第42話 ミルグラム実験、あるいはアイヒマンテスト
黒服の男が二人、高英夫の両手首に薄い金属箔のテープを巻く。それぞれからはリード線が延びて弁当箱ほど黒い箱に接続されていた。もう一人の黒服が壁際のコンセントから赤いボディーの電工ドラムで延長したコンセントに黒い箱から出ている電源を挿す。そして手のひらサイズの小さなリモコンを大門啓介に手渡した。
「さて、高先生、ミルグラム実験をご存じですか? アイヒマンテストと言った方がよろしいかな、ちょっとした心理ゲームです」
「カッコつけてんじゃねぇ、要するに拷問だろうが。引地の地上げと言い、カジノと言い、てめえのやってることはまんまヤクザ者じゃねぇか!」
「ふふふ、それはそうですとも。なにしろ私は歌舞伎町の、それも大門ならぬデーモンと呼ばれてますのでね」
大門啓介は不敵な笑みとともに手にした箱のボタンを押す。その瞬間、高英夫の身体を不快な刺激が駆け抜けた。大門啓介が手にしているそれを操作することで高英夫に着けられた電極へと電流が流れるのだ。
なんと悪趣味な!
ミエルの脳裏にこれから起きるであろう尋問、いや拷問のイメージが浮かぶ。しかし自分もまた拘束されている身、この光景もチョーカーに仕込んだ隠しカメラでママの下へと送られている、きっとなんとかしてくれるはずだ。ミエルはそれだけを頼みの綱としてやがて事態が好転するであろうことをひたすら待つのだった。
大門啓介が権利書の在り方を詰問する、対して高英夫は知らぬ存ぜぬと返し続ける。大門啓介は質問のたびに出力を少しずつ上げていく。二回、三回、そして四回目には高英夫は拘束された身体をのけぞらせながら雄叫びにも似た声を上げるのだった。
彼の額には脂汗が浮かびその肩は激しく上下に揺れている。それに対してミエルは「高さん、しっかりしてください」と虚しい言葉を繰り返すことしかできなかった。
なんとかしなくては。今この状況で自分ができることは何か、ミエルはそれを必死になって考えた。そして……。
「大門会長、ひとつ質問させてください」
大門啓介は拷問の手を止めてミエルの顔を見下ろす。そこには冷徹な実業家としての顔があった。
「悪いがバニー君、質問をするのはこちら、君たちにその権利はないのだよ。しかし身体を張ってバニーガールの衣装まで着てこんなところにやって来たレディーに免じてひとつだけなら聞いてあげよう。さあ何だね、その質問とやらは」
「どうしてあの場所にこだわるのですか?」
「は、何を言い出すかと思えば、くだらない。そこに土地があればそれを買って付加価値をつけて売る、それが我々の仕事だよ。ただそれだけのことさ。では今度は私がレディーにお尋ねしよう。土地売買における付加価値とは何か、さあバニー君、答えてごらん」
よし、食いついてきたぞ。これでしばらくは高さんへの責めが止まる。あとはできるだけ話を引き延ばせばいいんだ。ミエルは心の中でガッツポーズをした。
「それは……そこにお金になりそうな何かがあるとか。あ、そう言えば東京にも天然ガスが出るところがあるって話を聞いたことがあります」
ミエルの言葉に大門啓介は腹を抱えて笑い出した。
「あっははは、君が言ってるのは南関東ガス田のことか。でもそんなものに価値なんかないよ。考えてもみたまえ、そんなもの個人では扱いきれん、まさに無用の長物なのさ。正解はね、ひとつにまとめることだよ。土地と言うのはある程度のまとまった広さがあって初めて価値が生まれるものなんだ」
「それで土地を買い集めてるんですね。それでその土地はどうなるんですか?」
「質問はひとつと言ったはずです。しかしまあ、よろしいでしょう、レディーの疑問にお答えしましょう」
大門啓介は黒服の一人に命じるとまた別のリモコンを持って来させた。彼がそのスイッチを入れると壁の巨大スクリーンに映像が流れ始める。それはダイモングループのプロジェクトである引地地区再開発プロジェクトのプレゼン動画だった。
「引地地区、それは私たちが生まれ育った土地、そこは遥か昔、江戸の時代から忌み地と呼ばれ蔑まれてきたのです。子どもの頃はいじめの対象でした、住んでる場所が高台の上か下かの違いだけでね、まったく理不尽な話です。だから私は心に誓ったのです、いずれこの地に光を当ててやろうと。そこにこの再開発事業が持ち上がりました。私はなんとしてでも成し遂げる、そしてゆくゆくは高峰君、白井君それに亜梨砂にもいい目を見せて差し上げよう、私はそう心に誓ったのです」
「えっ、亜梨砂さんを知ってるんですか?」
「知ってるもなにも彼女も引地の出ですよ。家を飛び出してどこでどうしていたのやら、流れ流れてついにはそこの高先生に囲われてSMまがいのショービジネスです。そして自ら命を絶つとは、最後の最後まで哀れな女性でしたよ」
「そんな、ひどいこと……」
「しかし、たかが幾人かが死んだところで私の計画に変更はあり得ません。彼の地に我が牙城となるダイモンタワーを建設するという私の夢を実現する計画にね」
ミエルの前で延々と語る大門啓介は自分の言葉に酔いしれているようだった。しかし彼がその開発プロジェクトから排除されたことをミエルも高英夫も知っている。もし今ここでそんなことを口にしようものなら再び拷問が始まってしまうだろう。
「ボクがなんとか引き延ばすから、だから高さん、お願いだから余計なツッコミだけは勘弁してください」
ミエルは大門啓介の独演を前にしながらそれだけをひたすら祈っていたが、その願いはあっさりと打ち砕かれた。ようやく電撃のダメージから回復した高英夫がここぞとばかりに割り込んできたのだ。
「夢だか計画だか知らねぇけどよ、てめえはとっくにプロジェクトから外されてるだろうが。そもそも分不相応だったんだよ、忌み地の出のてめえが財閥だのやんごとなき連中だのの仲間に入ろうなんてな」
その瞬間、大門啓介の顔が豹変した。そして再び電撃のリモコンに持ち替えると無言のままスライダーを上げてボタンを押した。
「ぐお――っ、おお、がぁ――!」
大門啓介が二度、三度とボタンを押すたびに高英夫が身体をよじりながら絶叫する。聞くに堪えないその声を止めんとミエルもまた大声を上げた。
「大門、いい加減にしろ!」
ミエルの声を聞いた大門啓介がボタン操作の手を止める。高英夫はすっかり脱力して括り付けられたパイプに身を委ねた。
「おやおや、バニー君、勇敢なレディーかと思ったら、なるほどなるほど、君は男の子、もとい、男の娘だったわけですね。これはおもしろい、今夜は思う存分楽しめそうです」
大門啓介は気丈に睨み返すミエルの顔を覗き込むと、これまでとはうって変わったサディスティックな顔で舌なめずりをして見せた。




