第29話 ブルドーザーの一直線
ずんぐりむっくり、そんな言葉がピッタリの風貌だった。お忍びで遊びに来たというその日は金庫番らしき秘書を一人連れただけ、そんな彼がやって来るや否やその場を仕切る高峰勇次は腕っこきの手下二人を伴ってすかさず護衛に就いたのだった。
男の名は山鯨一直、閣僚に名は連ねていないものの、しかし政権与党内での影響力は他のどの議員よりも大きかった。今日もビルの外には何台もの車を待たせていてそこには用心棒を兼ねた連中が彼の帰りを待っているのだろうが、しかし丸腰でこんなところにやってきたのはまさに大門啓介への信頼の表れだと言うことが見て取れた。
勇次が先頭に立って山鯨氏をルーレットのテーブルへとエスコートする。そこでは既に何人かの客がゲームを楽しんでいたが、その一角に山と積まれたチップとともに彼のための席が用意されていた。
山鯨氏は先客たちに目配せをするとすぐ脇で若い女性を伴ってゲームに興じる青年に声をかけた。
「ダメだな、君は」
突然のダメ出しに青年は訝し気な目を向ける。しかし山鯨氏は笑みを崩すことなく手元のチップのひと山を彼の方に押しやって言った。
「これで勝負するといい」
「え、これって……え、いいんですか?」
「青年、こういうのはな、ディーラーとの真剣勝負なんだよ。こちら側がヤツにできる唯一の策ってのがこのチップさ。こいつをドカンと張ってやればそれだけで圧力になるのさ、ワッハハハ」
青年は唖然としながらも目の前に置かれたチップの山を三等分してそれぞれを三つのストリートにベットした。
「よしよし、それでいい。これでヤツはあんたが張った九つの数字は避けなきゃならねぇ、十分なプレッシャーだろ」
そして山鯨氏もチップのひと山を自分の誕生日である五月四日の四と五を含むストリートに、もうひと山を青年が賭けたストリートのうちのひとつに置いた。
ディーラーがボールを投げる。優秀なディーラーはそれを思いのままに操ることができると言われる。案の定、ボールは青年が賭けたストリートの数字のひとつに落ちた。
「うわ、マジか、当たっちゃったよ」
同伴の女性と手を取り合って喜ぶ青年、その姿を目にした山鯨氏も懐から愛用の扇子を取り出すとそれで顔をあおぎながら一緒になって喜んだ。配当は一二倍、そのひと勝負で青年が手にしたチップは百二十枚、すなわち百二十万円だった。興奮冷めやらぬまま受け取ったチップから山鯨氏に提供された分を返そうとする青年に山鯨氏は豪快に笑いながら言った。
「よっしゃ、よっしゃ、楽しいだろ、青年。それは君に進呈したものだ、返さずともよい。それより今夜はそこの別嬪な彼女さんに何かおいしいものを食べさせてあげなさい」
「は、はい。ありがとうございました!」
青年は連れている女性とともにその場で姿勢を正すと山鯨氏に深々と頭を下げた。するとすぐに黒服の男がやってきてチップとともに彼らをキャッシャーへとエスコートしていった。
「ありがとうな、手間をかけさせたね」
山鯨氏は去っていく彼らを見送るとディーラーに向き直って自分の勝ち分からひと掴みのチップを彼の下へと寄こした。ディーラーは無言で小さく会釈すると、粛々と次のゲームの準備を始める。山鯨氏は額の汗を拭くと、全てに満足したように声を上げた。
「よっしゃ、ここからは俺とあんたとの真剣勝負だ!」
吹き抜けを通してカジノを一望できるギャラリーの手すりからミエルと高英夫はルーレットに興じる男を見下ろしていた。
「それにしても『ブルドーザーの一直線』とはよく言ったもんだ。今の見たか、座っていきなり十二倍だ、それも見ず知らずの若造にチップのプレゼントなんておまけまで付けてな。噂通り、勢いのみの野郎だぜ」
呆れた顔でそう言う高英夫の隣ではミエルがその姿をなるべくうまく捉えようと身を乗り出して覗き込んでいた。
「おいおい、ミエル君、出過ぎだ、出過ぎ。それよりもそのうさぎのカチューシャを下階に落とさないよう気を付けてくれよ」
高英夫はミエルの肩を引き寄せながら金髪ツインテールのウィッグとうさぎのカチューシャの様子を確認しながら問いかけた。
「ところでミエル君、なんだってこんな場所で見張ってるんだ、向こうにいい感じのラウンジがあるじゃねぇか」
「いえ、あそこだと他のお客もいるのでバニーのかっこは目立つんじゃないかな、って」
ミエルはそう言ってごまかしたが、その本心はバーテンダーに扮した楊蘭華こと悠然を警戒してのことだった。彼女は高峰勇次と通じている、とにかく山鯨と大門啓介が接見する姿が撮れるまではあそこには近づかないのが得策なのだ。ミエルはそう考えていた。
派手な掛け方に腰が引けた他の客たちはひとり、またひとりとルーレットテーブルを後にしてゆき、ついにはディーラーと山鯨氏との一騎打ちの様相を呈していた。その様子を見守るギャラリーたち、勝負は一進一退だった。
するとそのとき、エントランスのあたりから何やら声が上がった。どうやら訪れた客と黒服が口論を始めたようだ。
「先生、失礼します」
山鯨氏にそう耳打ちすると高峰勇次は急いで騒ぎの下に駆け付ける。するとそこではホスト風の若者二人と黒服が押し問答を繰り広げていた。
「おい、何を騒いでる。他のお客様もいらっしゃるんだぞ」
「だ、代行、すみません。こいつらが他の客に混じってエレベーターに乗って来たみたいで」
勇次は小さく舌打ちすると二人の若者に丁寧な説明を始めた。
「申し訳ございません、初めての方は会員様のご同伴か紹介状が必要になります」
「あ――っ? そんなもんあるわけだいだろ。そうだ、今の客、俺らと一緒だった客がいただろ、あれの紹介ってことで通してくれよ」
「お客様、ご無理を言わんでください。見たところあんたもこの街の者だ、ならばわかるだろ、道理ってものを」
「チッ、わかったよ。出ていきゃいいんだろ。おい行こうぜ、せっかくだから警察にも寄ってくか」
「お客様……」
「だからさ、ここでカジノやってることをチクってやるって言ってんの」
高峰勇次の顔が曇る。そして横に待機する黒服に命じた。
「お二人を事務所にご案内してください」
「お、おい、待てよ。何だよ事務所って」
「ご心配には及びません、せっかくですので会員登録をしていただこうかと。これも何かのご縁、特別にということでいかがでしょう」
勇次は黒服にバックヤードへ彼らを案内するように命じる。すると即座に勇次の手下二人も同行して彼らはエントランスの外へと消えていった。




