第40話 縛り屋、怒りの鉄拳
ミエルがすっかり手慣れた様子でバニーの衣装を身に着ける。胸には小さな膨らみの演出にそしてデリケートゾーンにはカムフラージュのためにシリコンパッドを装着するのを忘れずに。ウィッグは外出用の金髪ツインテールから同じく金色のボブヘアに、それは演技のクライマックスで逆さ吊りにされたときに顔と兎耳が隠れないようにするため。それだけではない、いつもはチョーカーに仕込んだ隠しカメラのアングルがウィッグで妨げられないようにするための策でもあった。そして最後に兎耳のカチューシャを着ければバニーガールの完成だ。粛々と準備を進めるミエルだったが彼女の目の前では高英夫がやけに落ち着かない様子で周囲をきょろきょろと見回していた。整然と並ぶロッカーや物入を順番に開けてはそのたびに舌打ちする。いつもの彼らしからぬその様子にミエルが声をかける。
「高さん、どうしたんですか? いつもの高さんらしくないですよ」
「ん、ああ、ちょっとな」
そう言いながら高英夫は最後の物入を確認すると吐き捨てるように言った。
「俺たちの道具がまるっと消えてるぜ。おそらく連中がどこかに持って行ったんだろう。あれは素人が触るとロクなことにならねぇんだ」
確かに彼の言う通りだ。なにしろあの鉄パイプに吊るされるのは自分なのだ、ひとつ間違えば事故につながりかねない。だからこそ彼以外の手による設営で演じるなんてミエル自身も考えたくなかった。
それにしてもいつまで待たせるつもりなのだ。時刻を指定してきたのは大門啓介本人ではないか、なのに午後六時を過ぎた今になっても声すらかからない。それは敵の手中で弄ばれてるような気分、高英夫の苛立ちは増すばかりだった。
「高さん、とにかく待ちましょう。こうなったらボクたちにはどうしようもないですし」
「そうだな、確かにここは敵の真っただ中、殺生与奪を握られたようなもんだ、出方を待つのみってか。まったく少年にそんなことを言われるなんて俺もまだまだだな」
高英夫は肩を落として溜息を吐きながら諦めたようにパイプ椅子に腰を下ろした。一方でミエルは隠しマイクを通して晶子に抜け目なく状況を知らせた。
「晶子、聞こえてるかな? とにかく今は待機中、しばらくはこのままかもだけど目を離さないでいてくれ。ダイモンの人たちが来たら迂闊に声を出せないから」
こうしてミエルと高英夫の二人は生殺しのような落ち着かない時を過ごすのだった。
ついにノックが三回、こちらの返事を待たずにドアを開けたのは黒いスーツに黒ネクタイ、その上サングラスと言う絵に描いたような悪役雑魚キャラ風の男だった。男は台本でも読んでいるかのように通り一遍の口調で言った。
「会長の謁見がありますので今しばらくお待ちください」
挨拶のひとつもなく無機質にそう言って部屋を後にしようとする男に高英夫が今にもキレそうな感情を抑えながら呼び止めた。
「おい、ちょっと待て。時間を指定してきたのはそっちだろうが。それがなんだ、三〇分も遅刻してようやっとその一言かよ」
男はその声に反応はしたもののこちらを振り替えることはなかった。
「まずはちゃんと説明しろよ。そもそも大門はいつ来るんだ。もし来たとしてもそれから打ち合わせなんぞしてたら今夜の本番に間に合わねぇだろ。どうするんだよ」
「今夜の舞台はお休みです」
「休みだと? いい加減にしろよ、てめえ。それとな、俺らの道具はどこにやったよ。まさかてめえらが勝手に……」
「資材はこちらでお運びしてあります。設営も完了しています」
「クソッ、やっぱそうか」
高英夫は男に詰め寄らんと前に出て語気を荒げた。
「勝手なことばかり言いやがって。いいか、大門に言っておけ。休みだろうが何だろうが今夜のギャラはキッチリいただくからな。それともうひとつ、舞台の設営はやり直しだ、俺は俺自身が組んだんじゃねぇと演らねぇ、ってな!」
「承知しました」
それでも男はこちらと視線を合わせることなくそんな一言を残して部屋を出て行った。
再びノックの音が鳴ったのは予定よりも一時間遅れの午後七時にならんとする頃だった。先ほどとはまた別の黒服がドアを開けて二人をエスコートする。殺風景な廊下を進んで観音開きの鉄扉を開けるとそこはカジノのロビーだった。右手にはエレベーターの扉が、正面では天井まである重厚な木製扉が来る者を圧倒していた。黒服はその扉を横目に左へと進む。
「おい、カジノはこっちだろ」
高英夫が正面を指差してそう問いかけるも黒服は返事すらせずに左奥へと歩を進める。大理石張りの壁を上下に分けるアクセントとなっているマホガニー製の見切りモールにうっすらと切れ目の入った一番奥の壁、黒服が壁に手をかけるとその壁が静かに回転した。そう、それこそがカジノを抜けずに一〇階ラウンジへと通じる隠し階段への入口だった。いつもは演者としてカジノ内を自由に立ち回っていた二人だったがこんな通路の存在は今初めて知ったのだった。
黒服は階段を上がるとラウンジの裏手へと二人を誘導する。バーカウンター内ではミエルも知るあの中国人女性のバーテンダーが何食わぬ顔でグラスを拭いている。それを横目に黒服に連れられた二人は十一階へと続く階段を上がって行った。
「ようこそいらっしゃいました。お待ちしておりましたよ」
会議用のイスもテーブルも片づけられたやたらと広い空間でマルーン色のボウタイにブラックスーツを着こなした男が歓迎の素振りを見せる。大門啓介その人だ。ここまで先導してきた黒服がそそくさと下がるとその先には彼の他に四人の黒服が並んでいた。そして大門啓介を中心に黒服たちが並ぶ反対側、ルーフバルコニーへと続く窓の前には演技のための単管パイプの櫓が設営されていた。
「お招きにあずかり光栄ですとでも言うと思ったか? 大門さんよ、まずは散々待たせた理由を聞かせて欲しいぜ」
しかし大門啓介はただ薄ら笑いを浮かべるだけで高英夫の言葉に応えることはなかった。
「それにな、そこに組んであるヤツもだ。誰がやったか知らねぇが、あれじゃ演技なんてできねぇ。悪いが俺の手で組み直させてもらうぜ」
「高先生、まずは落ち着いて。さあ、喉を潤してみてはいかがですか?」
二人の背後に人の気配がする。ミエルが恐る恐る振り向くとそこには悠然、ここでは楊蘭華を名乗るバーテンダーが三つのグラスを載せたトレイを手にして立っていた。
「先生のお怒りはごもっともですがここではすべてを水に流して、さあ、まずは乾杯といきましょう、私たちの出会いを祝して」
そう言ってトレイのグラスを手にしようと大門啓介が一歩前に出たときだった、高英夫がその顔に怒りの鉄拳をお見舞いした。
「大門啓介、これがてめえへの答えだ!」
さらにもう一発。
「そしてこいつは亜梨砂の分だぁ!」




