第13話 次のターゲットはお前さんだ
相庵警部と高英夫は東新宿署の安置室にいた。オゾン臭が漂う部屋の真ん中で横たわる変わり果てた亜梨砂の姿、ステージで着けていた黒髪のウィッグはそこになく、彼女本来の髪である赤茶色のショートボブヘアが血に濡れていた。白い肌はより白く、黒いボンテージ衣装と髪に残る赤黒い血糊のコントラストはステージのそれ以上に印象的だった。
警部はすぐに彼女の遺体を白布で覆うと、待機する鑑識員に命じる。
「例の仏さんも頼む」
すると三人の鑑識員が二台のストレッチャーを押して来た。そこでは中年の夫婦らしき男女の遺体が眠っていた。
「お前さん、この二人に見覚えは?」
「ありません……けど、この状況でオレに見せるってことは……」
「お察しの通りこの女の親、芥野夫婦だ」
高英夫の目の前に横たわる二人に外傷は見られなかった。それにまるで眠っているかのように安らかな顔をしている。彼は恐る恐る警部に問いかけた。
「もしかしてこの二人も自殺ですか?」
「おそらくな。車ん中に七輪と練炭があったよ」
相庵警部が合図をすると鑑識員は二つの遺体も布で覆って元の安置場所へとそれを戻した。
「発見されたのは昨日の未明、新聞配達の青年が見つけたそうだ。すぐに鑑識が向かったんだが部屋は荒れ放題、どうやら何かを物色したような痕跡があってな、とりあえず事件として扱うことになったよ」
警部は高英夫を署内の休憩室に連れて行くと、自ら茶をいれて彼に振る舞った。高英夫は一礼すると熱い湯呑みを口に運ぶ。
「それにしてもあの引地地区で何が起きているんだか。実はな、芥野家だけじゃないんだ。ご近所さんも三人ばかり死んでる」
「マジですか?」
「ああ、マジだ」
「で、それも自殺ですか?」
高英夫の問いに警部は力なく首を横に振った。
「一人は首を縊ってな、で、あとの二人は……」
警部は自分の喉元とうなじに手刀のように手をあてながら答えた。
「一人は喉笛を、もう一人はうなじのあたりをスッパリだ。刃物が使われたのは間違いないんだが問題はそれが何かってことだ」
「ナイフじゃないんですか?」
「鑑識が言うには傷口に特徴があるって話だ。薄い円形の刃物で斬られたらしい。そんなものを使うヤツはただモノじゃない、おそらくプロだろう」
「それじゃ、地上げ、てか再開発絡みで殺しが起きてるってことですか」
「今はまだなんとも言えんが、おそらくな。なにしろこれで既に六人が死んでることになるんだ、尋常な話じゃないぜ」
湯呑に口をつけてのどを潤す警部に高英夫はなおも問いかける。
「でも警部さん、なんだって俺にそんな話をするんです?」
「そりゃ次に狙われるのがお前さんだからだよ。いいか、死んだ三人はいずれも芥野家の向こう三軒両隣の連中だ。おそらく土地の権利書から何から一切合切奪われてるだろう。ところが芥野家はどうだ、占有してた連中が家探ししても書類は見つからなかった。ならばそれがどこにあるかを調べるのが当然だろう」
「でも亜梨砂は……」
「そうだ、女は既に仏さんだ。そうなると次なるターゲットは内縁関係だったお前さんってことになる」
突然の話に高英夫も思わず息を呑む。そして相庵警部の取り調べとも言わんばかりの問いが続く。
「ところでお前さん、芥野亜梨砂のことはどのくらい知ってるんだ?」
「一人娘ってことと高校を中退してから仕事を転々としてたってことくらいです。最後はストリッパーの真似事をやってて、それをオレが拾ったんです」
「拾ったって、お前さん、たったそれだけの情報でよくもまあ三年も一緒に暮らしてるもんだなぁ」
「それは……ピンと来たってか、なんかそういうのがあったんですよ」
