2-1 旅の始まり
第2章開始です。のんびり更新ですが、気長にお付き合いいただければ幸いです。
拠点となるツリーハウスを作成してから、早いもので数ヶ月が経った。今のところ、私…リーゼロッテは平穏無事に、のんべんだらりと暮らしている。
だって、自宅が快適すぎるのよ。食料事情も炊飯器や製麺機の魔道具が完成したことで良くなったし、時々ベレドナ大森林や『鉱床の迷宮』に食材調達に行く以外は基本的に自宅に引きこもる毎日だ。
家の中には娯楽がなくて退屈なのでは?と思うかもしれないけれど、猫(神獣)に転生した影響なのか、日向ぼっこやお昼寝をしているだけで幸せを感じられる。なんてお手軽。
それに、なんだか時間の感覚が緩やかに感じられるようになった気がするのだ。おそらく、今の私は長命なのだろう。のんびりとした日々を退屈に思うことなく、しかし気がついた時には数ヶ月が経っていた。これがいわゆる"ドラゴン時間"ってやつなのね。
ーーーでも近頃は、「本当にこのまま、怠惰に過ごしていて良いのか?」、とも考えていた。せっかく女神リベルセリノ様に転生させてもらったのに、世界に目を向けることなく暮らしているのは……ちょっと、勿体ないような気もしている。
でも、だからといって人前に姿を見せるのはなあ、と考えたところで、ふと思いついた。
「別に、無理に人と交流する必要はないんじゃない?《隠密》で姿を隠したまま、世界を見て回れば良いのよ」
私には《転移ゲート》の魔法もあるし、夜には自宅に帰ってくれば宿の心配などもしなくていい。貨幣を持っていないのでお店に立ち寄ることはないけれど、売っている物や物価などを見たりして、人々の生活の様子を窺い知ることは出来る。
「うん、なんだか行けそうな気がしてきた。急ぐ旅でもないし、もし疲れたりしたら自宅で休めば良いわよね」
ということで、私は世界見聞の旅に出ることに決めた。必要なものは《ストレージ》に全て入っているので、身ひとつで出発する。
最初の目的地は、唯一立ち寄ったことがある街・ネイデンシアだ。そこから、アーレンス王国の王都を目指そうと思う。
「ネイデンシアまでは《転移ゲート》で行くけれど、それ以降は徒歩で行ってみようかな。その方が旅っぽいし」
そんなゆるふわっとした理由から、《飛翔》の魔法は基本的に使わないことにした。何度も言うけれど、急ぐ旅でもないしね。
さて、この世界はいったいどんな世界なのかな?俄然楽しみになってきて逸る心を落ち着けつつ、私はネイデンシアへ向けて《転移ゲート》を開いた。
*
以前は上空から侵入したネイデンシアの街。今回は《隠密》で姿を隠した状態で門を通り抜けたのだけど、人に踏まれそうになって少し焦った以外は、概ね問題はなかった。踏まれそうになったのは、姿が見えていないから仕方がない…なるべく道の端っこの方を歩こうかな。
「(こうして道を歩いていると、上空から見下ろした時とは感覚が違って新鮮ね。なんというか、この世界の人との精神的な距離感が近づいた気がする)」
現在時刻は朝、夜明けから少し経った頃だ。門から続いている大通りは、そこそこ大勢の人で賑わっていた。中でも、武具を装備している冒険者っぽい人や、身なりの整った商人らしき人が多い。皆、その辺に連なっている屋台で朝食を済ませているようだ。
「(あの屋台のお肉の串焼き美味しそうね……今日のお昼は、私も串焼きにしようかな)」
お金がないので買い食いは出来ない。いや、そもそも人前に姿を見せる気はないけれどね?…ちょっと《鑑定》させてもらって、使われているスパイスとかを調べよう。
「(あ、ハーブと塩コショウなのね。これなら真似できそう)」
というか普通に考えて、ベレドナ大森林や『鉱床の迷宮』から採れる食材で作っているんだろうから、真似はしやすいはずだよね。ただ、肝心の味の塩梅がどんなものか分からないから、完全再現は無理だと思う。
「(けどまあ、味は私好みの味付けで良いわよね。誰かに食べさせる訳でもないし)」
串焼きの屋台からそっと離れて、次はどこへ行こうかと視線を巡らせながら大通りを歩き出す。ついつい食い気が勝ってしまったけれど、私はこの世界について見聞を広めるために来たのよ。
「(…ん?ここってもしかして、『冒険者ギルド』?)」
大通りを歩き続けること、しばらくして。私は大きな建物の前を通りがかり、立ち止まった。見上げると、入り口らしき両開きの扉の上に"冒険者ギルド"と書かれた看板が設置されているのが見えた。
その入り口だけど、今は全開の状態で留まっており、沢山の人々が出入りしていた。もしかしたら、今の時間は人の出入りが多いから開けっ放しにしているのかもしれない。
なんとなく気になって、ひょい、と中を覗くとーーー
「おいおい、こんなひょろっこい奴が冒険者だって?遊び場じゃねぇんだぞ、ガキ!」
「「「ギャハハハハ!!」」」
…"冒険者ギルドにて、ガラの悪い冒険者に絡まれる"、というテンプレ展開が繰り広げられていた。もちろん、絡まれているのは私ではなく、ひとりの少年だった。種族は人間で年の頃は16歳くらい、顔立ちは…イケメン君だ。
そして、そのイケメン君は絡んできた冒険者達をあっという間に蹴散らして、何食わぬ顔で冒険者ギルドを出てきた。その後ろから、エルフの美少女がついてきている……うん、彼、主人公なのかな?
