第58話 赤い墓標の瞬き
高英夫のエールに応えるように悠然のシルエットが小さく頷いて見えたのは彼の思い込みだったのかも知れない。しかし何はともあれダイモンの牙城から三人揃って無事に脱出できたのだ、今はそれを素直に喜ぼうではないか。高英夫はこちらに振り返ると晴れ晴れした顔でミエルと晶子に声をかけた。
「二人とも大丈夫か」
「はい、なんとか……生きてます」
「やっと、やっとだし」
「ちょっと手荒だったけどお疲れ様だ。さて、さっさと撤収するぞ」
高英夫は手すりに引っかかったままのドローンに括り付けられたフックを外すとそれを眼下に放り投げる。するとフックを重しにしたロープは振り子のような軌跡を描きながらダイモンエステートビルの壁に垂れ下がった。
「これであのチャイニーズも脱出できるだろう。あとはこいつだな」
高英夫は手にしたドローンをミエルの前に差し出した。
「ミエル少年はこれが欲しかったんだろ?」
「え、いいんですか?」
「いいもなにも、こんなところに証拠を残すわけにいかないし、何より捨てるには忍びないだろ。かと言って俺はこんなもん使わねぇし、君ならいろいろ使いこなせるだろ」
すると晶子が会話に割って入った。
「でもリモコンはどうするし」
「実はこんなこともあるかと思って……」
ミエルは嬉しそうな笑みを見せながらバニーガールのコスチュームの胸元をまさぐるとそこから小さなリモコンを取り出した。
「おいおい少年、ちゃっかりしてるなぁ」
「なんかミエルだけおいしいとこ取りで、ちょっとムカつくし」
「それは……その……ボクだって大変だったんだ。恥ずかしいカッコを撮られたりしたし……そりゃ高さんに比べたら大したことないかもだけど」
「ははは、まあ役得ってことだな」
「はいはい、わかったし。そんなことより高先生、先を急ぎましょう」
「お、おお、そうだな」
三人は揃って屋上の塔屋の前に立つ。高英夫が鉄扉のノブを回してみるも、案の定内側から施錠されていた。
「ここはお二人さんの出番だな」
「それならボクがやります」
「ドローンの分までしっかり働くし」
そう言って晶子はベストのポケットからピッキングツールを取り出してそれをミエルに手渡した。ミエルが片膝をついて鍵穴にツールを差し込むとそれに合わせて晶子がスマートフォンのライトで彼の手元を照らす。なんだかんだで息の合った二人はあっさりと解錠してしまった。
「さあ、急ぎましょう」
階段室の照明にはセンサーが付いているのだろう、彼らが進むとともに蛍光灯の白い光が次々と階段室を照らしていった。ダイモンのビルとうって変わってこちらにはまるで人気がない。それでも三人はなるべく足音をたてないよう注意しながら階段を下りて行った。
ついに一階に到着、長かった夜もそろそろ終わりを迎える。ほっと一息つくミエルと晶子だったが高英夫が神妙な顔でつぶやいた。
「まずいな、ここを出るとビルの裏手、マークされてないとは思うけど警察がうろついてるかも知れねぇ。俺とショーコちゃんは問題ないけどミエル少年のそれはなぁ、職質してくれって言ってるようなもんだし」
「や、やっぱマズいでしょうか。どこかのコスプレパブのコンパニオンってことで誤魔化せると思うんですが」
「バカじゃないの。ドローンを抱えたコンパニオンなんているわけないっしょ」
「でも……」
ミエルは手にしたドローンを名残惜しそうな顔でその場に置こうとした。すると高英夫が着ている革ジャンを脱いでそれをミエルの肩に羽織らせた。
「あ、ありがとうございます」
「いいってことよ。とりあえずこれなら言い訳もつくだろう。あとは警察がいないことを祈るだけだ、さあ行こうぜ」
高英夫がドアノブに手をかけたときだった、晶子のスマートフォンが着信のバイブレーションに震える。すぐさま取り出して画面を確認するとママからの着信だった。
「ショーコちゃん、ご苦労様。みんな無事に脱出できてなによりだわ」
「は、はい。でも、なんでママがそんなことを知ってるんすか?」
「なんでも何もミエルちゃんのカメラはずっとオンのままだもん」
「でもあたしのファブレットは月夜野たちに渡したし……」
「だからその月夜野をさっきからそこいらに待機させてるのよ。それで映像はしっかり中継されてるってわけ」
「それじゃ……」
「もちろんスリリングなロープウェイも拝見させてもらったわ。高先生にもお礼を言っておいて頂戴」
「はい、ママ」
「それでね、今から月夜野をそっちに回すから三人は彼女の車で戻って来なさい。それじゃよろしくね」
ママはそれだけ言うと通話を切った。晶子はママとの話を高英夫に伝えるといよいよビルのドアを開けて外に出た。
警察の非常線から外れているとはいえ赤色灯がビルの壁に反射して赤いチラつきとなっているのがわかる。とにかく迎えが来るまでは酔客のふりをしてやり過ごすしかない。三人はなるべく往来の人たちと目を合わせぬよう注意しながら身を寄せ合っていた。
やがて空冷エンジンの乾いたエギゾースト音が聞こえて来た。晶子にとってはついさっきも聞いたあの音である。ビルの裏口前の歩道に横付けした車からメイド姿の月夜野が降り立つ。
「みなさんお待たせしました。さあ、お乗りください」
その車を見て声を上げたのは高英夫だった。
「おおっ、二馬力じゃねぇか! それもホワイトボディーにイエローバルブのヘッドライトなんて出来過ぎだぜ。それを紅茶屋のチェンバロ姉さんが運転してるってのがこれまた絵になってるじゃねぇか。ほんとにあのママの周辺ってのはみんないいセンスしてるよなぁ」
高英夫はいつになく饒舌になっていた。彼がいささか興奮気味なのはミエルと晶子のみならず月夜野にも感じられた。
「この車はおじいさまの形見ですの」
「そりゃ大事にしないとだな。それよりまさかこの車の実物に乗れるなんて、これはうれしい誤算だぜ」
「高さん、ご存知なんですか?」
「ああ、シトロエン2CVだ。ずいぶん前だけど俺はこいつが欲しくてさ、でも今となってはそうそう出回ってないし、いい値段するしで諦めたんだよな」
高英夫の喜びように気をよくした月夜野は彼を助手席にエスコートする。ミエルと晶子は二人並んで後部座席へ、月夜野は前後左右を確認するとダッシュボードから伸びたシフトレバーを器用に操りながら車をUターンさせて明治通りとの交差点を目指した。
憧れの車に上機嫌な高英夫にひと仕事を終えてすっかり気が抜けている晶子、そしてミエルは月夜野の運転に身を委ねながらリアウインドウを振り返る。そこにはビルの隙間から垣間見えるダイモンエステートビルがあった。警察車両の赤色灯を反射させて赤い瞬きを繰り返すその姿はまるで血に塗れた墓標のように見えた。




