第30話 いきなり!潜入捜査
「ミエル君、今の見たか?」
小声ながらも慌てた様子で高英夫がミエルに問いかけた。山鯨氏の映像を少しでも長く撮ろうとルーレットテーブルに集中していたミエルはカメラのアングルに注意しながら彼の問いに応えた。
「何かあったんですか?」
「ああ、たった今な」
高英夫もまた小声でしかも簡潔に説明した。今さっき眼下で繰り広げられていた黒服と闖入者との口論、そしてその珍客たちがどこかへ連れ去られて行ったことを。
「そう言えば山鯨氏に張り付いてた高峰さんが途中でいなくなったんですが、もしかしてそれが関係してたんでしょうか」
「ああ、ビンゴだ。さすが番頭格、トラブル対応は素早かったぜ。それにしても匂うよなぁ」
ルーレットに興じる山鯨氏を収めようとカメラを向け続けるミエルの隣で高英夫は腕時計に目を落とす。次のステージまでにはまだ幾分時間があるようだ。
「よし、ちょっと探りを入れてみるか」
「高さん、それってもしかして……」
「捕まった二人を探すのさ、控室に戻るフリをしてな。もし連中の行く末でも撮れたならば儲けものだろ」
「でもここってダイモンの本拠地、もし見つかったりしたらピンチどころじゃないですよ」
「そこはうまくやるさ、俺と君とでな」
高英夫はやけに自信たっぷりにそう言うとミエルの腕を掴んで控室のあるバックヤードへと急いだ。
一方、ビルの外では晶子がミエルのカメラとマイクから送られて来る映像と音声をモニタリングしていた。実は彼女もつい今しがた黒塗りの大型車が建物のパーキングへと入っていくのを目撃していたのだ。それと同時にビルの外にも二台の黒いミニバンが停車するところも。その大型車こそが山鯨一直を乗せた車だったのだ。
「そっか、さっきの車ってこのおじさんを乗せてたんだ。確かにテレビで見たことがあるし、この人」
しかしギャラリーから見下ろしているその映像ではかろうじて山鯨氏らしきことはうかがえるもののやはり証拠としてはあまりにも被写体が小さすぎる、もう少し大きな画が欲しい。晶子はファブレットの右上に小さく表示されている時刻を確認する。
「まだあと一時間もあるのかぁ……ミエルたちのステージが始まればこの人も見に来るかも知れない、ううん、絶対に見に来るはず。あ――もうじれったいなぁ、さっさとステージ始めるし、馬鹿ミエル」
するとそのときだった、映る映像に変化が起きる。どうやら二人が控室へと急いでいるらしい、画面にはミエルの前を行く高英夫の後姿が映し出されていた。そこはカジノのバックヤード、味気ない内装の事務所そのものだった。ところが彼らは控室へは行かずにそのドアを通り過ぎて奥に続く廊下へと進んでいく。
「ちょっと、何やってんのよ、あの子たち」
そう言えば高先生が「探ってみる」なんて言ってたし。ってことは、マジで潜入捜査してるの?
なんて馬鹿なことをしているのだ。ここはまさにダイモンの牙城、見つかろうものならタダですむわけがない。もし彼らに何かあったら晶子はすぐママに報告しなければならないのだ、一刻も早くに。予想外の彼らの行動に晶子は画面の映像から目が離せなくなってしまった。
画面の中では高英夫がドアノブに手を掛けていた。施錠されていると見るやすぐに次のドアへ。そんなことを繰り返した結果、ついにあきらめたのだろう、二人は控室へと戻って行く。しかしまだあきらめてはいなかった。高英夫がドアを少しだけ開けてその隙間から様子をうかがい始めた。そしてついに彼がおいでおいでとミエルを手招きする姿が映る。呼ばれるままにドアに近づく映像、そしてミエルもまた隙間から顔を覗かせて撮ったのだろう、そこには数部屋先のドアを後にする数人の男たちが映っていた。最後にはあの高峰勇次も部屋から出てきた。黒いスーツに身を包んだ男たちは勇次を先頭にしてカジノへと続く廊下の向こうへと消えていった。
いよいよ高英夫とミエルが廊下に出る。相変わらず先を歩く高英夫の背中が画面に映っている。そして男たちが後にした部屋の前で高英夫がドアノブを回してみるもやはりそれは施錠されていた。そのときミエルの声が割り込んで来た。
「高さん、ボクにまかせてください」
あの子、まさかここでピッキングなんて、その度胸ってどこから来るし。てか今ここで見つかったらマジでピンチだし、ヤバいっしょ。
しかし今の晶子はそんな彼らを映像を通して見守るしかなかった。
「こんなこともあろうかと、控室からボクの七つ道具を持って来たんです」
「何が、こんなこともよ、馬鹿ミエル。余裕こいてる場合じゃないし」
ひとりで画面にツッコミを入れる晶子だったが、画面の中ではミエルがバニースーツの胸元から二本の針金のような工具を取り出すやいなやそれを器用に使ってあっさりと開錠していた。
「お――、すげぇ。ミエル君、なかなか使える男、いや、娘だなぁ」
感嘆の声とともにまずは高英夫が部屋に入る、その後ろを行くミエル。高英夫が照明のスイッチを入れたのだろう、画面にはミエルたちの控室とほぼ同じレイアウトの部屋が映し出された。真ん中には長テーブルと事務用チェアが、壁際には衣装ロッカーが並んでいる。
映像は一台のロッカーに近づいていく。ミエル自身がロッカーをチェックしているのだろう、画面には扉が開いた空のロッカーが映っていた。続いて二台目のドアを開ける。するとホスト然とした男の姿が晶子の目に飛び込んで来た、その胸元が真っ赤に血塗られた姿が。
「ひえっ!」
思わず声を上げてしまった晶子、深夜の歌舞伎町を歩く人々が何事かと彼女に目を向ける。今の彼女は黒いパンツスーツに黒いシャツとシルバーグレーの細身のネクタイ、その上女子であることをカムフラージュするためにハンチング帽を被っているのだ、そんな姿からいかにも女の子な甲高い声が上がったのだから注目されるのも無理はない。晶子はそそくさと場所を移動すると歩道に背を向けて再びファブレットに目を落とした。そこには二人目の遺体が、先の一人目と同じく喉笛を刃物でパックリと割られていた。
「ヤバいな、この死体を片付けるために連中すぐに戻って来るだろう。ミエル君、今回はここまでだ。さっさと戻ってステージの準備を始めよう」
「はい」
死体を前にしながらも二人の会話はやけに落ち着いて聞こえた。やはりミエルはそれなりに場数を踏んできているのだろう、晶子は画面と音声をチェックしながらそんなミエルがどうか敵に見つからないようにと、ひたすら祈り続けた。
高峰勇次の姿とロッカーに隠された二つの死体、この映像はリアルタイムでママの下へと転送されている。そして二五時になれば高英夫とミエルのステージも始まる。しかし今夜はいつもとわけが違う、あの山鯨氏が来ているのだ。もし彼がミエルに興味を示して近づいて来たならば、そしてそこに大門啓介が現れたならば、そんなツーショットこそが十分過ぎる証拠になるのだ。そんな期待を抱きつつ晶子は固唾を飲みながら真夜中の歌舞伎町の片隅で小さな画面を見続けるのだった。
「えっ、ちょっと、ちょっと、何やってるし、あの馬鹿ミエル!」
再び思わず声を上げてしまう晶子、画面の中では控室へと殺風景な廊下を急ぐ光景が映し出されている。しかし彼女だけが気付いていた、二人がさっき出た部屋のカギを開錠したままだったことを。




