鬼講まつり
都市伝説風の奇譚となる短編小説、第11話目となる今作は、田舎の集落における古くからの風習をテーマにしたお話です。
英語の講師として仕事をしているMは、来日から二年が経った今、ようやく日本の風土にも慣れてきた。出身はサンフランシスコです、などと言ってもイマイチ通じなかった頃とは違い、今では「アメリカ出身です! オオタニさんの野球チームがあるカリフォルニア州でーす」などと、この国の人々に通じる言葉を自然と使っている。
日本語についても、日常会話レベルなら使いこなせるようになった。彼が驚いたのは、この国ではエリートと認識されるクラスの人間であっても、英語を十分に話せるのは少数派だということだ。だからこそ日本語を使えるように努力したが、今となっては、これも良かったと思っている。
(マンガやアニメを日本語で楽しめるなんて、最高だよね~)
母国にいたとき、子供の頃から楽しませてもらった日本のエンターテイメントの数々だが、英語に翻訳される作品は限られていると知った。だから今は、WEB上でも閲覧できるマイナー作品やインディーズ作品の数々を、リアルタイムで楽しめることが刺激的だった。
そんな中、彼は怪談話や都市伝説系ホラーに興味を持った。それらの多くは日本の風土や歴史に基づいた内容となっており、海外では伝わりにくい要素を多分に含んでいる。だが、今のMには十分なエンターテイメントとなりえた。その中でも彼は、日本の古い集落で行われる儀式的な風習の数々に魅入られているところだ。
「お祭りも楽しいけど、田舎の古い儀式とかも見てみたいね~」
そんなことを普段から周囲に漏らしていると、同僚である国語教師のDが、
「うちの田舎には、そういう風習もありますよ。今度、行ってみます?」
などと誘ってくれたので、すぐに了解した。
翌月の週末。
Mは新幹線を使って、Dの田舎にやって来た。田舎と言ってもDが生まれ育った場所ではなく、母方の祖父母が暮らす集落だという。駅を降りてからは路線バスを乗り継いで進み、山間の小さな集落にたどり着いた。周囲は緑に囲まれて小さな田畑が点在するそこは、Mのイメージ通りの田舎集落だった。電車はもちろん、バイパス的な道路も無いからとても静かなところである。
「ううん、これは素晴らしいね~」
Mは大きく背伸びをして、新鮮な空気を吸い込んだ。
そうして、しばらくはDとともに近隣を散策した。
彼が期待するイベントは、日が暮れてから行われるという。
夜になり、Mは集落の中心にある公民館にやってきた。秘密めいた儀式がいよいよ行われると期待していたが、それは小さな祭りだった。地元では「鬼講まつり」と言われており、公民館の中で伝統的な演舞が行われる中、周囲には少ないながらも屋台が出ている。集落近くの子供達も集まり、楽しそうな声を上げていた。
(うーん、ちょっとイメージとは違ったかな……)
そう思うMだが、都会での派手な祭りとは違う雰囲気に魅了された。
やがて夜も十時を過ぎ始めた頃、子供達の姿も見えなくなって、屋台も片付けを始め出した。祭りももう終わりなのかとMが思い始めたとき、
「Mさん、ここからが本番ですよ……」
Dが神妙な顔で言った。
やがて公民館の中は、集落に住む大人だけとなった。
ここからは原則として外部の者は関われないのだが―
「話をしたら、Mさんについては大丈夫ってことなんですよ」
そう説明するDも、詳しい事情は知らないようだった。
(いずれにしろ、いよいよ秘密的な儀式を見れるんだね……!)
