2-5 本の迷宮
『味の楽園迷宮』を踏破してから数日間、私はメルギアナの街を観光しながら情報収集をしていた。
この街は、背の高さがまちまちな建物が所狭しと立ち並んでおり、さらにはその間を縫うように路地が通っている。その様相はさながら迷路のようで、歩いているだけで楽しい。大通り沿いは相変わらず人が多くて、地面を歩いてなどいられないけれど、路地ならば余裕を持って歩ける程度に道が空いている。
そんな路地で、私は居心地の良い場所を見つけてはそこでウトウトしたりとか、のんびり街並みを眺めたりとか…わりと自由気ままに過ごしていた。気分はすっかり野良猫である。まあ私には帰る家があるから野良ではないけれど。
それと路地では、所々で露店商が品物を広げており、それらの品々を見て回るのも楽しかった。
「(この街の露店には、紙が売っているのよね)」
メルギアナでは安価で紙が手に入る。というのも、魔物から紙が手に入る迷宮があるらしいのだ。
その名も、『本の迷宮』。空飛ぶ本が魔物として出てくるとのことで、その魔物を解体して紙を手に入れるようだ。
ということで、本日は『本の迷宮』に来てみました。なお目的は、本の魔物から手に入るという上質な紙です。今まで紙は《製作》スキルで木材から作成しており、藁半紙とまではいかないものの品質はそこそこだったので、本の魔物とやらには期待していますよ。
「ここが本の迷宮か……住めそうね」
『本の迷宮』の1階層は、ロココ調の優美なお屋敷、といった感じの内装をしていた。ちゃんと(?)猫足家具などの調度品も設置してある。ただし、どういう仕組みなのか調度品の類はその場から動かせないようだった。
そして、その辺をふよふよと浮いている豪華な装丁の本の魔物…『エビルブック 第1巻』。
「いや第1巻って。これ、何巻まであるの?」
あと、内容はどんな感じなんだろうか?紙が入手できるということは、白紙なんだろうけれど。
まあ良い、とりあえず狩ろう。《隠密》で姿を隠したまま、浮いている本に向かって攻撃を繰り出す。
「ふっ!」
《爪術》で斬撃を飛ばすと、エビルブックはスパッと上下真っ二つになって、そのままバサリと床に落ちた。それに近づいて表紙を捲り、中身を確認する。
「…やっぱり何も書いてないわね」
うん、予想通りだった。つまらない…それと当たり前だけど、倒し方を考えないと紙が綺麗な状態で手に入らない。迂闊。
「とはいえ、どうやって倒そうかしら…?」
いま思いついた方法は、背表紙を切り落として頁をバラバラにする、という方法なのだけど…そもそもあの魔物、どこを斬れば倒せるのかな?表紙?背表紙?
「んー…色々試してみましょうか」
まずは急所を探すところから。目に見える急所は、表紙の中央に埋め込まれている小さな魔石だ。先ほどは、上下真っ二つにしたので魔石も割れていた。なのでまずは、魔石を本体から切り離してみることにした。
「えいっ!」
《爪術》を駆使して、爪で魔石を抉り取る。するとエビルブックは力なく床に落ちて、沈黙した。成功…?
試しに《ストレージ》に入れようとすると入ったので、既に生きてはいないようだ。魔石=心臓みたいなものだからね…。
もうこの方法で良いような気もしているけれど、一応最初に思いついた方法…背表紙を切り落とす、というのも試してみた。
「それっ!」
結果、すんなりと倒せた。でも、倒せはしたけれど、紙が辺りに散らばってしまい回収するのが面倒だった。少し考えれば分かることだったわね…。
という訳で、エビルブックは"魔石を抉り取る"という方法で倒すことにした。倒した先から、本の状態のまま《ストレージ》へと放り込んでゆく。解体は後回しにしよう。
そうして、エビルブックを狩りながら迷宮内を降りてゆくこと、しばらくして。11階層へ降りた先、階段近くの安全地帯にて、私は手に入れたエビルブックを解体し始めた。
表紙と背表紙、裏表紙を外して、中の紙を綴じている紐を切ってゆく。なお本の厚さは5cmくらいで、大きさはA4サイズくらい、表紙等の素材は布っぽい触り心地だった。
そして今のところ、巻数は第1巻〜第10巻まである。どうやらフロアごとに巻数が決まっているらしい。巻の違いによって紙の質などが変わる訳でもないので、正直どうでもいいけれど。
「確か、この迷宮は50階層まであるのよね…紙と魔石以外に手に入るものもないし、最下層までは進まなくても良いかもしれないわね」
今の時点で倒したエビルブックは100冊以上あるので、もういいような気もしている。というか、解体作業が面倒すぎるので、10冊ほど解体したところで作業を切り上げた。あとは本のまま持っていよう…。
そういえば、『本の迷宮』の安全地帯は皆、ひとつの部屋になっているのだけど。ここ、11階層の入り口付近にある安全地帯の部屋は、寝室だった。階段を降りた先に寝室があるのはシュールだけど、それが迷宮の仕様なのだから気にしても仕方がない。
