第59話 最期の交渉
大門啓介が意識を回復したとき、目の前には勝ち誇った顔で自分を見下ろすバーテンダーの姿があった。よく見ると高峰勇次が得物を収める革製のホルスターを着けている。彼女は手に入れたダイモングループのノートパソコンをそれに収めて持ち出す魂胆だった。
大門啓介はぼんやりした頭を振って目の前の彼女に迫る。しかし最早その口調はいつもの気取ったそれではなかった。
「楊蘭華……いや、悠然、勇次を殺したのみならずこの騒乱も貴様の仕業なのか」
大門啓介は自分を陥れた相手と対等の立場で臨もうと力の入らぬ身体にムチ打って立ち上がろうとした。しかし両の手首がバルコニーの手すりに拘束されている。
「クソッ!」
彼は吐き捨てるようにそう言うと苦渋の顔とともに再びその場に座り込んだ。
「殺すならさっさと殺せ。あんたにとっては簡単なことだろう、勇次を殺ったようにな」
しかし悠然は相変わらず胸の前で腕を組んだまま大門啓介を見下ろしながら話し始めた。
「その覚悟はさすがね。大人に敬意を表して全部を話をしてあげるよ。带赴黄泉的礼物、冥途の土産にね」
冥途の土産、おそらくこの中国女は全てを話し終えた後で自分を殺すのだろう。しかし命乞いをする気などまったくなかった。彼女の目的はカジノの利権、ならば金でこちらに寝返らせることも可能であろう。カジノなどいくらでもくれてやる、その上で相応の金を積んでやればあっさりだろう。大門啓介は覚悟を決めた。まずはこの女の話とやらを聞いてやろうではないか。あとは会話の節目で買収を持ち掛けてやればよいのだ。
そんな大門啓介の思惑を察したのだろう、悠然は彼と同じ目線で話すため地べたに胡坐をかいた。
「まずはお前が一番聞きたいことから話すね。それはこの騒ぎの黒幕のこと」
いきなり核心とは。大門啓介は生唾を呑み込んで彼女の続く言葉を待った。
「それは伊集院ね」
「やはりそうだったか。伊集院にデータが流れていた時点でそんなことだろうと思ってたよ」
「伊集院はあの忌み地をすっかり更地にして葬り去る考えだったよ。元々ややこしい土地ね、だからお前みないなのが重宝したね。でもお前はやり過ぎた。それにあのプロジェクトのメンバーはみなこの国の上流階級、忌み地の者は出番じゃないね」
「ふん、財閥だか何だか知らんが過去にしがみついた老人たちさ。いいかい中国人さん、この世は金、金が全てなんだよ。金があればそんな連中も抑え込めるし蔑まれることもないのさ」
「不是、你错了、この国の層はとても厚いよ。お前一人でどうなるものではない。現にお前は排除されたね」
「排除なんかじゃない! 地上げした土地は俺の手にある、あの連中は手も足も出せない」
「金や力だけではどうにもできないことがあるのがこの国の難しいところ、ウチらもそれは理解してるよ」
これ以上の議論は時間の無駄だ。大門啓介は先を促すため話題を変えた。
「伊集院がこの俺を排除しようと考えたのはわかった。それであの縛り屋を雇ったわけか」
「八九不离十、実際に動いたのは伊集院の下請けだよ。それが縛り屋と兔女郎ね。お前に電撃した忍者ガールの小姐も同じ仲間、この騒ぎを起こしたのはあの小姐よ」
ここまでを聞いた大門啓介はあきらめにも似たため息を吐く。そして力なくつぶやいた。
「なんてこった、縛り屋とガキどもにこの俺がやられちまったとはな」
「彼らだけじゃないね、連盟も同じだよ。お前のシノギは連盟イチバン、だから重宝されていたね」
「重宝……だと……?」
「連盟が欲しかったのはお前が持ってくる上納金だったね。今まではそれでよかったよ。でもお前はやり過ぎた。連盟に隠れて政治献金、その上政治家も巻き込んだ。連盟はそれを野心と考えたね。ならば育たないうちに抜いておくのが賢明」
