第27話 アンダー・プレッシャー
ダイモンエステートビルの十一階、静まり返った会議室に大門啓介と高峰勇次はいた。窓の外から届く歌舞伎町の街明かりが間接照明さながらにこの部屋を柔らかい光で包み込んでいた。
「勇次、例の縛り屋はどんな具合だ?」
いつもとは違う素の口調で大門啓介は勇次に問いかける。勇次もまた幼馴染に対するようにくだけた態度で答えた。
「最初はそうでもなかったけど今では連中を目当てにやってくる客もいるよ。だけどあのミエルとか言うチビッ子バニーも大したタマですよ、ヤツの喘ぎ声なんざ、まるでここが場末のストリップ小屋じゃないかって気分にさせてくれます」
「違う、俺が聞いてるのはそんなことじゃない。高英夫、ヤツの動きだよ。死んだ亜梨砂はヤツの情婦だった、そんな男が自ら売り込みに来るなんて偶然であるわけがなかろう」
「啓ちゃん、そこまでわかってるのならどうして受け入れたんだ」
「権利書さ、それ以外に何がある? いいか勇次、芥野の親父が死んで、娘も死んで、なのにあの土地の権利書が出てこないんだ。ならばどこにある? 俺はあの縛り屋が握ってると読んでるんだ、なにしろ二人は内縁関係だったんだからな」
「でもあいつにとって啓ちゃんは憎い仇だろ、絶対にヤバいって」
「そんなことは百も承知だ。それでも権利書を手に入れなければならなないんだ。それがこのパズルの最後のワンピース、どんな手段を使ってでも完成させてみせる」
啓ちゃんは本気なんだ。勇次は大門啓介の覚悟と執念に返す言葉が出なかった。
「いずれヤツはこの俺に手を掛けて来るだろう。でもな、それこそ飛んで火にいる夏の虫、頃合いを見計らって返り討ちさ。そのときは勇次、またお前に仕事をしてもらう。俺にとってはお前だけが頼りなんだ」
「まかせてくれよ、啓ちゃん。どんなヤツが来たって俺の得物でイチコロさ。引地の連中と同じようにね」
勇次が不敵な笑みとともにジャケットを脱ぎ捨てるとその下から現れたのは背中のホルスターを吊る革製のベルトだった。勇次は手を後ろに回して腰のあたりに収められた得物を取り出す。彼が手にしたもの、それは直径三〇センチメートルほどのリング状の薄い円盤だった。
その正体は中国に伝わる暗器の一種、あまりにも習得が難しくそんなものを実践で使う者などいないと言われる代物だ。ほのかな光を反射させるその武器は外径も内径もともに研ぎ澄まされた刃になっていた。勇次は刃のついていない握りの部分を掴んで構えると見えない敵へのシャドウイングをして見せる。
その様子に安心を覚えた大門啓介は幼馴染との対話モードからいつもの冷静沈着なビジネスモードへと口調を切り替えた。
「高峰君、すべてあなたにお任せましたよ。少しでも不穏な動きを見せたならば自慢の得物の餌食にしてしまって構いません。ただしギリギリのところで生かしておくことを忘れずに。権利書を手に入れることが最重要課題なのですから」
意気揚々と腕前を披露していた勇次だったが、自分の言いたいことだけを言うとあっさり態度を豹変させる大門啓介に一瞬ではあるが寂しさを感じたものの勇次もまたいつものモードに頭を切り替えて得物を収めながらジャケットを羽織りなおす。そして「御意」の一言とともに一礼した。
「ところで高峰君、今週末の土曜日に山鯨先生が遊びにいらっしゃいます。このビルのセキュリティは万全ですから心配はしていませんが、それでも何かあったときのために注意だけは怠らないでください」
「承知しました」
「古いタイプの政治家かも知れませんが我々の計画には必要不可欠の人材です。念願のダイモンタワー建設、そしてカジノ誘致、我が計画のすべては彼の剛腕による賜物でもあるのです。くれぐれも粗相がないように、とにかくここの運営は高峰君、あなたに一任していますしそれなりの報酬も出しています。是非とも私の期待に応えてください」
