第57話 真夜中のロープウェイ
「うん、こんなもんでいいだろう」
高英夫はステージ用資材の入った大きなバッグから適当な長さのロープを見繕った。
「ミエル少年は前に、ショーコちゃんは後ろだ」
「えっ、前って……やっぱ三人いっしょなんですか?」
「当然。そもそも滑車は一つしかないんだぜ、一気に行くしかねぇだろう」
この期に及んで戸惑うミエルをよそに晶子はすっかり腹を括っていた。
「高先生、あたしが先生におんぶすればいいんですよね」
「その通り」
そう言って高英夫は腰をかがめる。すると晶子は彼の肩に手をかけてその背におぶさった。
「ほら、ミエルもさっさとやるし」
「わ、わかったよ」
ミエルも彼に抱き着くようにその首に手を回した。
「よし、あとはこいつで縛れば出来上がりだ」
高英夫は赤いロープで三人の身体をまとめて縛り上げると滑車を手にして向かいのビルへと通じるロープの前に立った。
ロックンローラー風の男が忍者ガールを背負ってバニーガールを抱きかかえている、その姿は珍妙を通り越して滑稽でもあった。意識を失ったまま目覚めない大門啓介の様子をうかがっていた悠然も彼ら三人の姿に声を上げて笑う。
「哈哈哈、很奇怪的」
「おいおい、チャイニーズ。お前さんだって笑ってる場合じゃねぇだろ。俺らのルートは片道切符、あんたの分まで用意してないんだぜ、どうするんだよ」
「ウチにはウチの考えがある。それにまだこいつとの話すことがあるよ。だからお前たちはお前たちで勝手にすればいい。一路平安ね」
「そうかい、それじゃ達者でな。俺たちが無事向こうにたどり着けたならこのロープで降りられるルートを残してやるからあとはあんたの好きに使うといい」
「明白了、太谢谢您了」
高英夫は会話を終えると綱渡りの準備を進めた。滑車をロープに載せてその動きを確かめると三人を縛ったロープの余りを滑車の後ろに括り付ける。
「これはいざというときの命綱だ。こいつのお世話にならないよう、少年少女はせいぜい神様にお願いしておいてくれよな」
高英夫は張ったロープを手掛かりにしてバルコニーの手すりを乗り越える。笠木の上に立ち下界を見下ろす高英夫、ジオラマのようなそこでは何台もの警察車両が赤色灯を瞬かせていた。
「さあ行くぞ。いいかお二人さん、絶対に下を見るなよ。いいか、絶対に、だ」
「わ、わかりましたから、早く終わらせましょう」
「ミエル、ビビってるし」
しかしそう強がる晶子の手もまた震えていた。
「よし、真夜中のロープウェイ、出発だ」
こうして一蓮托生となった三人を吊り下げた滑車は高英夫の掛け声とともに喧騒の上空へと滑り出した。
ショーでも使うそのロープには油を浸み込ませてあるし滑車には蝋を塗ってある。三人を吊り下げたロープウェイは滑らかな速度でおよそ一〇メートル先の終点を目指していた。高英夫の目には徐々に近づくビルの手すりが、ミエルの目には高英夫の肩と晶子の頭が、そしてその向こうには離れ行くダイモンの牙城が映る。
「うわ――、なんかちょっとキレイかも」
緊張の面持ちの二人とは裏腹に晶子だけが眼下の眺めに興味津々だった。
「ちょっと晶子、なんで君は下を見てるんだよ」
「だって前を見たらあんたの顔じゃん。てかさ、バニーの恰好なのはわかるけどなんでウサ耳まで付けてるわけ?」
「これは……だってバニーなんだから、しょうがないじゃないか」
「じゃなくて、この状況でもウサ耳をはずさないって、あんたってやっぱヘンタイだし」
「そんなぁ、ひどいよ、晶子」
それは晶子がみんなの気を紛らわせるための精一杯の強がりだったのだろう、そのおかげでミエルも高英夫もやけにリラックスした気持ちで臨めているのは確かだった。
さほどの速度は出ないもののそれでもゴールは確実に迫っていた。残すはおよそ二メートル、だがそこで事態は急変する。三人を運ぶ滑車がその場で動きを止めてしまったのだ。
