第19話 ミエルを俺に貸してくれ
不義理の代償、そう言われてしまっては高英夫に返す言葉はなかった。しかしそれはママの狡猾なかけ引き、彼が持つダイモンとの関係をうまく利用してやろうと考えてのブラフでもあった。一方、彼にとっても理由はどうあれママからの協力が得られることはまさに渡りに舟な話だった。高英夫は再び姿勢を正すと真摯な顔でママに言った。
「ママ、不義理ついでに俺の話を聞いてください」
「いいわ、話だけなら聞いてあげる」
すると恭平までもがイスを手にして興味津々な顔でテーブルに着いた。ミエルも晶子も飲み干したカップにコーヒーのお代わりを注ぐことも忘れて高英夫の話に聞き入った。
「実はあの日、相庵警部と亜梨砂のことで話をしたんです。そのときに聞かされたんですが彼女の両親も亡くなってたんです、それもあの前日に」
「ちょっと、ちょっと、なにやらキナ臭い話になってきたわね」
そう言ってママが身を乗り出してくると、話が長くなりそうだと察した恭平がポットを手にしてその場にいる全員のカップにコーヒーを注いだ。
「睡眠薬を飲んでの練炭自殺、夫婦揃って車の中で死んでたそうで」
「でもあそこには占有屋の連中がたむろしてたんじゃないかしら、うちの子たちが連中に脅かされかけたことがあったし」
「ちょっと待ってくれ、ママ、そんな話は初耳だぜ」
ママは誤解がないように順を追って事の経緯を説明した。引地地区で地上げの話が進んでいること、それをネタに儲け話のおこぼれにあずかれないかと探りを入れていたこと、買収に難航していると噂になっている芥野家の様子をミエルと晶子に見に行かせたこと、そしてそこで占有屋に脅かされたことなどなど。
「なるほど、そういうことでしたか」
ママの話に納得した高英夫は自分の話を続けた。彼女の両親が亡くなったとされる日の前日、彼女の父親が電話を寄こしたと言う。そしてその翌日、すなわち亜梨砂が自らの命を絶ったあの日に彼女宛に小さな荷物が届いた。その中身は何だったのか、互いに不干渉を心がけていた彼は余計な詮索などしなかった。細かいことは気にしない、とにかくショーの演技が滞りなくできればそれでよいのだ、そのときの彼はそう考えていた。
しかしあのときカッコなんぞつけずに彼女の様子をうかがっていれば事態は変わっていたかも知れない。失ってみて初めて亜梨砂が自分にとってかけがえのない存在だったことに気付いたのだった。
「それで警部に言われて俺もその荷物の中身を確認したんです」
高英夫は足元に置いた黒革のショルダーから小さな箱を取り出した。それはA4サイズほどで厚みが数センチの書類箱だった。中に入っていたのは土地の権利書に委任状と印鑑証明が数通ずつ、それに実印が収められた小さな巾着袋だった。それらに加えてこれまた小さな茶封筒が同梱されていた。
彼はその封筒を開けて中身をママに見せた。
「これは……遺書、かしら?」
「ええ、おそらく。そこに事の真相が書かれてます、地上げの実態と大門の野郎に乗せられてあの街に暮らす仲間たちまで巻き込んでしまった贖罪の言葉が」
手紙の内容、それこそママのみならず伊集院会長も求めている大門啓介による悪辣な所業の実態だった。彼は狙った相手を女やギャンブルで陥れては負債を追わせてそのカタに土地の権利を奪取していたのだった。
芥野氏は部類のギャンブル好き、親の代から引き継いだ土地と商売で何不自由なく暮らしていた彼は夜な夜な仲間内で賭け麻雀に興じる日々を送っていた。そこに声をかけてきたのが今ではダイモングループの番頭格である高峰勇次だった。勇次は言葉巧みに芥野氏を闇カジノへと誘い出すが、いささか小心者な芥野氏は麻雀仲間にも声をかける。しかしそれはまさに一派の思うツボだった。おかげで芥野家の向こう三軒両隣まで奪取できるのだから。
案の定、引地地区の彼らは身ぐるみ剥がされることになる。最初は小さく勝たせておいて味をしめさせてその後は一気に仕留めるのだ。彼らは揃いも揃って土地建物の権利を奪われてしまう。やがて芥野氏自身も徐々に追い詰められてゆき、ついには娘にすべてを託して自らの命を絶ったのだった。
「そこでだ」
ひと通りの説明を終えた高英夫がなおも続ける。
「俺はヤツらにひと泡吹かせてやりたいんだ。まずは大門の所業、裏の顔ってのを白日の下に晒してやろうと思ってる、亜梨砂の弔い合戦の代わりにだ」
するとママは俄然興味を示して身を乗り出した。
「具体的にはどうするつもりなの?」
「ママはさっき不義理の代償としてダイモンにつなぎをつけろと言いました。でももう既に話をつけてあるんです」
「ちょっと、どういうこと?」
「潜入です。ヤツらのカジノに乗り込んであることないこと、とにかく暴露してやるんです」
「でも、そんな簡単にできるんですか、潜入なんて」
ママと高英夫の会話にミエルが思わず口を挟む。すると待ってましたとばかりに彼は不敵な笑みをミエルに向けた。
「そこで君の出番だ、ミエル少年」
「えっ、ボクが、ですか?」
「そう、君だよ、君にしかできないことだ」
高英夫はあたらめてママに向かって頭を下げた。
「ママ、彼を、ミエルを俺に貸してください」
「う――ん、それはあなたがどんな絵を描いてるかによるわね、うちの子に危ないマネはさせられないし」
「カジノで緊縛ショーをやる算段をつけました。大門のところで番頭をやってる高峰ってのに顔をつないでもらったらあっさりでしたよ。とにかく入りこんでしまえばあとはどうにでもなります」
「なるほど、それはなかなかの名案ね。こっちの手間も省けるし……その話、乗ったわ、ミエルちゃんもいいわね」
いいわねも何も、ミエルに拒否権などないのだ。こうして彼はまたもや潜入、それもダイモングループ率いる闇カジノへの潜入という超がつくほど危険な仕事に巻き込まれるのだった。