高峰勇次は頭を垂れたまま大門啓介の話を聞いていたが、しかし本心では責任の重圧と相変わらずの汚れ仕事に辟易していた。
引地地区の計画が現実となるのはまだもう少し先の話ではある。大門啓介はそこに自らタワーと呼ぶ高層ビルを建て、そして山鯨を足掛かりにして政界進出も考え始めている。ならば自分はどうなるのだ。ダイモングループの用心棒を名乗ってはいるが決して表に出ることのない日陰者、これからも血に濡れた汚れ役を続けていくのか。それはいつまで、いつまでなのだ。
「高峰君、もう下がってください。そろそろ二回目のショーが始まる頃でしょう、持ち場に就いてしっかりと監視をお願いしますよ」
勇次は自分の中に芽生え始めているやるせなさを押し込めて再び一礼すると大門啓介の背中を一瞥して踵を返した。
ラウンジでは楊蘭華がシェイカーを振っていた。白く半透明の液体はダイキリ、今日はめずらしく二人の客がカジノを見下ろすテーブル席で甘口のカクテルを楽しんでいた。
ペントハウスから下りてきた勇次がいつものようにカウンターの一番端に座ると、彼が何も言わずとも蘭華はロックグラスにダブルのシングルモルトを用意した。
「どうしたね、勇次。少し疲れてるか?」
「いや、いつものことさ」
「話してみるといいね。楽になるよ」
ちょうどその時だった、次のステージに備えて喉を潤そうとミエルがラウンジにやって来た。空席を求めて入口に立ったとき壁の影から勇次と蘭華が小声で話すのが聞こえてきた。ミエルはカフスに仕込んだマイクがうまく音を拾うように腕の角度を気にしながら彼らの会話に耳を傾ける。丸出しの白い肩に程よい肉付きの太股には網タイツ、ここにいる誰よりも露出の多いバニーの衣装、そんな姿での盗聴だ、ラウンジを行き交う客の好奇に満ちた視線もまたミエルにとっては困ったプレッシャーだった。
「週末に大事な客が来るんだ。山鯨、山鯨一直ってんだ。与党の代議士なんだけど、知ってるか?」
「日本の政治のことはよく知らないけど、その名前は聞いたことがあるよ」
「その名の通り、前しか見えない猪野郎さ。建設族を束ねて集金力と剛腕で今の地位まで上り詰めた叩き上げでな、ついたあだ名がブルドーザーの一直線だそうだ」
そこまで話すと勇次はグラスの中身を一気に飲み干した。すかさず蘭華がお代わりを用意する。
「啓ちゃんは俺を信じてまかせてくれてるが、相手はあの山鯨だ、何か事が起きりゃ落とし前のひとつもつけなきゃならない。これでも俺なりにプレッシャーってもんを感じてるのさ」
「辛苦了、さあ、これを飲むといいね。少し気が楽になるよ」
蘭華はシングルモルトのグラスの脇に小さなカクテルグラスを並べた。それはハーブを浮かべたかなり強い蒸留酒だった。勇次は恐る恐るその香りを嗅ぐと、蘭華に言われるがままそれを一気に飲み干した。焼けるような熱さを喉に感じながらも感じる甘い余韻に不安も不満も洗い流される思いだった。
一方、壁の向こう側ではミエルが二人の会話を傍受していた。週末に代議士がやってくる。そのときにはきっと大門啓介もその場に現れるに違いない。よし、すぐに高さんにも知らせなきゃ。
ミエルはラウンジを後にすると喉の渇きも忘れて控室へと戻って行った。
「小兔女郎、しっかり録れたか。お前の素性も役目もウチはお見通し、しっかり働くがよいね」
すっかり気分がよくなっている高峰勇次を前にして楊蘭華こと悠然はグラスを磨きながら、その場を後にしたであろうミエルの気配と余韻を感じながら不敵な笑みを浮かべるのだった。