やがて、儀式は始まった。
演舞についても、祭りの時より厳かに感じられるものだ。
静かな舞の中、祈りのように捧げられる言葉にMは首を傾げた。
―会わな、らん、湯洗う、元気、爺
日本語にしては脈絡の無い言葉だった。
意味について尋ねると、
「いやあ、僕も詳しくは分からないよ……」
Dが苦笑しながら言う。
そばにいた老婆が声をかけてきた。
「これはね、ずっと昔に、鬼が伝えた言葉なんだよ」
彼女は九十歳を超えたくらいの年頃だった。この集落では最長老にあたるらしく、古くから伝わる伝承についても、直接知ることが多いらしい。
「鬼の言葉……」
鬼という存在については、西洋でも似たような風習がある。日本と同様に「恐るべきもの」として扱われることが多いものだ。「悪い子のところには鬼がやってくる」という言い伝えは、日本の東北地方だけでなく、ドイツなどのヨーロッパ中部地方でも見られるものだということをMは知っているが―
「この集落では、鬼は敬われているみたいですね……」
Mがつぶやくように言うと、老婆は微笑んだ。
「鬼がいろいろと、この集落に恵みをもたらしてくれたからね……」
その言葉には感謝の気持ちが込められていた。
古い時代から伝え聞いている彼女は、その気持ちも引き継いでいるようだ。
(きっと、流れ着いた異国の人だったんだろうな……)
この点については察するものがあった。
島国にいる彼らにとって、西洋の人間は異質に見えやすい。
江戸時代であれば、交易のあったオランダかもしれない。
あるいは、スペインやポルトガルといった国も考えられる。
(つまりは、この言葉も……)
何かの意図があって、流れ着いた異国の人は口にしたのだろうか。
だが、英語ではなさそうな言葉だから、Mは思い当たるものが無かった。
その日の夜、MはDの祖父母の家に泊まった。
内装はリフォームされているが、柱や壁の隅々に日本家屋の伝統が濃く残っている。古い民家での宿泊は、Mにとってずっと憧れていたことだった。典型的な和室の畳の上で布団を敷いて寝るという初体験を楽しみながら、彼はすぐに寝息を立てた。
夢を見た。
Mはなぜか古い時代の集落にいて、和服を身に纏う村人達と一緒に遠くを見ていた。そんな自分を不思議には思わなかった。
やがて、山間を流れる小川沿いを歩いてくる、大きな男が見えた。破れたシャツには血の染みが浮かんでいて、命からがら助かったのだろうということが、すぐに分かった。川をずっと下れば、人気が無い海岸へと続く。そこから来たのだと、夢の中のMは周りの村人達と話し合った。
やがて彼は、村人達の前に立った。
彫りの深い顔立ち。
背も高く、体格も立派すぎた。
そんな彼は、震える声で何かを言った。
だが、村人達は理解できなかった。
困り切った様子の男はやがて、
―アワナ、ラン、ユア、ラン、ゲー、ジー
そう言って、微笑んだ。
その顔に敵意がないことは明らかだった。
ふと目を覚ますと、Mが寝ていた部屋には陽光が淡く差し込んでいた。
先程の夢はとても鮮明なものだった。
Mは、涙を流している自分に気づいた。
(なるほど、そういうことか……)
夢のおかげで、あることに気づいた。
集落から去る日の朝、Mはバス停までの道を、Dとのんびり歩いた。散歩をする人とすれ違うと、にこやかに挨拶を交わしながら進んでいく。ほんの数日だけだったが、この土地の空気は不思議と自分に合うように思えた。ずっと気になっていた肌荒れなども、なぜか治まっているからだ。
(また来させてもらおう……)
第二の故郷だと思うことにした。
やがて、あの老婆の姿を見つけた。
大きな塔の前で拝んでいる。
「おはようございます」
元気よく挨拶すると、老婆も笑顔で応えてくれた。
「おはよう。もう帰るのかい?」
「ええ。でも、また来ますよ」
「ふふふ、それは楽しみだね……」
バスの発車まで時間はあるから、しばし語ることとした。今回、部外者であるMが深夜の儀式に参加を許されたのは、この老婆の助言があったからだと聞いている。そんなことも含めて礼を言うと、
「夢でね、あなたには参加してもらった方が良いと言われた気がして……」
そうして彼女は、塔をまぶしげに見た。
「この塔は何ですか?」
「これはね、鬼の供養塔だよ……」
つまりは、鬼の墓ということらしい。
(なるほど。ちょうど良かったかもしれない……)
この場所で老婆と会えたことも、偶然とは思えなかった。
「お婆さん、僕は一つ、気づいたことがあるんです」
「何をだい?」
「鬼の言葉の意味について、ですよ……」
そうして、Mは夢で聞いた言葉を口にした。
それは彼の母国語だった。
― "I want to learn your language."
その言葉に、老婆はキョトンとした。
Mは微笑みつつ、
「『あなた方の言葉を教えてほしい』っていう意味の、英語です」
老婆はしばし考え込んでから、
「英語……!」
かなり驚いているようだ。
「ええ。あくまでも仮説ですが、鬼とされた存在が実在の人物だったとすれば、その人はイギリス人だったのかもしれません。イギリス船がこのあたりに来ていたかは分かりませんが、他国の船に乗っていた可能性もあります」
遠い地から、命からがらたどり着いた異国の人。
姿も言語も違う人達と、どうしてもコミュニケーションを取りたかった。
困った彼が口にした言葉としては、十分に考えられることだ。
「言葉を教えて欲しい……か」
隣にいるDが、繰り返すように呟いた。
黙っていた老婆はやがて、
「ふふふ、Mさんがここに来たのも偶然じゃなかったのかもねぇ……」
彼女は微笑みつつ、また塔に向かって手を合わせた。
MもDも、並んで手を合わせた。
最後までお読みいただきありがとうございます。ホラーテイストでまとめる予定が、結果的にはほっこりしたヒューマンドラマに仕上がりました。お楽しみ頂けたようでしたら幸いです。