「(ていうか、あんなベッタベタなテンプレ展開って本当にあるのねぇ。ちょっと面白かったわ)」
満足したので、冒険者ギルドから離れて再び歩き始める。するとそうしない内に、芳しい香りがしてきた。これは…焼き魚の香りだ!
無意識にふらふらと近づいた先には、串に刺した焼き魚を売っている屋台があった。うわー、美味しそう…。
「(って、だからそうじゃないのよ。私は見聞を広めるために旅を始めたのであって………でも本当に美味しそうね、あの焼き魚)」
本日の夕飯が決まった瞬間だった。…私、食い気に負けすぎでは?なんで?猫だから??
*
お昼時に一度帰宅して昼食を食べてから、私は再びネイデンシアへと戻ってきた。なお、お肉の串焼きは大変美味でした。
さて、腹ごなしにお散歩しよう。場所はネイデンシアの西側にある大きな市場だ。屋台や露店が何本かある通路の両側にずらりと並び、様々な物が雑多に売られている。
中でも、私が興味を持ったのは…魔法薬や古着だった。片っ端から《鑑定》をかけて、それらの情報を集める。
「(魔法薬は、通称『ポーション』?ふむふむ、『生命回復ポーション』と『魔力回復ポーション』があるのね)」
生命回復ポーションは、怪我や軽い病などを治す即効性の薬だ。また魔力回復ポーションは、保有魔力を回復するための、やはり即効性の薬だ。"魔法"薬、というだけあって、ポーションは基本的に即効性の薬らしい。
ちなみに市場で売っているポーションは、わりと品質がバラバラだった。これ、私は《鑑定》スキルがあるから判別できるけれど、無い人達はどうやって高品質なものを選んでいるのかしら?
…なーんて不思議に思っていたけれど、実際に購入している場面に出くわして理解した。ポーションを買う冒険者達は、どうやら常連になっているお店が決まっているみたいなのだ。どの冒険者もお店の店主と親しげに会話していて、その会話の内容から事情が窺い知れた。
「(つまり、"信用"で売買しているのね。この市場でお店を出し続けるならば、下手に低品質な物を売り出したら信用をなくして、商売にならなくなるもの)」
考えてみれば、前世でも当たり前の概念だった。『ブランド』とかは、正に"信用"を可視化したものだろう。
それと、魔法薬の次に興味深かったのは、古着を売る屋台や露店だ。さすがに高価なドレスなどは売っていないけれど、この世界の衣服のデザインを色々と知れて、中々に楽しかったし、勉強になった。今まで《人化》した時の衣服は《製作》で適当に作っていたけれど、今後はこの世界に即したデザインの衣服を作ろうと思う。
というか、衣服のデザインはともかく、色合いに関してはけっこう色とりどりだった。どうやら近場ーーおそらく『鉱床の迷宮』内ーーで、染料になるものが採取できるようだ。機会があったら私も探してみようかな。まあ、今は旅が優先だけれどね。
そのあとも、私は市場が閉まる時刻の直前まで色々と見て回った。市場が閉まるのは日が暮れる頃だ。商売をしていた人達は皆、辺りが暗くなる前に商品を片付けて、足早に市場を去ってゆく。
それから、日が完全に落ちてひと気の無くなった市場にて。私は暗闇の中、こっそりと《転移ゲート》を開いて帰宅した。帰ってすぐに夕食として魚を焼いて食べ、入浴したあと、本日の『旅』ーー実質"旅"というよりは"外出"だけど、面目上"旅"とするーーについて振り返った。
「冒険者ギルドも見れたし、市場も見れたから、実りは多かったんじゃないかしら?…食い気には負けたけれども」
串焼きも焼き魚も美味しかったです、はい。
「あ、いつか使うかもしれないし、今のうちにポーションを作っておきたいわね。確か材料はあったはず……うん、ポーションの材料も、ついでにそれを入れるガラス瓶の材料もあるわね」
そうして。私は眠気が来るまで、ちまちまと魔法薬の作成に勤しんだのだった。なお《製作》スキルの影響か、出来上がったポーションはどれも最高品質だった。相変わらずチートすぎるわね…便利だから良いけれど。