あともう少し、もう少しあれば手が届く。高英夫は前方に体重をかけて前進を試みる。するとミエルの姿勢も併せて傾く。背中を下に、視界は斜め上に、途端にミエルは落下の恐怖を実感した。
「こ、高さん、この角度はちょっと怖いです」
「ミエル少年、君も俺もショーコちゃんもしっかり括られてる。君だけが落ちることは絶対ない。心配するな」
高英夫がミエルを励ますもしかしミエルには見えていた、これがかなりの危機的状況であることを。なんと、ダイモンエステートビルから延びるロープの張力が弱まってすっかりたわんでしまっているのだ。
「高さん、ピンチです。ロープがたわんできてます」
「だったらあたしもなんとかしてみるし」
そう言いながら晶子は身体を揺すった。これで少しでも動けばと考えてのことだったがそれはかえって落下の恐怖を煽るだけだった。
それぞれが身体を動かし過ぎたからだろう、ついに三人を括り付けるロープが緩み始めた。これまで密着していた高英夫とミエルとの間にわずかな隙間ができる。ややもするとこのままロープが緩んで自分だけが真っ逆さまに……そんなことを想像しただけでミエルの下腹部はムズムズとした心地悪さに包まれるのだった。
「晶子、マジで、マジでやめてくれ。ピンチどころじゃなくなっちゃうよ」
「だったらあんたがもっと頑張るし」
あまりの無茶振りに呆れた思いでミエルが晶子の顔を見返したそのときだった、ダイモンエステートビルの手すりに人影が見えた。ルームからの明かりで逆光ではあったがお団子ヘアのシルエットでそれが悠然であることはすぐにわかった。
「こ、高さん、悠然さんがバルコニーに」
ミエルの一言で高英夫と晶子も声をあげる。
「なんだって? まさかあのチャイニーズ、このまま俺たちを落とそうって魂胆じゃねぇだろうな」
「ちょっと、ふざけるなし」
悠然は以前に言っていた、互いに目的は同じだと。そしてその目的はもう達成されている。となるとあとは目撃者の完全なる抹消、彼女にとってこの状況はまさにうってつけではないか。
「マジでヤバい、今度こそほんとにピンチかも」
悠然のシルエットがバルコニーの奥へと消えていく。ついにロープが解かれてしまうのか。
でもそうなったらそうなったで助かる可能性はある。こちら側のフックはまだ生きているのだ。ならばミエルと高英夫が協力してビルの壁に喰らいついてよじ登ればよいではないか。いや、むしろこの膠着状態よりも助かる可能性は高いかも知れない。
よし、ピンチをチャンスに変えるんだ。ミエルは自分で自分にそう言い聞かせた。
それからほんの数十秒、三人にとってそれはえらく長い時間に思えたがようやっと事態は好転する。なんとロープの張力が増したのだ。止まっていた滑車がゆっくりと動き出す。
一〇センチ、二〇センチ、ゴールの手すりが徐々に近づいて来る。あと少し、もう少しだ、高英夫はゆっくりと前方に体重を移動しながら右腕を目いっぱいに伸ばした。
ミエルの身体が再び傾く。しかし今はピンチなんて言っている場合ではない、ここが正念場なのだ。怖さを振り切ってミエルもいっしょになって腕を伸ばす。そしてついに二人の指先がビルの手すりを捕えた。持てる力を振り絞って高英夫が手すりを自分の下へと引き寄せる。そして三人ひとかたまりのまま手すりを乗り越えるとそのまま屋上の床に転がり落ちた。
高英夫は三人を括り付けていたロープを解くと真っ先に手すりの前に立つ。ダイモンエステートビルに再び悠然のシルエットが現れた。高英夫はその影に向かってエールを返すように手を挙げた。
実は本作のタイトルは当初「真夜中のロープウェイ」でした。
が、しかしそれではタイトルでネタバレになってしまうので現在の名称に変えたのでした。
以上、作者からの裏話でした。