「なるほどな、あの会頭が考えそうなことだ」
「お前と政治家の関係は伊集院も知ってたよ。それにお前が地上げした土地の扱いもちょっと厄介ね。そこで伊集院は考えたよ、連盟を焚きつければよろしい。それでウチらが能面の大人に雇われた。大門啓介を孤立させろの命令だったよ。結局、縛り屋は伊集院に、ウチらは連盟に、仲間外れは大門大人、お前だけだったね」
そこまで話すと悠然は地上の様子をうかがうためにルーフバルコニーの手すりの前に立つ。高英夫が放り投げた赤いロープの一端がビルの外壁に垂れ下がり風に吹かれて微かに揺れていた。
「う――ん、これでは少し足りないね」
ひとりつぶやいた悠然は顎に手を当ててしばし考える。そしてひらめく。彼女は窓枠に固定されたロープの結束を解き始めた。その端を手にして彼女は今一度下を見下ろす。垂れ下がっているもう一方の先端はエントランスの車寄せの屋根まで二メートルほどのところまで達していた。
「これなら問題ないね」
悠然はロープを手にしたまま大門啓介の前に戻ってくるとその場にしゃがみこんで話を続けた。
「お前の役目はもう終わった。辛苦了、あとはゆっくり休むといいね」
「悠然とやら、最後に聞かせてくれ、俺が地上げしたあの土地はどうするんだ。あれはとても素人の手に負えるもんじゃないぞ。なあ、いっそのこと俺にまかせてみないか。確実に収益が上がるんだ、分け前も十分に出してやれる、あんたにとっても悪い話じゃないだろう」
しかし悠然が大門啓介の誘いに乗ることはなかった。それよりも嫌悪の色を浮かべながら吐き捨てるように返した。
「お前と組む気はない。お前の地上げで無理やりに追い出された家族の中にはウチらの同胞もいたよ。みんなみんな困ってたね。そして口を揃えて言ってたよ、我们要报仇ってね。そんなお前とウチらが組むことはないよ、明白了吗?」
それでも大門啓介は諦めなかった、なにしろ自分の命がかかっているのだ。しかし決して下手に出てはいけない、それが交渉や駆け引きというものなのだ。彼はなおも食い下がった。
「あんたの国はどうだか知らんがこの国には法律もある。あんたのお仲間には気の毒だったがそれなりの補償はしている。もし金額が気に入らないってのなら追加で出してやってもいい。どうだね、乗り換える気になったかね」
しかし悠然は勝ち誇った笑みを浮かべながら首を横に振った。
「最後にもうひとつ教えてあげるね。ダイモンエステートは白井吾郎が引き継ぐよ」
「なんだって? ちょっと待て、吾郎に社長が務まるわけないだろう」
「没問題、白井は傀儡、実務は伊集院が担うよ。当面は資本参加だけどいずれは吸収合併、これでダイモンの名前は完全に消えるね」
「吾郎が裏切るってのか」
「白井はお前が伊集院に送り込んだ草の者、それを伊集院は理解していたね。だからすぐに買収したよ。さっきもそう、忍者ガールが倒したダイモンの黒服連中を警察が来る前に片付けたのも白井ね。彼が伊集院に知らせて手を打ったよ。うん、なかなかいい仕事をしてくれたね」
それでも大門啓介は屈することなく悠然を睨みつけていた。そしてそれが今の彼にとって最大限の虚勢でもあった。
「さて、おしゃべりの時間はもう終わり、ウチもここからおさらばね。最後の最後にもうひと仕事してもらうよ」
そう言いながら悠然は手にしたロープを大門啓介の首に巻き付け始めた。
本文中に登場する中国ののルピ(アルファベット)はピンインと言います。
带(dài)赴(fù)黄(huáng)泉(quán)的(de)礼(lǐ)物(wù)、ダイ・フウ・ホアン・チュアン・ダ・リー・ウーと読みます。
文字通り「冥途の土産に」の意味です。