この部屋には真ん中に天蓋付きの立派なベッドが置いてあって、試しにその上に乗ってみるとかなりふわふわだった。
「これは……寝るしかないわね」
そう呟くと、身体を丸めて寝る体勢をとり、私は目を瞑ったのだった。
あとから知ったことだけど、『本の迷宮』の安全地帯は、宿無しな冒険者達の間では人気の場所なのだそうだ。けっこうな人数の冒険者が"迷宮泊"をしているらしい。迷宮泊…パーティごとに被ることなく出入りできる、迷宮ならではの概念である。
まあそれを知った時の私の感想は、「カプセルホテル迷宮…?」というものだったけれどね。
*
さて、『本の迷宮』に潜り始めてから、早いもので3日が経った。結局あのあと、私は迷宮を出ずに先に進むことを選んだ。というのも、迷宮の最下層にいるボスの姿や名前が気になったからだ。
そして、現在。私は最下層である50階層へとやって来ていた。階段を降りた先にある安全地帯を抜けて、ボス部屋へと足を踏み入れる。もちろん私は《隠密》で姿を隠した状態だ。
ボス部屋は、円筒型の図書室、といった感じの部屋だった。壁は全て背の高い本棚で埋められており、高めの天井には豪奢なシャンデリアがあちこちにぶら下がっている。
肝心のボスの姿はというとーーー
「(…大きい本、ね?)」
部屋の中央に、やたらと大きい本が1冊、落ちていた。いや本当に大きいわね?縦幅は2mくらいはありそうだし、厚さも50cmはありそうだ。装丁にはこれでもかというほどに金箔が使われていて、下地は焦げ茶色だけど表紙には色とりどりな絵が描かれていた。
《鑑定》結果は、『エビルブック 外伝』。外伝かあ…。
「(ともあれ、気づかれてはいないし…倒しちゃいましょうか)」
表紙の中心に埋め込まれている大きな魔石を、《爪術》でスパッとくり抜く。それで、ボスは動くことなく沈黙した。…いま思ったけれど、このエビルブック達ってどうやって攻撃してくるのかしら?まあ、あえて攻撃を受ける趣味はないので、今後も知らないままだろうけれど。
ボスに近づいて、まずは魔石を《ストレージ》へとしまう。それから、《爪術》によって長く尖らせた爪で、表紙や背表紙を本から切り離した。大きいから地味に大変ね…。
「この紙…ちょっと厚いわね?画用紙みたい」
紙を綴じている紐を切ったあと、バラバラになった紙を触ってそんな感想を抱く。とりあえずそれらの紙は全て《ストレージ》へとしまってから、私はボス部屋の奥にある部屋へと向かうことにした。
通常、こういう場所にはレアな素材とかがあったりするのだけど…うん?
「もしかしてアレ、インクかしら?こっちは絵の具?」
そこは、ひと言で言い表すなら『準備室』だった。壁際に並んだ棚には、インク壺や絵の具が入った瓶などが整然と並べられている。棚の下の方に引き出しがあったので、《人化》してから開けてみると、中には羽根ペンや絵筆、パレットなどの道具が入っていた。
「これ、持っていけるのかしら……あ、《ストレージ》に入ったわね」
引き出しの中身を全て回収してから、《飛翔》で宙に浮かびつつ、棚に並んだインク壺や絵の具達を回収してゆく。それにしても多いわね…インクだけで何種類あるのかな?絵の具はさらに多いし。
「気が向いたら、絵でも描いてみようかしら?私に絵心があるかは分からないけれど」
《人化》できるとはいえ、猫だしなあ…あまり期待しないでおこう。
「さて、と…そろそろ迷宮を出ましょうか」
素材(というか物資?)を回収したあと、私は部屋の片隅にあった『転移魔法陣』を起動させて、『本の迷宮』を出た。
「(時間は、お昼すぎってところね……お腹空いたわ)」
メルギアナには向かわずに、《転移ゲート》を開いて自宅に帰る。今日はまだ昼食を食べていなかったので、まずは空腹に鳴くお腹を満たすことにした。
昼食のメニューは、クリームシチューである。『味の楽園迷宮』で牛乳を大量に手に入れられたので、作れるようになった料理のひとつだ。
「美味しい〜…『味の楽園迷宮』様様ね」
あの迷宮には、これからも定期的に潜ることになるだろう。お世話になります。
昼食のあとは、『本の迷宮』で手に入れた羽根ペンやインク、紙を使ってみようと思い立って、作ったものの使っていなかった書斎スペースへとやって来た。
「何を書こうかしら…"迷宮について"、とか?」
私が行ったことのある迷宮について、軽くまとめておくのも良さそうね。書くことは、名前に場所、階層数。出てくる魔物に、入手できるもの、等など。
「よし、書くわよ。…うわ、羽根ペンってこんな書き心地なのね。ちょっと書きづらいかも」
慣れない羽根ペンに苦戦しながらも、私は紙に文字を書き綴っていったのだった。