第23話 マンゴーの木の下で
ダイモンエステートビル、各フロアーはおよそ三〇〇平米の床面積を有しその九階と一〇階では大門啓介率いる一派により闇カジノが開帳されていた。表の顔は現在急成長中の不動産デベロッパー、そしてこのカジノを始めとする汚れ仕事の一切合切を仕切っているのが裏の顔である番頭格の高峰勇次だった。大柄で武闘派の勇次がなぜ大門啓介に忠誠を尽くしているのか、その理由は彼らの出自にあった。
大門啓介に高峰勇次、その二人が妹のようにかわいがっていた芥野亜梨砂、それにもうひとり、現在は伊集院家の運転手として送り込まれている、彼らの中では最年少の白井吾郎なる青年の四人はともにあの引地地区の出身だった。小学校に通う頃から「引地の子」として差別や不利を被って来た彼ら、中でも最年長で兄のように慕われていた大門啓介の世間への反発心はかなりのものだった。
「オレが全部を変えてやる。いずれこの引地をどこにも負けない街にしてやるんだ。そのときはお前たちにもいい目を見せてやるから、絶対に。だからオレについて来い」
つらい目に合うたびそう言っていた大門啓介だったが彼が高校に上がった頃に転機が訪れる。飲む、打つ、買うに目がない父親、彼はまんまと賭博に嵌り、まさに身ぐるみ剥がされてしまうのだった。それからは酒浸りの日々、絶望して失踪してしまった母親にアル中の父親、ついに大門啓介は高校生としての夏休みを迎えることなく退学を余儀なくされる。父親が死んだのだ。
それからの彼は荒れた。当時はまだ中学生だったが飛びぬけて体格のよかった高峰勇次は我流で格闘技を習得して用心棒を自称し、まだ小学生だった白井吾郎も彼らについて回っていた。
やがて大門啓介はひとりのアウトローに拾われる。彼が兄貴と呼ぶ男はどこの組織に属するわけでもなくとにかく汚れ仕事を請け負うことを生業としていた。特に得意としていたのは地上げに絡む嫌がらせだった。大門啓介は男の下でそのやり口を身につけていく。気がつけば二〇歳そこそこの彼の下にもやんちゃな仲間が集まり始め、ついにはひとつの勢力となっていった。
土地に絡むシノギを続けながら食い詰めた業者や追い込まれた士業の連中を囲い込んでいつしかいっぱしの不動産業者となっていた大門啓介は兄貴の下を離れてひとり立ちする、もちろん高峰勇次と白井吾郎を引き連れて。表の顔と裏の顔をバランスよく使い分けることで大門不動産は急成長、ついには歌舞伎町のビルを手中に収めると同時に社名をダイモンエステートと改称して現在に至るのだった。
九階から一〇階への吹き抜けからカジノ全体を見下ろすようにラウンジの席が設けられている。下階のカジノ同様、このフロアにもヤシとマンゴーの木がトロピカルな雰囲気を醸し出していた。十分に手入れがされて枝葉を伸ばすマンゴーの木を横目に高峰勇次はひとりバーカウンターでグラスを傾けていた。
「なんだかんだであっという間の一〇年か。長いような短いような……だが啓ちゃんにとって大事なのはこれから、何しろあの人はこれから本格的に政財界に打って出ようとしてるんだからな。ま、俺も精々頑張らないとだ」
ひとりでもの思いに耽る彼にバーテンダーが声をかける。
「高峰代行さん、考え事してますか?」
勇次が顔を上げるとそこに立っていたのは笑みを浮かべながらグラスを磨く女性だった。白いシャツに黒いベストと蝶ネクタイの姿は典型的なバーテンダーのそれだった。艶のある黒髪を左右でお団子にしているなんて今どきめずらしいなと勇次はそのとき思った。じっと見つめる彼の心の内を察したのか女性は自分の髪型について語り始めた。
「ウチは中国生まれ、日本人は中国娘と聞くとこんな髪型を想像しますね。だからそうしてみたよ。これは面白半分みたいなもの、明白了吗?」
