第12話 今日だけだからね
三回目のステージを終えて楽屋代わりのバックヤードに高英夫とミエルが戻って来たとき、そこでは東新宿署の相庵警部と部下の小川が神妙な面持ちで晶子に寄り添っていた。始終俯いたままの彼女を励ますように二人が声をかけている。
「いいかい、ショーコちゃん、とにかくお前さんが気に病む必要はないんだ」
「そうです明日葉さん、あなたは悪くありません」
それでも晶子はずっと下を向いたままだった。やけに小さく見えるその肩は今も微かに震えていた。そんな彼女に相庵警部がなおも励ますように言葉をかける。
「もし仮にお前さんが声をかけていたならばどうなっていたか。ややもすればその場でいきなり、なんてこともあり得たんだぜ。あの女が何を考えていたかは俺たちにもわからん。だがな、追い詰められた人間の行動なんて予測不能だ、無視を決め込んだあんたの判断は賢明だったってことさ」
すると晶子はようやっと顔を上げた、その目を涙で腫らしながら。
「よし、ようやっと顔を上げたな。そもそも顔も名前も知らない赤の他人の話だ、早いところ忘れて高校生らしく勉学に励むんだ」
晶子は涙をぬぐうと小さく頷いて応えた。その様子に安心した小川が高英夫とミエルに気付いて相庵警部に目配せする。屈めていた腰を伸ばしながら警部は二人に向き直った。高英夫は警部と目が合うなり姿勢を正して一礼する。
「ごぶさたしてます、相庵警部」
「おう、久しぶりだな。それにしてもこっちに戻って早々えらい話になってるじゃないか」
「まったく、マジでシャレになってないですよ」
「あの仏さんとお前は内縁関係みたいなもんだったよな。それがいきなり飛び降りだなんて、何か思い当たるフシはないのか」
「それが……」
高英夫はここ何日かのできごとについて話し始めた、一昨日に疎遠になっていた彼女の父親から電話があったこと、そして今日、二人の部屋に小さな荷物が届いたことを。荷物の宛先は今さっき飛び降りを図った芥野亜梨砂、差出人は彼女の父親だった。しかし高英夫はここで話を打ち切る。
「警部さん、細かいことは、その……」
「そうだな、子どもの前でする話でもないし……よし、とりあえず署まで来てもらおうか。話はそれからだ」
続いて警部は命令するような口調でミエルに言った。
「お前ら二人は車で送ってやる。今夜はこのまま帰るんだ、いいな」
「でも、ボクはまだしも晶子はこのあとママに書類を届けなきゃなんです」
「そんなもんは明日でいい、俺からママに言っておいてやる。さあ、お前もいつまでもそんなカッコしてないでさっさと着替えて支度しろ」
そして横に立つ小川に命じる。
「小川、こいつらの住処は知ってるよな?」
「はい!」
小川は姿勢を正して敬礼した。
シルバーグレーの覆面パトカーが新宿二丁目の裏手に建つ雑居ビルの前に停まった。助手席から降りた小川が後部座席のドアを開けてミエルと晶子をエスコートする。小川は呆れたため息とともにそのビルを見上げた。
ビルの一階と二階にはこの街ならではの飲食店が小さな看板を出している。三階にはミエルと晶子も通う護身術の道場が、四階には不夜城のごとく二十四時間休むことのない事務所が入居しており、そして彼らが暮らす部屋は五階にあった。
「それにしても高校生が独り暮らしするには問題ありありな環境だよなぁ」
小川はひとりそうつぶやくと、ミエルと晶子を送り出した。
「そうだ、ミエル君」
小川は階段を上がろうとするミエルを呼び止めた。
「今夜は明日葉さんをしっかりとフォローしてあげるんだ、いいね」
ミエルは力強く頷くと、最後に一礼して先を行く晶子を追うように階段を駆け上がって行った。
いつもは階段に文句ばかり言っている晶子だが今日は無言のままやけに早足で進んで行く。ミエルはそんな彼女を無駄に刺激することがないよう黙って後についた。五階に着いた先に伸びる廊下、最初のドアがミエルの部屋でその隣が晶子の部屋だ。彼女はズボンのポケットからキーホルダを取り出すと無言でカギを開ける。そしてミエルを振り返ることなくドアを閉めてしまった。
「小川さんの言うこともわかるけど、どうやってフォローすればいいんだよ。それに女の子の部屋に男のボクが入るわけにもいかないし……」
しかしミエルは周囲の大人たちが考えているほど心配はしていなかった。前の事件でも二人は射殺された遺体を見ているのだ。あのときだって晶子は翌日にはケロッとして学校に来ていたではないか。確かに今はまだ興奮冷めやらぬ状態かも知れない。でも彼女はきっと乗り越えるだろう。そして明日になったらいつものようにボクのことを弄るに違いない。
「きっと大丈夫」
ミエルは閉じたドアの前で小さく頷いたそのときだった、目の前のドアが開いてその隙間から晶子が顔を見せた。
「あんたもさっさとメイクを落としてくるし。準備できたらノックは三回」
それだけ言うと晶子は再びドアを閉める。後にはロックをかける軽い金属音が響いた。
ミエルはシャワーを浴びたものの、再びファンデーションのみの薄いメイクで晶子の部屋の前に立った。そしてノックを三回、すぐさまドアが開いて晶子が顔を見せる。彼女もさっきまでの男装からいつもの彼女に戻っていた。
「信じられない、またメイクしてるし」
「だって、これは……」
「はいはい、ママからの命令でしょ、いいから入るし」
ミエルは晶子の言うがまま部屋に足を踏み入れた。
「言っておくけど今日だけ、今日だけだからね。余計なことしたらこれだし」
晶子はスタンガンをミエルの顔の前に突きつける。しかしいつもと変わらぬそんな彼女の姿にミエルは少しばかり安心するのだった。