高英夫は相庵警部に亜梨砂との馴れ初めを話し始めた。彼の下には緊縛ショーを芸能界デビューのきっかけ作りにしようと売り込んでくる女性が何人もやってきた。そんな連中に彼の食指が動くことはなかったが、しかし亜梨砂だけは違っていた。まるで自暴自棄にも近い彼女の振る舞いに彼は危うい魅力を感じてしまったのだった。
そんな亜梨砂に場末のストリップ小屋よりも有利なギャラを提示したところ彼女は二つ返事で承諾した。そして彼女が彼の下に転がり込むようにして共同生活が始まった。しかし二人が肉体関係に及ぶことは決してなかった。極めてプラトニックな関係こそが固い信頼関係を築くことができるのだ。少なくとも高英夫はそう考えていた。
「なるほどな、事情はなんとなくわかった。だが今や芥野家の三人は揃って仏さんになっちまったんだ。そこでだ、お前さんがさっき店の楽屋で言いかけた話を聞かせてもらいたいんだ」
「ええ、いいですよ」
高英夫はイスに座りなおすと身を乗り出すようにして話し始めた。
新宿は富久町の古ぼけたマンションに暮らす二人の下に小さな荷物が届いたのは今日の昼過ぎのことだった。宛先は亜梨砂、差出人は彼女の父親だった。親とは縁を切ったも同然と言っていた亜梨砂だったが自分と暮らしていることを伝えていたのを彼はそのとき初めて知ったと言う。
厚み二、三センチほどのA4サイズの小さな箱はやけに軽かった。亜梨砂が箱を開けると中に入っていたのは何通かの書類と印鑑、それに小さな茶封筒が一つだった。
「それでその書類ってのが土地の権利書だったわけか」
「ええ、それに印鑑証明やら委任状やらと実印も入ってました」
「なるほど、それで茶封筒の中身っては何だったんだ?」
「知らないです。てかオレらはお互いに詮索や干渉はしないようにしてたもんで、それ以上は」
「おいおい、そこまで見てたのに肝心なところを知らないなんて、俺にはさっぱり理解できんな」
しかし相庵警部は彼の話を聞いてすぐに察した。茶封筒の中身はおそらく遺書であろう。そしてそこにはこれまでの経緯が綴られていたに違いない。
「それでその箱は今どこにあるんだ?」
「オレん家にあります。亜梨砂が本棚に置いたのを見ました」
警部はしばし腕組みをして考えると小さく頷いて席を立った。
「よし、これからお前さんのヤサに行くぞ。とにかく書類の確保だ。芥野氏が死んだことは既に知れてるだろうが娘が死んだことはまだ知られてないはずだ。ってことは連中が娘の身柄を押さえに来ると考えるのが自然だ」
「連中って誰です?」
「大門だよ。お前さんも名前くらいは聞いたことがあるだろう」
「ああ、不動産屋の」
「そんな生やさしいもんじゃねぇ、あれはひと皮剥けば立派な半グレ集団だ。その大門があの一帯の地上げを仕切ってる。あらかた買収は済んでるみたいだが芥野の土地だけが未だ手つかずらしい。だから狙われて当然、現におかしな占有屋が出入りしてたらしいしな」
思わぬ話の展開に高英夫は呆然とするばかりだった。そんな彼に警部がなおも畳みかける。
「いいか、書類を持ってることが知られたら次のターゲットはお前さんってことになる。とにかくほとぼりが冷めるまで当分どこかに身を潜めろ」
「わ、わかりました」
二人が休憩室を後にしようとしたちょうどそのときだった、ミエルと晶子を送り届けた警部の部下、小川が戻って来た。
「警部、ただいま戻りました」
敬礼する小川の労をねぎらいながら警部は再び命じる。
「帰って来て早々にすまんがもう一度車を出してくれ。今度は富久町、この男のヤサだ」
「ハッ、了解です」
小川は再び姿勢を正して敬礼する。こうして三人は深夜の東新宿署を後にして高英夫の部屋に向かうのだった。




