見えてしまって、気分が悪くなった。

 けれど、だとしても、その苛立ちを薫にぶつけるわけにはいかない。

 いろいろ言いたいことはあったけれど、そのすべての言葉が、ただ自分の気持ちをすっきりさせたいだけのもののように感じて、それが薫のためになる言葉ではないと分かっていたから、私はぐっと歯を食いしばった。

「帰ろう。寒いよ、外は」

 柵にかけられた薫の手を、無理やり取って、強く引っ張った。薫に抵抗の意思はないらしく、流されるように私のあとをついてきた。

 校舎は既に明りが落ちていて、階段は真っ暗で、足元もよく見えなかった。来るとき、よくこんなところを夢中で駆け上がれたものだと思いながら、一段一段たしかめるように慎重に降りて行った。

 踊り場に着くとほっと一息ついて、繋いである手を、さらに強く握った。

 私はきっと、薫の一番にはなれない。

 それを妬ましいと思ってしまうのは、なぜだろう。

 昔から私は、薫の一番だったのに。そうでなくなったとたん、どうしてこうも身を焦がれるような熱い火を、体のなかに感じてしまうのだろうか。

 暗い校舎の中でだけは、私たちは二人っきりだったが、それもこれが最後のような気がした。

 大人になっていくにつれて、私たちはきっと別々な人間になっていくのだろうと、そう思ってしまった。

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