第11話 風に舞うガウン
「いやはや、いやはや、高先生、それにミエルちゃん、おかげさまで大盛況だったよ」
「しかしまあ、オレもすっかり騙されてたよ。まさかお嬢さん、あんたが男だったとはなぁ」
「そ、そんな……でも、あれでよかったんでしょうか」
「うん、初めてにしては上出来、いや大成功だろうな。オレも次からはもう少し考えて縄を通してやるしな」
「ええ、まだやるんですか?」
「実はうちのパートナーの調子がイマイチでさ、できればあとワンステージお願いしたいんだ」
「僕からもお願いするよ。とにかくお客のウケがハンパなかったし、ほんと、頼むよミエルちゃん」
二人の大人から懇願されてミエルはまんざらではない様子だったが、そんな会話の一部始終を晶子は一歩離れて眺めていた。
そうだ、晶子が来てたんだ。体操着姿はまだしも緊縛ショーまで見られちゃったなんてピンチどころじゃない。我に返ったミエルのその顔は真っ赤に火照り始めた。恐る恐る入口に目を向けると、そこでは書類の入った封筒を抱えた晶子がやけに冷めた目でこちらを見ていた。
「あんたはこれからまたステージなんでしょ。あたしは書類をママに届けなきゃだからこのまま帰るし。変態女装M男男子はせいぜいお仕事に励めばいいし」
「な、なんだよ、そのM男男子って」
「縛られていい気持ちなんてまんまM男だし」
「これだって仕事なんだよ」
「はいはいわかりました、それじゃ頑張ってくださいだし」
「ちょっと待ってよ晶子」
「何がよ」
「M男男子って、男と男子がかぶってるじゃないか」
「そこ? 言い訳でもするかと思えばそこ? ほんとバカ。もうつき合ってらんないし、帰るし」
晶子がプイッとソッポを向いて踵を返すと黒服が慌てて声をかける。
「ちょっと待ってお嬢さん、このまま返したら僕がママから大目玉だよ。今タクシーを呼んであげるから、ミエルちゃんは車が来るまで付いててあげて」
「いいです、一人で大丈夫です。それにエレベーターは酔っ払いがいるから階段で帰るし」
そう言って晶子はスマートフォンを手にする黒服を横目にさっさと非常用の外階段へと出て行った。
鉄扉を開けるとそこには夜景が広がっているわけでもなく隣接する雑居ビルの無機質なコンクリート壁があるだけだった。やたらと風が強いのはビル風のせいだろう、晶子は思わず足を踏ん張った。
晶子の視界に白い影が映る。ふと足元に視線を移すと白いガウンを羽織った女性が手すりに寄りかかるようにしてうずくまっていた。きっとお店の女の子が飲み過ぎて気分でも悪くしたのだろう、そんなことを考えながら晶子は女性に声をかけることなく下階へと急いだ。
五階から四階そして三階へと下りたときだった。そこから二階へと続く階段は山と積まれた段ボール箱で埋まっていた。
「信じられない、通れないし。てか、もし火事になったらどうするかなぁ」
まさかまた五階まで戻るのか、冗談じゃない。晶子は三階の廊下に続く鉄扉を開けようとノブを回してみたがそこは施錠されていた。
「マジ、ムカつくし」
晶子はぶつくさと文句を言いながら再び五階へと階段を上がって行った。息を切らせながら到着するとさっきまでそこにいた白いガウンの女性の姿がなかった。この風で酔いも醒めてお店に戻ったのだろう、そんなことを思いつつ晶子は店のバックヤードに戻って行った。
「おっ、男装のお嬢さん、どうしたんだい。もしかして次のステージに挑戦する気になったかな?」
そう言って高英夫が茶化すも晶子は彼とミエルに無言で蔑んだ目を向けるのみだった。そんな晶子に黒服も声をかける。
「どうしたの戻って来ちゃって」
「どうもこうもないし、三階の段ボール箱、なんとかして欲しいし」
「ああ、あれか。この前も消防署から警告もらってるんだよね。今度僕からも言っておくよ」
「ところで店長さん、さっき階段のところに女の人がうずくまってて、気分が悪そうだったんだけど、戻ってきたらいなくなってて……」
すると高英夫が真剣な顔で聞き返してきた。
「女って、どんな格好だったんだ?」
「白いガウンで、その下まではわからなかったけど」
「亜梨砂だ。あいつそんなところにいたのか」
「でも今はもういないし」
「何?」
高英夫は慌てて立ち上がると入口に立つ晶子を押しのけて外階段へと急いだ。あまりにも尋常でないその様子に黒服とミエルも後を追う。何が何だかわからないまま晶子も三人の後を追った。
彼が鉄扉を開けてデッキに出ると強い風が吹いているのみでそこに人の姿はなかった。
「クソッ、あいつどこに行ったんだ」
イラつく高英夫に晶子が恐る恐る声をかける。
「下階じゃないと思います。あたしは下階から上がって来たし」
「ってことは上か」
高英夫が手すりから身を乗り出して上を見上げたその時だった、白い影がその場にいる全員の視界を上から下へと横切っていくのが見えた。まもなく乾いた衝撃音がビルの谷間にこだまする。
高英夫が落下した影を追うように身を乗り出して様子をうかがう。するとそこには黒い髪と白いガウンが、そしてはだけたガウンの一部が赤い血に染まっているのが見えた。
「あのバカ、なんてことを……」
すぐさまスマートフォンを取り出して通報する黒服、ミエルはその場に呆然と固まっている晶子の肩に手を添えて店のバックヤードへとエスコートした。
「あたしが……あたしがあのとき声をかけてれば……」
「違う、それは違う。晶子は全然悪くない。晶子は悪くない!」
今のミエルにはそう言うのが精一杯だった。晶子の肩が震えている。ミエルはひとまず落ち着かせるために彼女をイスに座らせると部屋のビジネスフォンからママが待つ事務所へと状況の報告をした。
黒服が戻って来てミエルに言う。
「僕は一階で待機する。すぐに救急と警察が来るし、さっき呼んだタクシーもキャンセルしなきゃだしね」
間もなくして高英夫も戻って来た。その顔面はまさに蒼白だった。黒服はこれからのことを考えて声を上げた。
「高先生、もうすぐステージの時間だけどキャンセルしよう。ミエルちゃん、リリィさんにそう伝えてくれるかな」
「いや、キャンセルはなしだ、ステージはやるぞ」
「しかし先生……」
「いや、やる。それがオレの仕事だからだ。ミエル君、もうワンステージ手伝ってくれるよな」
あまりにも真剣な高英夫の勢いに押されてミエルは首を縦に振るしかなかった。その横では晶子が目に涙を浮かべながら身体の震えを抑えんとひたすらに唇を噛みしめていた。




