第52話 死ぬのはあんただ
ミエルが目を覚ましたとき十一階のルームは消灯されており、代わってルーフバルコニーの向こうから届く街の明かりが彼らの周囲をほんのりと照らしていた。目の前にはミエルを苦しめたあのゲームの残骸がそのまま残されている。あれからどれほどの時間が経過したのだろう、今は真夜中かはたまた朝方なのか、ミエルは時間の感覚をすっかり失っていたがそれでも状況を把握しようと耳を澄まして周囲の様子をうかがった。
遠くから微かに喧騒に似た声が聞こえて来る。それはビルの外からではなく内部から、それも下階のカジノフロア―からであることは明白だった。何かトラブルでも起きたのだろうか。だとしたら一刻も早くここから逃げ出さねばならない。ミエルは自分を拘束しているこの手錠がはずれないものかと手首を揺すってみる。高英夫ではない素人の黒服が設営した櫓だ、揺さぶるうちにジョイント部に緩みと隙間ができたが、しかしそこまで、パイプがはずれることはなかった。
ガチャガチャとした音と揺れのおかげで高英夫もまた目を覚ました。ミエルはすぐさま彼の様子を気遣う。
「高さん、大丈夫ですか?」
「ん、ああ、ミエル少年……今は何時だ? ステージは……そうか、今夜は中止だったっけ。それにしても大門の野郎、好き勝手しやがって、畜生め」
高英夫もまた拘束されていたがそこだけは自由になる首を振ると悪態をつきながら軽い伸びをして息を整えた。
「さて、そろそろ反撃と行きたいところだが、これじゃどうしようもないよな」
「ええ、ボクもさっきからなんとか外れないかって色々やってるんですが……」
「あのジョイントには大人の身体を支えるだけの強度があるんだ、素人の黒服がやったとは言えそう簡単には外れないさ。それよりミエル少年、前に見せてくれたピッキングの道具はないのか?」
「あることはあるんですが、その、ボクのヒールの踵に仕込んであるんです。だからとにかくこの手錠をなんとかしないと、なんです」
「手錠をはずすにゃ道具がいる、だけどそれにはまず手錠をはずさねぇと、か。まるで禅問答だぜ」
二人は拘束されたまま揃ってため息をついた。
「ところで少年、何やら下階の方が騒がしいみたいだけど何か起きてるのか?」
「そうみたいですが、ボクだって今さっき目が覚めたところなんです」
お互いやるせない気分で会話をしているときだった、ルームの入口に人影が現れた。そのシルエットが大門啓介であることは高英夫にはすぐにわかった。
「おっと、会長様のお出ましだぜ。おいおい、奴さんひとりかよ。取り巻きがいないってことはやっぱトラブルでも起きたか。よし、せっかくだ、本人に聞いてみようぜ」
こんな状況でも余裕を見せる高英夫、ミエルの目にはそんな彼がやたらと頼もしく、カッコよく映るのだった。
薄暗い部屋に黒いシルエットが近づいてくる。高英夫が言う通り彼はひとりでやって来た。彼がルームの照明を点けるとそこには高英夫を睨みつける悪鬼の形相があった。なりふり構っていられないのだろう、大門啓介はいつもの気取った口調ではなく彼本来の口調になっていた。
「縛り屋、遊びの時間は終わりだ。さあ、吐いてもらおうか芥野の土地権利書がどこにあるかを」
「何度も言ってんだろ、知らねぇよ、そんなもん。てか、あんたには警察にもお友だちがいるんだろ、そいつらに聞けばいいじゃねぇか」
「もちろん聞いたさ、そのために安くないお手当てを連中には出してやってるんだ。しかし答えは『知らない』だったよ」
「なら俺も同じだよ、警察が知らんものを俺が知ってるわけねぇだろ」
「ふっ、まあいいさ。実はそんなものはなくたって如何様にもできるんだ。地面師って聞いたことがあるだろ。うちにもお抱えが何人かいてね、彼らがうまい図面を引いてくれるよ。そんなことより縛り屋、貴様のバックだ。この一連のドタバタはどこの誰の差し金だ」
「大門さん、何の話をしてんだよ」
「伊集院会長への情報リーク、さらって来た娘の救出劇、それだけじゃない、ギャングの若造連中とうちの若い衆までもがあっさりとやられてる。挙句にいきなりの警報発令だ。間もなく消防と警察が大挙して押しかけて来る。カジノの客たちは早々に退避させたがおかげで我々は大損害だ。こんなこと偶然が重なった結果だとは思えないのだよ。さあ、話してもらおうか、貴様らの計画の全てを」
「なるほどね……それはきっとどこかの正義の味方がいい仕事をしてくれたんだろうよ、悪は栄えねぇってな」
これ以上の議論は無駄だ。何より自分の手にはこの男を責める手段がある。そう考えた大門啓介は高英夫に最後の通告をする。
「貴様が亜梨砂とつるんでSMショーの真似事をしていたことは俺も知っていた。それがどうだ、バカな親の犠牲になって後先考えずの飛び降り自殺だ。そしてその直後に貴様がショーの売り込みにやって来た。何か裏があるだろうことは誰にでもわかることだ、例えば死んだ女の復讐とかだ。現に勇次にも止められたよ、やめておけってな。だが俺は貴様が持つ権利書とリスクを秤にかけて考えてみたんだ。リスクと言っても所詮チンピラのやることだ、大したことはできないだろう、だから俺は権利書を選んだ。しかし想定外のことが起きた。ここで起きたあらゆる情報がリークされていた、代議士の山鯨のみならずバックヤードでの出来事すべてがな。こんなこと女を縛るくらいしか能がない貴様ごときにできることではないだろう。貴様を背後で操っているのはどこのどいつだ!」
大門啓介はまたもや電撃のボタンを押す。
「さあ、吐け、吐くんだ。さもないと貴様、マジで死ぬぞ」
そう言いながら二度三度と電撃を与える。身体をのけぞらせて喘ぐ高英夫、ミエルはそれをまともに見ることができずに目を背けるしかなかった。
すると背けた視界のその先に小さな人影が映った。ルームの入口からこちらの様子をうかがうシルエットが誰なのか、ミエルにはすぐにわかった、晶子だ。ミエルは大門啓介に悟られないよう、高英夫をうかがうふりをしながら彼女の姿を視界の端で追った。
晶子の影が肩で息をしているのがわかる。きっとここまでの階段を駆け上がって来たのだろう、大きな深呼吸を二回、三回と繰り返してようやく息が整うと小さな影は胸のあたりを探る。そして手にした小さな得物は彼女お得意のスタンガンだ。
ついに小さな影が動き出す。足を忍ばせながら迷うことなく一直線にこちらに駆け寄る影、その姿が一瞬にしてミエルの視界から消えた。
「勇次、勇次なのか?」
背後に迫る気配に高峰勇次の姿を感じた大門啓介が声を上げて振り返ったそのときだった、前方回転からスライディングと流れるように彼の足元に及んだ晶子がスタンガンを握る手を伸ばす。それは大門啓介の股間を直撃、晶子はためらうことなく得物のボタンを押した。
言葉を発する間もなく身をのけぞらせるとその場に突っ伏す大門啓介、既に意識がない彼に晶子が吐き捨てるように言葉を浴びせた。
「マジで死ぬのはあんただし」




