第34話 俺たちのミッションはまだ続く
新宿は御苑に近い一丁目に建つ古ぼけたビル、五階建ての最上階にある事務所で東新宿署の相庵警部はプロジェクターがホワイトボードに映し出す映像を前にして苦虫を噛みつぶすように顔をしかめた。
それはミエルの隠しカメラで撮られたカジノでの出来事の一部始終だった。ただしママがここで見せたのは与党代議士の山鯨氏が映るシーンのみ、その前に撮られた惨劇部分は丸々カットされていた。いくら気心知れた協力者とは言え相庵警部は警察組織の人間である、迂闊なことで計画がお流れになってしまっては大赤字だ。そこでママは件のデータから問題のありそうな箇所をカットした複製を作成しておくよう晶子に命じていたのだった。
大門啓介と山鯨氏が連れ立って上階へと消えていくところで動画は終了する。
「よりにもよって山鯨が噛んでやがったのか。こりゃ迂闊に手が出せなくなっちまったぜ」
「あら、貞夫ちゃんらしくないわね、弱音なんて」
「弱音じゃねぇ、とにかくあのイケイケ親父とだけは関わりたくないんだ。何しろヤツの一声で不問になった事件なんてひとつやふたつじゃないんだからな。ひょっとすると引地で起きた地上げ絡みの地権者殺しも闇から闇になっちまうかも知れないんだぜ」
相庵警部がイライラした声を上げたそのときだった、三回のノックとともに「おはようございます!」の元気な声が響き渡る。現れたのはミエルと晶子の二人、授業を終えた彼らは一旦自宅に寄って制服から私服に着替えて来たのだった。晶子は黒いレギンスの上からデニムのショートパンツ、ミエルは白いブラウスに臙脂色のジャンパースカート、ヘアスタイルは金色のウィッグをツインテールに、薄っすらとメイクしているのもいつものことだ。
「あ、警部さん、お疲れ様です」
小首をかしげて挨拶するミエルを前にして相庵警部が苛立ちを見せる。
「ミエルよ、俺は言ったよな、しばらくおとなしくしてろって。今のお前の姿、それが俺への答えってことか」
肩をすくめて見せるミエルには警部の言葉などまったく効いていないようだ。その態度に警部の怒りもいや増す。
「挙句の果てに敵の本拠地に潜入して闇カジノで盗撮なんて、もう俺は知らんぞ。大門にしろ山鯨にしろ、子どもがどうこうできる相手じゃねえ。あまり調子こいてるようならお前らまとめて少年法やらでしょっぴくこともできるんだからな」
「お前らって、ミエルだけじゃなくてあたしもですか?」
高校生の分際で女装して夜の仕事をしているミエルはまだしも普通の女子高生である自分までもいっしょにされたことに晶子は思わず声を上げた。すると警部はドスの利いた声とともに彼女の鼻先を指差した。
「誰彼構わずスタンガンを振り回す女子高生なんてどこにいる? あれだって立派な傷害罪だってことを忘れるなよ」
まさに捨て台詞、そんな言葉と飲みかけのお茶を残して相庵警部は仏頂面とともにママのオフィスから出ていってしまった。
「さてと、うるさいのも帰ったことだし、ショーコちゃん、あとはよろしくね」
「はい、ママ」
晶子はそう返事するとノートパソコンを開いてすぐに作業を始める。パタパタとキーを打つ音を聞きながらミエルはぼんやりと晶子を見つめながら考えた。
自分が撮った動画や音声は晶子のファブレットを介してクラウドサーバーに送られている。そこには今回の依頼人でもある高英夫もアクセスすることが許されていて、彼は大門啓介を追い詰めるためにそれを使うと言っている。しかしママと晶子の様子を見る限りクライアントは高英夫以外にもいるようだ。それはいったい誰なんだろう。
そんなミエルの疑問を察したようにママが興味津々の様子で晶子のノートを覗き込もうとするミエルに釘を刺した。
「ショーコちゃんはショーコちゃんの、ミエルちゃんはミエルちゃんの、それぞれのやるべきことをすればいいの。余計な詮索はいい結果を産まないものよ」
今回のミッションにおける真のクライアントは伊集院グループである。大門啓介の尻尾を掴んで欲しい、しかしママはその依頼にどう応えようかを考えあぐねていた。そこにパートナーの死をきっかけに大門啓介に一矢報いたいと高英夫が話を持ちかけてきた、それも大門啓介がもっとも欲しがっているものを手土産にして。
こうしてミエルは高英夫とともに闇カジノへと潜入することになったわけだが、彼と行動をともにしているミエルには伊集院の名は伏せておくのが得策だろうとママは考えていた。知らぬが花、常に危険と隣合わせのミエルは余計なことは知らないでいる方がよい。それが彼を護ることになるのだ。
すっかり会話が途切れて静まり返ったオフィスの中、手持ち無沙汰なミエルは小さなコンパクトミラーを片手にメイクのチェックをするのだった。
「よお、みんな揃ってるな」
ノックの音に続いて能天気とも言える声とともにオフィスに顔を出したのは高英夫だった。ママはデスクに座ったままで挨拶を返す。
「高先生、ご苦労さまでした。これであの大門を追い詰める醜聞は揃ったことだし、あとの事務的な諸々はこちらにまかせて先生はほとぼりが冷めるまでしばらく温泉にでも浸かってきたらどうかしら」
すると高英夫はリーゼントの後ろ髪を掻きながらバツが悪そうに切り出した。
「実は……このミッション、俺はもう少し続けたいんだ」
「それはどういうことかしら、私だけでなくミエルちゃんとショーコちゃんにもわかるように説明して頂戴な。でも事と次第によっては考えさせてもらうけどね。だってこれ以上子どもたちを危ない目に合わせるわけにはいかないし」
最後の方は笑みが消えて真顔となったママの前で高英男は頭を下げて続けた。
「ママ、頼んます、もう少しやらせてください」
「だからお詫びなんかじゃなくて理由を説明しなさいな」
「この間の映像には殺人現場も山鯨の横暴も記録されてる。だけどそれらは断片的な証拠に過ぎない。それに……」
「それに、どうしたの。続けなさいな」
高英男はミエルの顔をちらりと見るとすぐにママへと向き直った。
「山鯨のあれだってそうさ。カメラはミエル君の視点だ、だから肝心なミエル君本人は映ってない。未成年の男子に女装をさせた上でいたぶるなんざ格好のネタなのにあれじゃあ説得力に欠けるんだよ。もっとわかりやすくて刺激的な決定的瞬間が欲しいんだよ、俺は」
彼が言うことにも一理あるとは言え、これ以上ミエルに囮を演じさせるのは危険が過ぎる。とは言え今回のデータを見せたならば、もしかすると伊集院側が何か行動を起こすかも知れない。そうなれば大門啓介もまた動き出すだろう。
瞬時にそう考えたママは高英男とミエルに微笑みかけながら言った。
「いいわ。もうしばらくミエルちゃんを貸してあげる」
「よし、決まった。ミエル君、もう少しだけつき合ってもらうぜ。俺たちのミッションはまだ続くってことで、ヨロシク!」