「なるほどな。ところでなぜ俺の名を知ってるんだ?」
「ここで働くことになったときに厳しく言われたよ、高峰代行は偉い人」
「いや、偉いのは俺じゃなくて啓ちゃん、いや、大門会長だ。俺はその名の通り代行を務めさせてもらってるだけさ」
勇次はグラスに残った酒を飲み干すと催促するようにそれを彼女の前に置いて言った。
「それにしても初めて見る顔だな、あんたの名は?」
「その前に、お代わりは同じものでよいか?」
「あ、ああ」
彼女はシングルモルトウイスキーのボトルを手に取るとそれをグラスに注ぎながら答えた。
「楊蘭華と言います、中国語読みではヤン・ランホアね。新宿ではいくつかのお店でバーテンをやったよ」
「で、生まれはどこだ?」
「上海ね。浦東にある新興の街でお店をやってましたけど客層が悪くてよろしくなかったよ。それで親戚を頼って日本に来ましたね」
「ふ――ん、上海からねぇ……侬饭吃过哦?」
「吃过了……おう、いきなり上海語、ちょっと驚いたよ」
彼は彼女を試したのだ。なにしろ初対面、なのに相手は自分の名を知っているのは油断ならない。彼女の言葉に嘘はないか、それを確かめるため勇次は中国語ではなく上海語で問いかけてみたのだった。しかし彼の仕掛けに彼女は即座に返して来た。とりあえず上海から来たというのは嘘ではなさそうだ。
勇次はシングルモルトが甘く香るグラスを傾けながら彼女に言った。
「試すような真似してすまなかったな。とにかくここには大事なお客さんもやって来る、新顔には注意深くなっちまうんだ。だから君も常に気を引き締めて臨んでくれ。それと君のことは……」
「蘭華でいいね」
「そうか、では蘭華、あいさつ代わりに乾杯だ」
勇次にしてはめずらしく肩の力を抜いての会話を交わした理由は他でもない、彼は蘭華にひと目惚れしてしまったのだった。
カジノに用意されたステージでは高英夫とミエルがショーの設営を進めていた。この空間には不釣り合いでやけに浮いて見える単管パイプで組んだ櫓に革の手錠やバラ鞭をこれ見よがしにディスプレイする。続いて高英夫は道具一式が入ったバッグの中からカギ状のフックがついた荒縄と滑車を取り出した。
「ミエル君、ここではこいつを使うつもりだ」
それらを目にしたミエルは瞬時に理解した、なるほどあれを使って自分を逆さ吊りにするのだな、と。
「でも高さん、大丈夫なんですか、その、重量制限とか」
「心配要らないさ、このフックも滑車も大人二人ぐらいなら十分耐えられる。実は前に演ったことがあるんだ、亜梨砂と踊り子の二人を相手に。あれは場末の温泉街だったけどな」
とにかくここではこの人を信頼して身をまかせるしかないのだ。それでショーを盛り上げる、それが今の自分のミッションなんだ。ミエルは自分自身にそう言い聞かせた。
こうして準備を整えた二人は手持ち無沙汰を装ってカジノの中を見て回った。ルーレットやカードゲームのテーブルからもステージが見渡せるような配置になっているが、しかしそれぞれのコーナーが覗き見されることがないように観葉植物が配置されている。高英夫はマンゴーの木に興味を示した。実がならないように手入れしているらしいその木こそが通信ブースターを隠すのにうってつけだった。なにしろヤシの木にくらべて十分に葉が茂っているのだ、彼は革ジャンのポケットから小さな黒い秘密兵器を取り出すとそれをマンゴーの葉陰に仕込んだ。
「何をやってるんだあいつは。マンゴーの実でも探してるのか、バカ者が。あれは植木屋が手入れしてるんだ、実なんかなるわけがないんだ」
ラウンジの手すりから下階のカジノフロアーをうろつく高英夫を見下ろしながら高峰勇次はグラス片手にほくそ笑んだ。




